荒井 正吾 奈良県知事に聞く
1300年の感謝の気持ちを 込めて中国と交流

「1300年前、日中間の文化交流の日本の中心地は奈良であり、当時の中国との交流のお陰で、日本は大きく発展しました。1300年間、日本の歴史文化が連綿と続いたことに感謝の気持ちを込めつつ、東アジアの良き未来が築かれることを願っています」。本年5月、荒井正吾奈良県知事は自民党の二階俊博総務会長が主宰された観光関係者ら約3000人の訪中団に加わり、トップセールスで奈良をアピールした。先頃、日中間の観光交流、若者交流の重要性などについて、奈良県日中友好協会の名誉会長でもある荒井知事に話をお聞きした。

 

おもてなしを奈良の観光地ブランドに

―― 中国からの観光誘客の取り組みについて。

荒井 これまで中国からたくさんの観光客が来県され、大変嬉しく思っています。かつて朝鮮半島経由で中国文化が奈良に届きました。中国の“古い文化の薫り”が残っていることが奈良の魅力であり、中国の方々は神社や仏閣などを懐かしく思われ、楽しんで帰られるのだと思います。

観光誘客の基本は、来られた人に満足して帰ってもらうことが最大のPRになるということです。つまり、「観光地の有名さ」を競うのではなく、「サービスの良さ」を競うのです。サービスとは人のおもてなしです。奈良のどこを見て、何を食べて、どこに泊まって満足してもらうのか、ということに注力しなければなりません。観光力は総合力ですので、この点を心掛けています。

「奈良でゆっくり過ごしてください、心身とも気持ち良くなって帰ってください」というのが、奈良の最大の願いなんです。奈良はそういう空気を提供できます。そういったことが奈良の観光地ブランドとなって口コミで伝わり、「奈良は良いところだよ」と言っていただく人の数が増えることを願っています。

 

地方政府会合の開催で東アジアの発展に貢献

―― 中国との経済交流の取り組みについて。

荒井 現在、中国も日本も地方政府の課題は共通しています。例えば、高齢化社会における地方政府のサービス、観光振興や地域活性化による経済振興をどのようにすればいいのかなどです。

そこで、2010年に平城遷都1300年を記念する中核事業として、本県が提唱して、日本、中国、韓国をはじめ、アセアン諸国の地方政府とともに、「東アジア地方政府会合」を設立しました。

現在、参加地方政府は7カ国、66地方政府になっています。本県と友好提携し、交流のある中国陝西省をはじめ、河南省、江蘇省や西安市など、中国からは6つの省、8つの市が参加されています。

年1回、本県に集まり勉強会をするのですが、これまでに5回開催しました。このような地方政府会合を継続的に開催することにより、我々地方政府の行政能力を高めるとともに、相互の友好と信頼を高め、そのことが国家間の外交を補完しつつ、平和で安定した東アジアの発展に貢献できると考えています。

 

中国・アジアとの若者交流を推進

―― 中国との青少年交流の重要性について。

荒井 本年5月、自民党の二階俊博総務会長率いる観光関係者ら約3000人の訪中団に参加しました。その際、二階さんが、「北京から日本に500人の小学生を受け入れ、交流する」と話されました。

もちろん、本県もお引き受けしますと答えたのですが、実は、本県ではすでに中国などアジアの国々との若者交流に取り組んでいます。2011年より、中国、韓国等の東アジア各国の大学生・大学院生、地方政府職員を対象にした短期集中合宿型セミナー、「東アジア・サマースクール」を実施しています。

それぞれの国の文化を理解したいという若者が本県に毎年集い、日本語で授業を行います。講師の先生方は皆、大変立派な方々で、ユニークな授業内容です。

昨年、同スクールに参加された方の中からカップルが誕生しましたし、卒業した同窓生間のメール交換も活発に行われています。

これからの東アジアのグローバル企業や地方政府等のリーダーとして、東アジアという広い視野と素養と人脈を持って、グローバルに活躍できる人材の育成を目指しています。

 

奥ゆかしく控え目な県民性

―― 奈良県の県民性について。

荒井 沿岸部の人は海に向かって命を懸けるので進取的、街道筋の人はいろんな人の情報を集めて商売上手などと言われますが、本県のように山に囲まれている場合、性格は奥ゆかしく控え目で、保守的という部分もあります。

しかし、奈良の文化財がそうであるように、外来文化を1300年以上も大事に保存してきたことから、人や文物を大切にするという気風が強いと思います。

 

多様で楽しい中国人

―― 中国の印象について。

荒井 中国の方は実に多様で地域性があると思います。北の人はお酒が強く、南の人は開放的で陽気といった印象を受けます。

1990年代後半、鉄道局次長の時に、公務で初めて北京を訪問しました。帰りは一人で北京から特急列車で29時間かけて香港まで行き、帰国したのですが、車窓から見えた黄河に水がなかったのには驚きました。

また、2000年前後でしたが、初めて中国を公式訪問した海上保安庁長官というのが私の誇りです。その際、中国のお役所の方々と一緒に北京から瀋陽、大連を視察したのですが、みなさんお酒が強くて、私はそれほど飲めなかったのですが、とても楽しく思い出深いひと時でした。

 

取材後記

インタビュー終了後に恒例の揮毫をお願いすると、知事は『山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁』と書かれた。「これは、『日本と中国の国土は離れているが、大空の風や月に国境はない。同じ仏教を信じる皆さん、一緒に未来のご縁を結びましょう』という意味で、奈良時代の皇族・長屋王が詠んだものであり、中国の僧に送った1000枚の袈裟にこの漢詩が縫い付けられていました。このことを伝え聞いた鑑真和上が有縁の国と思い、日本渡航を決意したゆかりの詩です」と説明してくれた。