岡本 巖 日中経済協会理事長
中国は日本の経済再生の支柱

1972年9月、困難な道のりを経て中日国交正常化が実現した。同年11月22日、国交正常化後の中日両国の経済・貿易の協力関係促進のため、「日中経済協会」が誕生した。以後40年間、日中友好7団体の一つである日中経済協会は、毎年、両国の経済、貿易、技術分野の代表団を組織し相互の訪問を行い、両国の経済・貿易協力の障害を取り除き、互恵の発展関係を築くために、長年貢献してきた。7月24日、目下の中日協力の情勢について、日中経済協会の岡本巖理事長に独占インタビューを行った。

中国経済の景気後退は穏やかな成長を意味する

―― 改革開放以来の中国経済の急速な発展は、誰の目にも明らかです。日本との経済・貿易交流も飛躍的に発展してきました。日中経済協会の理事長として、中国経済の現状をどのようにみていますか。

岡本 中国は改革開放以来、わずか30年で世界も刮目するような発展を遂げました。2011年の経済成長率は9.3%で、2012年第2四半期は7.6%になっています。多くの人がこれを中国経済の停滞とみていますが、私は中国政府が中国経済を安定的・長期的に発展させるために、国内外の経済環境の変化を分析・予測した上でとった戦略であり、第12次5カ年計画でも提示された「経済発展方式の転換」とみています。現在、中国の経済発展は計画に従って一歩一歩順調に前進しています。これが私の見解です。

―― しかし、日本のメディアの見方は明らかに違います。中国経済は弱まったというものもあれば、“中国崩壊論”を唱えるものさえあります。これについてはどうお考えですか。

岡本 中国が経済発展方式の転換を図る主な理由は三つあります。一つ目に生産年齢人口の頭打ちが近いこと、二つ目にエネルギー・環境問題、三つ目に国民生活改善問題です。

このような背景のもと、中国経済は主に投資や輸出に依存した成長から、消費、投資、輸出の調和がとれた成長路線を走り始めました。これはまた、総合的に投入量を増やす高成長から生産性を高める安定成長への転換、自己革新、内需拡大とも言えます。さらに中国は、産業構造の均衡を重視し始め、“片足での長距離走”に終止符を打ちました。製造業だけでなくサービス業も伸びています。足取りを緩めた着実な前進。これが現在の中国経済の本質です。

目下の課題は速やかな三カ国貿易協定の成立

―― 今年は中日国交正常化40周年です。40年前は、中日の貿易額はわずか11億ドル(約3300億円)でした。2011年の両国の貿易額は3449億ドル(約27兆5400億円)です。しかし現在、中日両国の経済・貿易協力事業には多くの問題があります。これについてはどうお考えですか。

岡本 確かにそのとおりです。過去40年間、両国の貿易額はずっと増加の一途にありました。特に2011年の日本の中国への直接投資額は前年比55% 増でした。2012年に入ってから、世界各国の中国への直接投資額は3%減ですが、日本の伸び幅は非常に顕著です。上半期だけで16%以上増えています。

昨今、日本の大企業は中国をはじめとする新興国の市場を、未来の発展計画の柱に据えています。それは、日本経済再生の支柱でもあります。日中両国の相互依存は絶えず深化、拡大しています。特に経済方面です。両国はこの動向を正視し、その上で共に相互依存を強化していかねばなりません。

2012年5月、日中韓首脳会議で日中韓投資協定の署名が行われ、年内に三カ国自由貿易協定(FTA)の協議に入ります。投資協定と自由貿易協定は、三カ国の貿易・投資を大きく促進させ、日中両国の交流をさらに充実させるでしょう。いかに三カ国貿易協定の交渉を速めるかが、我々が共に直面している課題の一つです。

両国は互恵関係にあることを認識すべき

―― 小泉内閣以来、中日関係は“政冷経熱”の局面を帯びています。後に一定の改善がみられましたが、現在、日中関係を形容する時、再び“政冷経熱”が言われるようになりました。こういった局面をいかに改善すべきでしょうか。

岡本 まず改善しなければならないのは、日中の信頼関係です。両国は各層、多方面での交流を増進していくべきです。次に、お互いが相互依存、互恵関係にあることを認識すべきです。ですから、様々な機会を通じて情報交換し、情報を共有すべきです。それには経済互恵も含まれます。2007年以来、中国は日本の最大の対外貿易相手国になりました。貿易額も年々増えています。

2012年の中国の経済成長率は7.6%に抑えられていますが、貿易額が200兆円を超える国としては、たとえ7.6%でも大変なことです。今後中国は、エネルギー・環境問題や高齢化問題等に直面します。日本は中国より早くこれらの問題を経験し、一定の経験を積んでいます。中国は日本の経験を必要とするようになるでしょう。未来に向かって両国は、さらに経済協力を強めていかなくてはなりません。

日中経済協会は両国の橋渡し

――  1972年、日中国交正常化が実現したわずか2か月後に、日中経済協会は創立されたとうかがっていますが、この40年間、貴会は日中の経済・貿易分野でどのような貢献をされてきましたか。

岡本 1972年、日中の国交が正常化されたわずか2か月後、両国政府と両国の経済・貿易界の人士の協力のもと、両国の経済・貿易協力を強化・拡大するために、日中経済協会は創立されました。

1975年以来、日中経済協会は毎年、日本の経済界の代表で訪中団を組織し、中国の指導者、財界人、各関係部門の指導者と当面の情勢について意見交換を行ってきました。大きく言えば、日中経済協会は両国の信頼関係形成に長期にわたって弛まない努力を払い、日本経済界の代表的人物と中国政府の間に、信頼できるルートと人脈を提供してきました。また、日本の産業界関係者と両国の地方政府との間に協力関係を築く手助けをしています。

2006年には、日本の経済産業省と日中経済協会、中国国家発展・改革委員会と商務部が合同で『日中省エネルギー・環境総合フォーラム』を開催しました。2011年11月には、第6回『日中省エネルギー・環境総合フォーラム』が北京で開催されましたが、中国国務院の李克強副総理が出席され、ご挨拶で「『日中省エネルギー・環境総合フォーラム』は中日両国に意見交換の場を提供しているだけでなく、共に具体的プロジェクトに則した協力を考える場であるという特色を有し、中日の経済協力のハイライトになっている」と述べられました。李克強副総理が『日中省エネルギー・環境総合フォーラム』をこのように高く評価して下さったことは、我々日中経済協会にとって、大きな光栄であります。

訪中団を組織し共に40周年を祝う

―― 今年は中日国交正常化40周年、中日国民交流友好年です。日中経済協会は何か行事を計画していますか。

岡本 多くの計画があります。8月1日と2日の2日間、中国のハルビンで中国東北地区(遼寧、吉林、黒竜江、内モンゴル自治区)と日本の東北地区(北海道、秋田、新潟、岩手、宮城、山形、富山等)による、日中経済交流会議を開催しました。このような会議を我々は毎年一回開催しています。8月6日には、日中経済協会主催の第7回『日中省エネルギー・環境総合フォーラム』を東京で開催しました。

中国の工業園区に驚嘆

―― 今までに何度中国を訪問されましたか。最も印象に残っていることは何ですか。

岡本 2011年4月に日中経済協会理事長に就任してから、毎月のように訪中しています。中国は日進月歩で変化しています。特に地方都市の変化には毎回驚きます。

私が最も印象深かったのは蘇州工業園区です。建築規模の広大さなどは言うまでもありませんが、ことのほか感服したのは「ワンストップサービス」です。このサービスがすばらしいのは、新規参入企業が、一度に、必要なすべての手続きを速やかに完了できることです。新規参入企業の負担を大きく軽減します。

もう一つは国際競争力です。蘇州工業園区の周辺には多くの国立研究所や大学があります。工業園区とこれらの研究所や大学が協力し合い、共同で新技術を研究開発することで、蘇州工業園区を産業基地から国際競争力を具えたハイテク工業園区に発展させているのです。蘇州工業園区のような場所が、中国のあちらこちらにあると聞きました。