村上陽一郎 東洋英和女学院大学学長
中国は早急に安全学の専門家を育成すべき

日本のメディアの度重なる報道で、PM2.5と鳥インフルエンザは、あっという間に中国の新しい代名詞になったようだ。経済の発展と安全の問題は、なぜ双子の兄弟のように対になるのか。なぜ「前者の覆るは後者の戒め」にならないのだろうか。こうした疑問を抱きながら、東洋英和女学院大学を訪ねた。折しも霧にかすむ芝生のキャンパスに小雨が降り、桜の花がはらはら散っていた。日本屈指の科学史家で、「安全学」という言葉を作った村上陽一郎氏にインタビューした。

 

教養教育で理解力とコミュ

ニケーション能力を鍛える

―― 大学教育は国際化の時代に入っています。学長として、教養教育の重要性を主張されていますが、グローバル化に対応する人材育成をどのようにお考えですか。

村上 2012年6月に文部科学省は大学改革実行プランを公表しました。国際交流を重視し、グローバル化に対応した人材育成を提案しています。

私の主張する教養教育とは、主に専門職の人材ための教養教育を指しています。うちの大学には保育子ども学科がありますが、日本には法律の規定があり、幼稚園の先生や保育士になるには、所定の単位を取得し実習をしたり、または試験を受けて資格を取得しなければなりません。ですから、学生は資格を取ることに力が注がれてしまいます。もちろん、これが悪いというわけでないのですが、大学の学生は一つの事だけでなく、広い視野で、いろいろな事に挑戦するべきだと思うのです。

日本では、東京大学でもそうですが。たとえば、東大の医学生は規定に従って、理科Ⅲ類に入学後六年間単位を履修してから、国家試験を経て医者になるのです。多くの学生は在学期間、医学に関する知識を習得するだけで、専門分野のみに限られてしまいます。

この点、アメリカでは医学部に入りたければ、まず一般の大学で四年間勉強して所定の単位を取らなければなりません。もりろん、アメリカの制度にも欠点があります。しかし、教養教育という面からいえば、ハーバード大学、エール大学でも、コロンビア大学にしても、日本より進んでいます。

専門知識だけあっても、それ以外の知識があまりなければ、社会に出て壁にぶつかり挫折してしまうかもしれません。ですから、私は学生に教養教育を提唱するのです。大学教育は今やグローバル化の時代に入りました。国際的な人材として、異文化を理解し、異なる民族に対して理解する能力を持つ必要があると思います。専門職の人材を育成する時、教養教育に重点を置くのは、学生にこのような理解力を備えてほしいからです。

理解力以外に、コミュニケーション能力も非常に重要です。我が校には国際コミュニケーション学科がありますが、この学科の学生は二年次後期から半期の語学留学に行くことになっています。異文化の環境で生活を体験して、異なる文化的背景の人々と自由に話し合う。これは国際コミュニケーション学科の必修課程になっています。

こうした国際的な人材を育成する角度から、大学生の理解力とコミュニケーション能力を鍛えることが、私の実践している教養教育です。

 

環境汚染は国の発展過程で

避けて通れない道

―― 18世紀末から19世紀の初め、イギリス産業革命の時に深刻な大気汚染が発生し、ロンドンは「霧の都」と呼ばれました。1970年から80年代にかけて、日本も高度経済成長期に深刻な公害問題に直面しました。現在、中国でもPM2.5のような環境汚染が問題になっていますが、今後はインドでも同様の環境問題が出てくると思われます。科学史家として、こうした「歴史のくり返し」をどう思われますか。

村上 ある意味では、これは国の発展過程において避けて通ることのできない道だといえます。イギリスの戒めがありましたが、日本は近代化を推し進める過程で、イギリスが産業革命の時に通った道を歩いてしまい、環境を犠牲にしてしまいした。

あるエピソードを思い出しました。20年以上も前になりますが、国連大学で、日本の近代化、工業化を振り返ってというテーマのフォーラムがありました。参加者の中には、アジア各国から専門家や学者がたくさん来ていました。

日本のある専門家が発言しました。日本は近代化と工業化を進める中で、痛ましい教訓を経験しました。ですから、アジアの国々は、日本の経験から教訓を汲み取って、できる限り環境破壊を避けて、同じ過ちを繰り返さないでほしいと話しました。この話しを聞き終えて、どういう反応があったと思いますか。アジアの国からの専門家や学者たちは同意するどころか、このフォーラムにやって来たのは、こういう消極的な話しを聞きにきたのではない、「環境汚染」すら羨ましいくらいだと言ったのです。

もちろん「羨ましい」と言ったのは、環境汚染がではなく、急速な発展が羨ましいという意味でしょう。人間というのは実際に経験しないと、気づかないようです。人間は他人の失敗から学ぶことが得意でないのかもしれません。

そうは言っても、イギリスや日本の教訓がありますから、これからの国は対応する法令や措置を導入する際に、あまり時間を費やすことなく、問題が深刻になる前にタイムリーな判断ができると、私は信じています。

 

安全問題は専門家の

不足によるもの

―― 科学の視点から、安全と安心に関する本をたくさん書いていらっしゃいますね。経済が高度に発展してくると、なぜ様々な安全問題が出てくるのですか。

村上 先ず、安全学の専門家が不足しているということです。グローバルな視点からみて、安全学の専門家がいる国は多くありません。私自身も安全学の研究で困難に直面しています。

企業が一番目にしたいのは、成長率の向上、技術の進歩、研究開発の成果です。これらのことには人的•物的資源の投資を好んで行います。企業からみれば、安全問題は基本的な問題ですが、一番ではないのです。現在、安全であればよいわけで、問題がなければ安全のために努力する必要はなく、安全性を確保するために専門家を雇う必要がないのです。したがって、私が企業に安全学の管理を強化させる際には、企業に万が一のことを想定させなければならず、さもなければ大きな損失を被ることになりますよと促すのです。

日本では、企業に安全学を重視させるためには、第一にセキュリティにかかる支出と、もしその支出をしなかった場合、将来どんなに大きな危険とリスクに直面するかといった方程式を提示しなければなりません。

東京電力の福島第一原子力発電所の事故のように、あの悲惨な事故が起きなければ、悲劇的な事故の痛みを体験しなければ、企業が安全学を重視することは難しいことなのです。

また、日本の航空会社をみてみますと、過去25年の間には、重大な人身事故を起こしていないようです。しかし、それ以前には、平均して10年ごとにそれぞれ人身事故が発生しています。日本の航空会社の過去の経験から分かるように、人身事故が発生すると、必死に議論して対応策を導入します。安全管理室を設置したり、安全学の優秀な人材を雇用し、財源を投入して研究するのです。しかし、対応策に成果が現れてくると、警戒心が薄れていき、優秀な人材を安全管理室に配置しておくのはもったいないと、技術開発室などに異動させてしまいます。企業の警戒心が薄れていくと、重大事故が再び起こります。これまでの経験からみると、この繰り返しですね。

航空会社のような大企業で事故が起きれば、非常に大きな損失がでます。しかし、こうした企業でさえ安全面で万全とは言えないのですから、他の企業は言うまでもないことです。

もちろん、どの国もそれぞれ特有の政治システムを持っているように、どの企業もそれぞれの経営システムがあるので、一概には言えないと思います。しかし、どの国でも、企業でも、常に注意を払い、積極的に対応できる安全学の専門家が必要だと考えています。

 

日本の「技術立国」は、

学ぶことから広めることに

―― 先日、私は広島県江田島で海軍兵学校を見学し、当時の海軍が「技術立国」を目指していたことを知りました。現在、自民党政府が「技術立国」を提唱していますが、当時の海軍の「技術立国」とはどういう違いがありますか。

村上 日本は明治維新以後、富国強兵を推進し、欧米の先進的な科学技術を学ぶために、ドイツのベルリン大学を参考にして東京大学を創立しました。同時に、フランスを参考にして技術の人材を育成する工部大学校が創立されました。工部大学校は優秀な人材を輩出しています。建築家で東京駅を設計した辰野金吾、宮廷建築士で迎賓館を設計者した片山東熊などがいます。しかし、この学校は9年で閉校になり、明治19年、つまり1886年に東京大学工学部(当時の名称は「工科大学」)に合併して工学部になりました。

1886年の時点で工学部を、法学部、医学部などと同じ資格で設置している大学は、世界でも東京大学だけでした。欧米の国では、工学は技術的なもので、大学で学ぶものではないとされていました。しかし、そういう時代にあっても、日本は大学に工学部を設置することを躊躇しなかったのです。非常に大胆です。その後、京都大学、東北大学、北海道大学、大阪大学などの国立大学が造られましたが、初めから工学部が設けられていました。当時、日本が提唱していた「技術立国」とは、欧米の先進技術を学ぶことでした。

しかし、自民党政府が提唱している「技術立国」は、日本の産業技術の発展をサポートし推進させて、産業技術を海外に広めて、日本を真の「技術大国」にしようとするものです。

 

天皇ご夫妻と

学術・音楽の交流

―― 学者として、美智子皇后とおつきあいがあるそうですね。中国には皇室がないので、中国人には民間人と皇室とのおつきあいが想像つきません。

村上 明仁天皇と美智子皇后とは音楽という共通のご趣味があります。天皇のご趣味は生物学の研究で、皇居にも研究室があります。5年ほど前ですが、スウェーデンで国際生物学会議がありました。明仁天皇は招待されて、日本の生物学研究史に関するプレゼンテーションを行いました。その時の天皇のスピーチには、私も僅かですが貢献させていただきました。また、明仁天皇は、公式にも非公式にも、常に各分野の学者と意見交換をされています。私もご招待を受けて何回か参加しています。

美智子皇后は聖心女子大学時代からピアノを弾くのがお好きで、今でもレッスンされています。私はチェロが趣味です。それで、美智子皇后といろいろご一緒に演奏させたいただいたことがあるのです。少し前ですが、在日ノルウェー大使館で音楽交流会が開かれ、美智子皇后とプロの演奏家、そして私のようなアマチュアの演奏家が招かれました。2時間余りの交流会で、私たちは美智子皇后と、日本に駐在している各国の大使たちに演奏を披露しました。

 

中国の若者の使命感は

日本より強い

―― 北京の中国人民大学と大連理工大学の客座教授だったそうですが、中国の印象はどうでしたか。

村上 初めて中国へ行ったのは1995年でした。まだ中国が発展する前で、自転車が多かったです。中国の方はエネルギッシュで、生き生きしています。今の日本の若者に欠けているのは、こういった生活への意欲、社会への関心、責任感、使命感です。日本の若者は、こういう点で消極的になってきて、たいへん心配なことです。それに比べて、中国の若い方はとても積極的です。それが両国の親善にも向かってほしいと願っています。