布施 勉 横浜市立大学学長
日中は未来志向で島の問題を乗り越えよう

「歳月、流るる如し」、20年は夢のように過ぎた。10月4日の午後、白髪まじりの私は『人民日報海外版日本月刊』の編集長として、母校の横浜市立大学の正門に立った時、過ぎ去った日々が蘇ってきた。中国が開放改革政策に転じてから、多くの中国人が国を出て留学できたことを感慨深く思い起こした。一方、日本は国際化を推進し、多くの留学生を受入れた。今日、かつての留学生は両国の懸け橋となっている。この意味からいえば、当時の中日の政治家の決断には遠見卓識があった。

私は1992年3月に横浜市立大学を出たが、布施学長は1993年にこの大学の教授に就任されているので、当時お会いしたことはなかったが、先生はOBとしての私に親しく接してくださった。布施学長は著名な国際法学者で、「国際海洋法」の専門家でもあり、これまで国連海洋法条約を制定する国際会議等に数多く参加している。インタビューもこの話題から入った。

 

苦労をいとわず中国で国際海洋法を普及

布施学長は、かつて国連の海洋法専門家会議で中国の代表団の一員と知り合ったことを思い出された。会議終了後、カナダのボルゲーゼ教授が国際海洋法学会(IOI)を創ろうと提案したが、中国の代表は発言しなかった。その頃、中国は国連復帰を果たし、国連機関に戻ってきたばかりであり、「ポスト」はあっても「学識」はなく、国際海洋法の分野では空白だった。そこで、中国側は布施先生を招いて、国連海洋法条約のセミナーを開いてもらい、中国の政府関係者や大学の先生に国際海洋法を普及させようとした。しかし、布施先生は行きたいのは山々だったが、経済的な問題もあり、すぐには実現しなかった。その後、笹川平和財団の援助を受けることができ、中国を何回も訪問してセミナーを開いた。

後に、マルタで開催された国際海洋法学会(IOI)の総会で、布施先生は中国の代表に再会し、その場で「中国国際海洋法学会」(IOI CHINA)の早期設立を提案した。中国の国際海洋法の発展のため、また自国の海洋権益を守るために必要だと、布施先生は力説した。1993年、この提案が中国側に採択された後に、布施先生は上海で開かれた海洋関係の専門家会合に参加した。「会場で、中国の様々な専門家の方々が挨拶してくれるのです。私は、中国では名も知られていない者なのにと・・・戸惑いました。実は中国各地で私の国連海洋法条約関連の講義を聴いてくれた人達だったのです。この仕事をしてきたことに誇りを感じましたね」。

国際法は中国にとって不利に働いた

現在の日中関係を悪化させた釣魚島問題について、中国の「泣き所」は、海洋権益への理解が遅かったこと、国際法の運用がわからなかったことだと布施学長は率直に語った。

布施学長は、次のように話した。明治時代、日本政府は国際法の存在を明確に理解した上で、尖閣諸島(中国名は釣魚島)を日本の領土として画定した。この事実が、日本政府が今日、尖閣諸島を実行支配し、国際法上は問題が存在しないと主張している根拠である。しかし、別の角度からみれば、当時の中国は日清戦争(中国では甲午海戦)の前後で、清政府は内憂外患の情況にあって応対できなかったのかもしれないし、同時に国際法に無知だったのではないか。その結果、国際法の存在そのものが中国にとって不利に働いたと言えるかもしれない。しかし、現在のように、「歴史的に鄭和の時代から釣魚島は中国のものだった」という話し方では通用しない。

「現在の国際社会では、歴史は確かに重要ですが、実定国際法の観点から、論理的な根拠が必要だということを中国にもっと認識してもらいたいと思います。これが、何回も中国で国際海洋法の講義をしてきた私の気持ちです」と布施学長は指摘した。

明確な目標を持つ中国人留学生を支援

現在、横浜市立大学の中国人留学生は96名で、留学生全体の76%を占めている。布施学長は、中国人留学生の学習と生活面に気を配りながら、同時に学生を選抜する際に独自の見解を持っている。また、普段から中国人留学生との交流を深め、なぜ横浜市立大学を選んだのかを理解しようとしている。しかし、この大学は横浜中華街に近いのでバイトを探しやすいとか、先生が親切で頑張らなくても単位が簡単にとれると留学生が話したのを聞いて、ショックを受けたという。

布施学長は、「若者は国の未来だから、学び取るものは、今後の自分の人生と国の発展に役に立つものでなければならない」と考えている。学生にそのような目標や夢がないのなら、大学の存在意義は極めて低いものとなる。そこで、留学生の入試では、中国人留学生に次の3つの質問をすることにしている。①なぜ横浜市立大学を選んだのか、②だれを指導教官に選び何を学ぶのか、③大学で学んだことをいかに中国の発展のために役立てるのか。

「明確な留学の目的があれば、本学は何人でも喜んでお引き受けして、教員と職員がいっしょになって、留学生が学位を取れるように支援します」と布施学長は語った。

日中大学間交流への期待

現在、横浜市内には8万人近くの外国人がいるので、統計上は横浜市民50人に1人の割合で外国人がいることになる。横浜市は日本でも屈指の国際都市で、その国際都市が設置する横浜市立大学は国際学術交流に力を入れ、競争力のある国際的な人材を育成することを目的にしている。

周知のように、日本の多くの企業はその本拠地を海外に移転し始めているが、海外で成功している例は必ずしも多くはない。どうしてだろうか。日本企業の製品がよくないのか・・・そうではない。企業を導き、管理する優秀な人材が不足しているからだ。「企業を成功させるのは人だ」と、布施学長は分析している。

そこで、横浜市立大学は、例えば外国語教育については、実践的な英語力の向上を1、2年生の教養教育の重点に置いてTOEFLを受験させ、500点以上とらなければならず、その後必要に応じて中国語等の第二外国語を履修させている。そして、3年生になって初めて、専門知識に重点を置いたカリキュラムを学ばせている。

「日本の大学生の価値観は急激に変化していて、以前のような日本を中心とした保守的で閉鎖的なものではありません。自分たちの将来の課題が日本社会だけでなく、世界のどこにでも存在していると認識しています。その点で、日本人の学生と中国人の留学生は、基本的価値観については変わりがないと言えます。こういう点から考えると、学長として、私にはまだやるべきことが沢山あり、留学生を含む学生たちが活躍できる広い国際舞台を用意してあげなければなりません・・・」と布施学長は強調した。

横浜市と上海市は友好都市で、長い間、広い協力関係を維持してきた。横浜市立大学も上海師範大学や上海交通大学と学生交流を行っている。

横浜市立大学は横浜市民の税金で運営している大学だから、横浜市と横浜市民に対して、深い感謝の気持ちと責任をもっている。従って、課題研究を通して、大都市の様々な問題を解決していく義務がある。最近、この点について上海交通大学の張学長とお話したが、同学長も同じような考え方を持っておられると感じた。大学の力で自分たちが存在する都市を良くしていこうという気持ちは一緒である。そして今やらなければならない課題も多い。確かに日中間には摩擦が生じているが、私個人としては気にすることなく、大学間の交流を進めて、日本と中国の多くの優秀な若者を育てたいと考えている。こうした時だからこそ、未来に向けた協力を強めたい。長年の努力を台無しにしてはならない。

友好の基礎を揺るがしてはならない

最後に日中間の島の争いをいかに解決するか、国際海洋法の専門家として、日本教育界の代表の一人でもある布施学長の考えをお聞きした。

「昔は、領土問題を解決する最終的な方法は戦争だった。戦争の勝敗で決まった。しかし、第二次世界大戦後、国際連合は関連する国際法を整備し、国際裁判所で領土問題を解決できるようにした。しかし、中国が尖閣諸島の問題を国際司法裁判所に提訴したにしても、先例を分析してみると、中国の勝ち目は小さいと、私は考えている。仮に一方が勝ったとしても、もう一方がその結果を認めなければ、この紛争は終わらない。実際、尖閣諸島は小さな無人島だ。島の法的地位の問題を別にして、この島の排他的経済水域や大陸棚をどのように共同利用していくかを考えていくべきではないか。「関連水域の共同利用」ということなら、日中には交渉の余地が多くあり、政治的なルートで解決できる」。

布施学長は最後に語った。「本当は、私は尖閣の問題について、あまり話したくないのです。中国には友人やOB及び学生がたくさんいますしね。中国と日本は国家体制や社会制度が違いますが、中国の人たちと接して、両国の人びとの考え方には基本的に似ているところが多いと感じています。歴史は変化していくものです。日中間には、今は問題があります。しかし、一部の人たちがどんなに煽動しても、日中両国民の友好交流の基礎を揺るがすことはできないと信じています」。