佐藤 雄平 福島県知事に聞く
福島の復興には中国との定期便の復活が急務

2011年3月11日、日本の東北地方で観測史上最大の地震が発生し、それによる大津波によって福島、宮城、岩手の三県で、およそ1万6000人の死者、2600人の行方不明者を出した。40万戸近い家屋が損壊し、数十万人が家を失った。その上、福島県民にとっては、地震がもたらした原発事故がさらなる追い討ちとなっただけでなく、エネルギー・産業構造に関わる復興への長期戦を強いられることとなった。それは大気、土壌、海洋に及ぶ放射能汚染だけでなく、現政権の原発依存のエネルギー政策にも問題を投げかけている。12年1月、佐藤雄平知事は国に対して県内の原発の全廃を要求した。それを補う産業として、再生可能エネルギーの推進や医療機器生産拠点の再生へ向けてモデルチェンジしたい意向を示し、この産業発展計画にあたっては中国企業と国民の協力が必要であり、福島-上海間の定期便の復活が震災後の復興には急務と語る。3月14日、佐藤知事に復興への課題等について聞いた。

 

 

復興には依然多くの課題が

―― 震災から3年が過ぎましたが、復興はまだ初期段階と言えます。今の課題は何でしょうか。

佐藤 地震・津波に伴う福島第一原発の事故は広範囲に深刻な影響をもたらしました。その中でも一番の課題は、未だ13万5000人もの方々が様々なかたちで避難生活を余儀なくされていることです。まずは、こうした方々が一日も早く安心して生活ができるようにすることが重要です。

そのためにやらなければならないことはたくさんあります。土壌や山林の除染、復興公営住宅建設の加速を同時に進めること、さらに、農畜産物や海産物の安全性に対する信頼を回復して、風評被害も早く払拭しなければなりません。一方で、被災地では、震災の「風化」も問題となっています。

福島県は昨年を「復興加速化の年」と位置付け、産業の活性化と人口流出を防ぐ施策に取り組みました。その結果、直接の被災地を除くと、産業活動はほぼ震災以前の状況に戻り、人口の流出にも歯止めがかかりました。

また、昨年まで築いた基礎の上に、本年を「胎動の年」と位置付け、本年秋から復興住宅に入居できるようにします。さらに来年も入居数を一層増加させ、復興が形に見えるようにしなければなりません。

 

再生可能エネルギー先駆けの地に

―― 昨年6月、知事は県内の原発を全廃し、再生可能エネルギーへの転換と同時に、福島県を医療福祉機器の研究開発・生産拠点にしていきたいと発言されました。エネルギー及び産業の発展計画についてお聞かせください。

佐藤 福島第一原発事故により、原発に対する安全性・信頼性は根底から崩れました。そうした中で、「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を復興計画の理念の一つとして掲げました。政策的には、再生可能エネルギー先駆けの地とし、原子力に依存せず、2040年にはエネルギーの自給自足、地産地消を実現させるという目標に向け、着実に進んでいます。

本年4月、福島再生可能エネルギー研究所が開所します。また、除染技術の研究等に取り組む、環境創造センターが着工します。福島県では、県内の原発全基廃炉を国と東京電力に求めています。これは福島県民の総意です。同時に、中国をはじめ世界各国は福島県の実態をよく見て、今後のエネルギー政策を考えてほしいと思います。

さらに、原発撤廃による産業の空白を埋めるため、今年、医療機器開発・安全性評価センターも着工させ、福島を全国の医療福祉機器の研究開発・生産拠点として、復興への歩み、そして加速する姿が県民の目に見えるようにしていきたいと思っています。そして、本県を再生可能エネルギーと医療関連産業の世界の先端地域にしてまいります。

 

復興には中国との定期便の復活が急務

―― 本年は福島県が中国湖北省との交流を始めて20周年、福島県上海事務所設立10周年ですね。現在の経済・文化等各方面における都市交流の状況についてはいかがでしょうか。知事のエネルギー・産業計画に対して、中国企業は何ができるでしょうか。

佐藤 福島県と湖北省との友好関係は20年になり、日本式に言えば成人を迎えたと言ってよいでしょう。この20年で多くの協定を結び、良好な関係を築いてきました。その中でも、武漢大学と福島県立医科大学は教師と学生の交流を続けています。また、県内の10の市町村が中国の地方都市と友好都市交流を締結しています。こうした関係を大切にしていかなければなりません。

知事就任後、毎年上海を訪問していました。それは、経済交流と文化交流がすなわち人と人との交流だからです。特に2009年に上海に行った時、福島県と上海市で経済の協議会をつくり、120の企業が関係を構築しました。当時は福島-上海間の定期便がありました。残念ながら、3.11の大震災による原発事故によって、空路が休止しており、経済交流も冷え込んでいます。今こそ協力関係を強化する時だと思うのです。一日も早く定期便を再開し、人的な交流、文化・経済交流を復活させるべきです。

そのために私は昨年北京を訪問し、福島県の現状と復興計画について話しました。しかし、外交上の問題があり政府の方とはお会いできませんでした。これまでの20年の交流を続けていくためにも、上海との定期便の再開は極めて大事なことだと思っています。福島の復興にとっても空路の再開は前進です。

 

青年交流が時代を拓く

―― 中日関係が困難に直面している今日、外交上の問題を解決するためには両国の青年交流が必要不可欠です。中日国交正常化前、青年時代に知事は代表団の一員として訪中されています。青年交流の重要性についてどう考えますか。

佐藤 私はこれまで十数回訪中していますが、中でも最も印象深いのが国交正常化の代表団の一員として訪中した時のことです。当時は香港から広州に入り一路北上しました。国民はみな同じ色の統一された服を着、通りに自転車があふれ、車はほとんど見当たりませんでした。人々はゆったりと生活していましたが、子どもたちの目は輝き生き生きとしていました。

日本と中国はアジアの隣国です。遣隋使や遣唐使の時代からの広範で深いつながりがありますから、今後さらに手を携えて新時代に向かって進んでいくべきです。本県は中国との交流を始めて20年の間に、多くの国際交流員を受け入れてきました。若者に私の通訳をやっていただいたり、県内の学校で講座を開いていただいたりしています。県だけでなく、県内の10の市町村でも交流活動をしています。

様々な問題に直面している時こそ、青年交流が力を発揮します。彼らが日中両国の未来を背負っていくことになります。今後福島県としても青年交流をさらに深めていきたいと思います。

 

中国からの観光客を歓迎

―― 両国の人的交流の強化は福島の観光産業に活力を与え、被災地復興の有効手段にもなると考えますが、中国人観光客の誘致についてはいかがですか。

佐藤 震災以降に落ち込んだ観光客数も今では震災前の9割の水準まで持ち直しています。中国人観光客もだいぶ戻ってきました。2012年、チャーター便で200人のミッションで訪中し、北京と上海で福島の正確な情報を発信してきました。また、福島県上海事務所で、両国間で行われている様々なイベントにも参加し、中国のミニブログ微博にも情報を掲載しています。

昨年、上海理工大学と清華大学の45名の学生を招待し、県内を視察してもらい、彼らに福島の最新の正確な情報を持ち帰ってもらいました。中国からの観光客を心から歓迎致します。

―― 福島県は山を背に海に面し、日本でも数少ない広大な平原を有し、福島県民は「人と地域」を礎とする共生・共栄を重視します。福島県民の県民性とはどういったものでしょうか。

佐藤 簡潔に言うと、絆が強いということです。相互扶助してみんなで地域を守っていこうとしており、また、みな人に優しく親切です。例えば、この冬豪雪がありました。国道4号線で多くの車が立ち往生してしまったのを見て、付近の仮設住宅に住む人たちが自発的に食べ物や水をドライバーに配りました。この方たちは原発事故の影響で家を離れ避難生活を送っている飯館村の村民でした。自分たちこそ助けが必要な状況なのに、他人に救いの手を差し伸べる。訪れた人は、この県民性に感動するのです。

 

編集後記:

佐藤知事は福島の復興に対し、明確な計画性と確固たる信念を持っている。しかし、現実は厳しい。震災の復興は長く険しい道のりであり、一人の知事の任期中に果たせるものではない。佐藤知事は震災後の3年間、重い重圧に耐え復興の道筋を付けた。彼が言うように、福島の子どもたちは将来に向かってどんどん前進している。どんなに時間がかかろうとも、どんな困難にぶつかろうとも、彼らは夢を実現することだろう。20年、30年、50年後、必ず世界から「見事に成功したな!」と称賛される日が来るだろう。