中島 三千男 神奈川大学学長
日本人はもっと身を慎み、中国人はもっと寛容に

多くの中国人の目には、天皇制や国家神道を研究している日本の学者の大部分が右寄りの保守派か、中国に対して非友好的と映っている。しかし、実際は決してそうではない。神奈川大学の中島三千男学長は、長年、天皇制や国家神道等日本の近代思想史を研究してきた学者であるが、同時に中日友好事業にも尽力され、神奈川県日中友好協会名誉副会長も務めておられる。中日関係が緊張した時期には中島学長のような友好人士が、中日関係を維持するために重要な役割を果たしてきた。2月25日、神奈川大学を訪ね、中島学長の教育、中日関係に対する考えを伺った。

 

ミドル層の育成が社会を支える

―― 現在、大学教育も次第に国際化の時代に入ってきました。学長として人材育成をどのようにお考えですか。

中島 私は学長に就任した日から、建学の精神―質実剛健・積極進取・中正堅実―を踏まえ、本学の目標は、良質で分厚いミドル層の育成にあると明言してまいりました。国や社会の発展には突出した優秀な人材、エリート層の育成が重要ですが、同時にそれに劣らず重要なのは、それを支える良質なミドル層をどれだけ分厚く形成出来ているかという事です。

もともと、日本社会には大勢に従う傾向があります。かつてのアジア太平洋戦争への突入がその最たるものですが、近年の政権交代劇、自民党から民主党へ、そしてまた自民党へという流れもその表れの一つだと思っています。

また、こうした傾向は日本のみならず、グローバリゼーションの進行と共に世界の国々で、「市場と政治体制」の矛盾が顕在化し、国民は目先の自分の利益の確保に右往左往している状況が生まれています。こういう時だからこそ、物事を長期的、歴史的、構造的に捉え、場合によって自分に不利益なことも引き受けることのできる、良質なミドル層の育成が急務になっていると思います。

大学教育とは学生の“成長力”を育てること

―― ここを訪れる途中、駅の貴校の広告で、“成長力”というキーワードを目にしました。具体的に、どうすれば学生の“成長力”を育てられるでしょうか。

中島 一般に日本の大都市の子どもたちは、幼稚園から小・中・高、大学と、少なくとも3、4回の入学試験を体験します。したがって大学に入る時には、自分の力は大体この程度だと「分」をわきまえて入ってきて、大きな夢や目標を持たなくなっています。しかし、私は具体的な事例をあげて、「高校卒業・大学入学段階の実力、偏差値が学生さんたちの将来を決めるのではなく、大学4年間の過ごし方が将来を決めるのだ」、「大学4年間の教員の熱心な教育と学生さんたちの努力がうまくマッチし、火花を散らし、スパークした時、学生さん自身も気づいていなかった大きな才能、能力、世界が花開く可能性がある」、そういった意味では「20歳前後の若者は無限の可能性を持つ」、という事を繰り返し語っています。

また、単に語るだけではなく、ボランティア活動やインターンシップ、海外留学など、出来るだけ早いうちに大学・教室の外の世界に触れさせて、このことを実感できるようにしています。

 日中両国の大学交流を含む民間での交流の大事さ

―― 神奈川大学は北京大学など中国の多くの大学と交流協定を結んでいます。学長自身も清華大学で講演をされています。日中の大学交流の必要性、重要性についてはどのようにお考えですか。

中島 今から20数年まえ、1991年に私は初めて中国の大学に参りました。協定校の浙江大学でのシンポジウムに参加するためです。その時目にした情景は今でもはっきり覚えています。あの頃、中国の学生たちのほとんどが大学の宿舎で生活しており、毎日キャンパスで早朝学習をしている学生たちの姿を見かけました。自習室からは朗々と読書をしている声が聞こえてきました。日本の大学のキャンパスでは想像もできないことでした。彼らの姿を見て、私はこのままいくと早晩日本は追い抜かれるなと思いました。あの時代、中国の学生たち一人一人の瞳は輝いていました。

今は中国も豊かになりました。本学で学ぶ300名余の中国人留学生たちは、外見的には日本の学生と見分けがつかなくなりましたが、それでも全体的に見て、やはり真剣に学んでいます。多くの勤勉な中国人留学生の勉強量や知識量は日本の学生にとっても良い刺激となっています。

また、大学間の交流だけではなく、民間・企業同士の交流を含めて、実際に両国の人々の交流が大事だという事を、最近身近に体験した二つの例あげてお話したいと思います。昨年の夏、ベトナム国家大学ハノイとの交流協定調印を終え、ホテルの喫煙室でタバコを喫っていると、一人の青年が近づいてきて、「火を貸して欲しい」と身振りで示しました。ほどなくお互いに日本人、中国人であるということがわかると、彼は、深々と頭を下げる日本式の礼儀作法でお辞儀をしながら、「日本では大変お世話になりました」と感謝の言葉を述べたのです。この時期、日中の間では島嶼問題を巡って緊張が高まって時期でしたので、私はどういう事かと尋ねると、彼は、以前東京で日本の会社に勤務していて、「日本では多くのことを学びました。同僚もとてもよくしてくれました」と言うことだったのです。そして、別れるとき、もう一度、深々とお辞儀をして去っていきました。これが一例です。もう一つの例は、9月中旬から始まる後学期に向けて、中国からも多くの交換留学生が本学にやってきましたが、彼らが日本に来て不愉快な思い、嫌な思いをさせられていないか大変心配していました。あるとき北京大学と復旦大学からやってきた3人の女子交換留学生にそのことを聞いてみると、「不愉快な思いをしたことは一度もありません。日本人はとても親切で、学生たちはいつも気にかけてくれます」という答えが返ってきました。私はとても嬉しくなりました。これら二つの例は、両国の人々の実際の交流の必要性、重要性を物語っているように思います。

日本人は慎みを中国人は寛容さを

―― 中日両国の歴史認識には大きな隔たりがあり、これが中日関係に大きな影響を及ぼしています。この問題の根源はどこにあるとお考えですか。また、今後いかにして解決すべきでしょうか。

中島 私は日本人には、過去の歴史を真摯に学んで、中国やアジアの国々に対して慎みをもって接して欲しいと思っています。日本人は「中国はなぜ未だに過去の侵略のことを言っているのだ」と言います。しかし、翻って考えて見てください、日本人がアメリカによる原爆投下や空襲の被害、沖縄県民が沖縄戦の被害を忘れないように、またソ連軍による開拓団に対する暴虐やシベリヤ抑留を忘れないように、さらにアメリカ人が日本の真珠湾攻撃を決して忘れないように、どの国どの民族も自らが受けた苦難は永遠に記憶され、そしてその苦難からの立ち直りこそがその国、民族の栄光の物語になっているのです。

では中国人にとって苦難とは何か? 言うまでもなく、日清戦争、とりわけ満州事変以降の日本による侵略、迫害の歴史です。中国人がこの歴史を深く心に刻み、次の世代に語り伝え、歴史の戒めとしていることは当然のことではないでしょうか。日本人はこうした事を冷静に認識し、中国やアジアの国々に対しては慎みを持って接するべきだと思います。

中国人は寛容さを、とは――具体的には、日本の戦後の変化を理解してほしいと思うのです。あの戦争を経て日本国民は、もう二度と戦争を起こしてはならない、平和主義を貫かなければならないと認識しました。日本人は基本的に平和擁護、戦争反対です。こんな国は世界にはあまりないと思っています。しかし、多くの中国人は日本社会には依然として軍国主義思想が蔓延しているのではないかと思っているようです。最近の憲法改正問題や国防軍創設問題をみれば、中国人がそう考えるのも無理はないことかと思いますが、この日本人の平和主義、戦争反対の思想は退潮傾向にあるとは言え、なお根強いものがあると思っています。この思想は、日本だけではなくアジアの緊張を和らげる上でも大きな役割をはたしてきたと思います。だから中国の人には日本人のこの思想に注意を払い、大事にして欲しいと思っています。残念ながら、日本の右寄りの保守派は、近年の中国との緊張関係を最大限に利用して、この日本国民の平和主義、戦争反対の思想を根絶し、アメリカとの軍事的な結びつきを一層強めようとしているように感じます。

日本の中国非難は自信の無さが起因

―― 昨年来、中日関係は緊張の局面に入りました。国交正常化以来、中日関係は最も逼迫しているとする論評もあります。歴史学者として、今後の日中関係の見通しをお聞かせ下さい。

中島 日中には長い歴史があり、日本は近代まで、基本的に中華帝国の下で、文明の恩恵にあずかり、独自の日本文化を形成してきました。日本が近代化を実現して以後は、欧米の帝国主義諸国に伍して、中国や韓国などアジア諸国を蔑視する態度をとるようになりました。ところがその中国はいま大きく発展して、将来アメリカに取って変わらないとも限りません。そのため、かつて蔑視していた中国になぜ日本が追い抜かれなければならないのかと、妬みや劣等感を抱いている日本人もいるのです。こうした感情が反中国感情の根底にあるように思います。しかし、中国は確かに経済的には第2の経済大国になりましたが、国民一人一人の生活の豊かさや、環境問題などまだまだ日本に学ばなければいけないところたくさんあります。今から40数年前の1968年に、ドイツ(西)は世界第2の経済大国の地位を日本に奪われましたが、それでドイツが凋落したわけではありません。日中史上、初めて大国同士の長い付き合いが始まるのです。今日の兵器の恐るべき発達は、もうどちらか一方の国が無傷で相手国を軍事的に屈服させることは不可能になっています。たとえ勝利を収めたとしても甚大な被害を覚悟しなければならなくなっています。こうした時代に、日中両国は大国同士の付き合いを、試行錯誤を重ねながら模索していくべきだと考えています。