佐竹 敬久 秋田県知事に聞く
日本トップクラスのお米と秋田牛を堪能してほしい


撮影/本誌記者 原田繁

秋田県は日本三大奇祭の一つ「なまはげ」など重要無形民俗文化財の登録数は17で日本一。また「秋田美人」と言われるように美人が多い事でも有名だ。佐竹敬久知事の家系は、江戸時代に秋田藩の角館の統治を行っており、知事は第21代当主にあたる。佐竹知事は取材に対し、「今年から本格的に中国からの誘客に取り組みたい」と熱く語った。

中国からの誘客に注力

 —— 中国からの観光誘客について、どのような取り組みをされていますか。

佐竹 最近、本県に来県される外国人観光客の数は、2015年は2014年より約20%増えていますが、東北六県とも、東日本大震災の影響で、中国も含めて海外からの誘客は大震災以前の水準に戻っていません。

そういう中で現在、東北観光の認知度向上と、国内・海外の観光客等の誘致を推進し、観光産業の振興と東北経済の発展に寄与することを目的に設立された「東北観光推進機構」としても中国からの誘客に注力しています。

本県としては、今年現地にそのためのコーディネーターを置く予定で、LCCなどの航空会社、旅行エージェントと連携をはかり、チャーター便の受け入れなど、本格的に取り組んでいきます。

日本の流行歌に尾形大作の『無錫旅情』がありますが、この歌は無錫政府が日本の歌謡協会に頼んでつくった曲なのです。無錫には素晴らしい湖があるけれども日本人が来ないということで観光誘客のためにつくられたのです。すごいなと思います。これも面白いなってね。

秋田ブランド―「あきたこまち」「秋田牛」「比内地鶏」

 —— 知事一押しの県の特産品は何ですか。

佐竹 やっぱり秋田は炊き立てのお米が絶対おいしいです。「あきたこまち」ですね。おかずが要らないくらいです。それから、鶏も豚も牛も日本のトップクラスです。「秋田牛」は日本でもチャンピオンクラスの牛です。以前上海から来られたお客様に「比内地鶏」を使用したきりたんぽを食べてもらったら、非常に美味しいとの評価を頂きました。ですから、ものすごくおいしいお米と肉文化、さらに、リンゴ、サクランボ、ナシ、モモなどレベルの高い果物がございまして、これまでも中国の方に非常に喜んでいただいています。

中国と日本海沿岸都市の交流の実現に向けて

 —— これまで中国との経済交流等について、どのように取り組まれてきましたか。

佐竹 まず甘粛省とは1982年に友好協定を締結し、5年ごとに周年事業をやっており、特に医療関係の研修生が毎年本県の病院で先進医療の研修をしています。あとは莫高窟などの遺跡の合同調査、国際交流員の受け入れなども行っていて、市民訪問団もたくさん行っています。

実は私の書いた書が甘粛省蘭州市の博物館に飾られています。「渭樹江雲(いじゅこううん)」という杜甫の詩です。渭水のほとりで夕日を見ながら友(詩人の李白)を思うというもので、以前蘭州市に行った時、前の市長も書いたからと要請され、秋田市長だった時に書かせていただきました。

それからもう1つは吉林省と1998年に経済交流の締結をしており、2001年からは吉林省の延辺、朝鮮族自治州の農業関係のご縁で、翌年から国際交流員を受け入れています。延辺の朝鮮族自治州政府には、秋田で研修を受けた方が何十人といて、皆が秋田弁をしゃべれます。

中国政府はこうした経済交流を非常に重要視しています。なぜかというと、中国から日本海に出る港がないからです。本県からロシアのポシェト港まではすごく近いのですが、ロシア側は開港してくれません。あそこが通れれば、中国と日本海沿岸の都市の交流は飛躍的に発展するはずです。今、実現に向けて、延辺の政府と韓国、ロシアのウラジオストクと本県と毎年交流会を開催しています。

それから最近では、2010年に天津市と友好交流の合意書を締結しています。天津はクルーズ船の大基地があり、本県もクルーズ船の受け入れに積極的に取り組んでいます。現在天津ではドイツなど世界各国の租界の保存と復元に取り組んでおり、これは地理的にも近い観光地になり得ると思い、インバウンドとあわせて、天津との交流に重点化していこうと考えています。

遠慮深いがサービス精神旺盛

 —— 秋田県の県民性について教えてください。

佐竹 おとなしく遠慮深いですが、一旦知り合いになればとことん親切でサービス精神は旺盛です。ですから来県された方は非常に喜ばれますね。もう1つは食い道楽、飲み道楽。お客様がおいでになりますと、あまりコストを考えないでごちそうする。やっぱり豊富な農産物とお酒が一番の誇りですからこれを堪能してもらいたいのです。

一昔前の中国では白酒(バイチュウ)で乾杯をする習慣がありました。私は結構中国の市長と飲み比べをして勝つことが多かったのです(笑)。秋田県人は日本で一番酒に強いですから。その意味で、中国の方と宴会をやるとこれほど盛り上がることはないですよ。もうどっちもやめませんから(笑)。

取材後記

取材後に恒例の揮毫をお願いすると「一人 一切人」と書かれた。これは平安末期の良忍上人の言葉で、「一人の努力は多くの人々に波及し、その結果、多くの人々の努力を促し、今度は一人の人に良い形で返ってくる、そうなることによって、より良い社会が築かれる」という意味だと教えてくれた。知事のお人柄が凝縮された言葉だと感じた。