阿部 孝夫 川崎市長を訪ねて
中国は川崎の経験を生かしてほしい

明治維新以来、神奈川県川崎市は日本の重工業地帯の一つである。1960年代から70年代にかけて、人口の密集と工業の発展によって川崎市の都市環境は急速に悪化し、大気汚染、水質汚染が非常に深刻となった。数十年間の取り組みにより、現在の川崎市は世界において環境保全の先頭に立ち模範を示している。日中両国の社会で「PM2.5」が頻出語になっているなか、川崎市の阿部孝夫市長を訪ねた。阿部市長は感慨深げに1組の写真を見せてくれた。そのうちの1枚は1965年の川崎市を撮ったもので、空には黒い煙、川の水は赤い。もう1枚は2006年の川崎市で青い空と白い雲、水は澄んでいる。「前者が明日の中国でなく、後者が昨日の中国でなければいいのですが」と阿部市長は語った。

 

瀋陽とは「老朋友」

―― 川崎市と北九州市は、環境問題で大きな成果を挙げており、同時に世界でも有数の先端技術産業都市の一つでもあります。現在、中国は大気汚染問題に直面していますが、川崎市は中国と環境分野でどのような交流をしていますか。

阿部 2012年、川崎市は瀋陽、上海、青島、塩城、香港など中国から8つのミッション団を受け入れました。その中でも瀋陽市は特に交流が深いです。川崎市は1981年に瀋陽市と友好都市となり、環境分野はもちろん、経済、文化、音楽などの分野でも、さまざまな交流を行っています。

2011年9月、瀋陽市が開催した「第10回中国国際装備製造業博覧会」に川崎の企業5社が参加しました。また、川崎市に蓄積した環境技術の交流について協力するという協定を結んでおり、瀋陽市は毎年、環境技術研修生を川崎市に派遣して視察、研修を行っています。この取組を国の環境省、経済産業省も支援してくれており、共同で様々な研究を進めています。

それから、香港貿易発展局と産業交流を行っています。これは、環境技術を含め中国に必要なものについて、中国の企業と直接協定を結んだりすることはやはり難しく、行政同士の協定を行っても、なかなか実際の取引につながらない。そこで、文化的にも似ている部分がある香港の貿易発展局と協力して、香港を通じた、市内企業の中国展開支援を進めています。また、香港で開催されているエコ・エキスポ・アジアにも2回参加しています。

そのほか、上海市とも交流しています。2010年2月、上海浦東新区の陸月星副区長が川崎市を訪問し、「川崎市・浦東新区の循環経済発展協力覚書」を締結しました。さらに、川崎市が毎年開催している「川崎国際環境技術展」には中国の大都市も参加しており、2013年には瀋陽、上海、青島、塩城、香港、マカオなどから出展がありました。

また、川崎に進出するアジア企業を迎えるため、2004年から川崎市では「アジア起業家村」構想を推進しています。民間企業とともに、川崎に進出するアジアの国々の企業に創業支援、経営支援、日常生活支援を含めた多方面のサポートを行っています。これまで33社が「アジア起業家村」に進出しており、そのうち22社が中国企業です。

都市文化の建設で中国と縁

―― 川崎市は工業都市であると同時に、文化都市でもあります。こうした文化都市の建設において、中国の都市と交流はありますか。

阿部 「音楽のまち」として、オペラで有名な藤原歌劇団と関係が深い昭和音楽大学が川崎市にあるのですが、そこが瀋陽音楽学院と音楽交流を行っています。また、2005年から、川崎市は毎年「アジア交流音楽祭」を開催し、アジアのアーティストを招いてライブステージを行っています。ウー・ルーチン、姜小青、alan、チェン・ミンなど中国の著名なミュージシャンが出演してくれています。

そして、川崎市には岡本太郎美術館もあり、多くの中国人見学者がいらっしゃっています。昨年1年間では上海の小中学生13名と瀋陽市政府視察団22名、中国青年代表団180名をお迎えしました。

それから、中国でも人気のドラえもんですが、「藤子・F・不二雄ミュージアム」来館者のうち3%は外国人で、中国人も多く来館しています。昨年8月には中国大使館からも50名余の館員の方々が見学に来られました。

また、川崎市は「スポーツのまち」でもあり、川崎市を拠点とするスポーツチームの中には、中国出身の選手も多いです。例えば、女子バレーのNECレッドロケッツには天津出身の張紫音選手、女子バスケットボールチームの富士通レッドウエーブにも天津出身の岳亭選手がいます。2012年5月のSEIKOゴールデングランプリ国際陸上大会にも、劉翔をはじめ中国から多くの有名選手が参加しました。

経済技術交流は領土問題と切り離して

―― 市長は東京大学を卒業し、自治省と外務省勤務を経て、サンフランシスコ総領事館の領事のご経験もおありです。現在、日中両国ともに新しい指導者に変わりましたが、新しい日中関係の構築についてはどのような見解をお持ちですか。

阿部 川崎市は環境分野で特に秀でています。中国からもよく川崎の技術の蓄積について研究しにきています。領土問題が発生した後にも、多くの中国の方たちが視察にみえました。川崎市は少なくとも、尖閣問題と関係なく、中国との交流を続けており、私は間違っていないと思っています。

昨年は日中国交正常化40周年という記念すべき年でした。この尖閣諸島問題が大きくなった年に、私は村山富市、福田康夫両元首相とともに中国を訪問しました。日中両国間の経済交流と環境技術交流は、領土問題とは切り離して考えなければならないと思います。領土問題は純粋に政治的問題であって、どうにもならない要素が含まれています。しかし、もし経済交流と環境技術交流が政治問題のために中断されることがあれば、日中両国にとって取り返しがつかないことになります。尖閣諸島問題によって中国では反日デモが行われ、多くの日本企業が襲撃を受けて大きな損失を被り、中国企業も影響を受けました。私はこのことについて大変遺憾であるとともに、大変悲しく思います。とにかく、川崎市は中国各地の都市との交流については領土問題に左右されず、交流を続けたいと思います。

中国の環境問題については、川崎市はその問題の先輩です。約50年前、川崎市は現在の北京市と同じように、深刻な大気汚染の問題がありました。

とはいえ、当時の日本政府は経済発展を優先していました。川崎市民は結束して反対運動を行い、その後、川崎市は条例を制定して企業を規制したり、企業と協定を結び、企業が排気や排水等の処理装置をつけるようになり、国の規制が始まりました。

環境汚染対策の分野は、非常に時間がかかります。もし一度に企業を規制すれば、企業に負担がかかる。企業も儲けなければならないので、規制は徐々に進めていく必要があり、5年、10年すぐかかってしまうのです。ですから、今からきちんと規制をして、企業に義務付けをする、あるいは国が補助金を出して進めていく必要があります。日本でも規制を行おうとした当初、法律の抜け穴をくぐろうとする多くの企業に遭遇しましたが、現在はかえって企業のほうが政府よりも環境保護に対して積極的です。

地方行政では外国人に参政権を

―― 川崎市は人口144万人の大都市で、多くの在日華僑、華人が住んでいます。外国人の参政権問題についてはどのように考えていますか。

阿部 個人としての考えですが、外国人参政権問題は二つに分けて考える必要があると思います。地方行政から考えますと、川崎市に住んでいる人はみな市民で、地方自治体が決めるどんな施策も市民の日常生活に関わっています。ですから、たとえ外国籍の市民であっても、彼らの意見を聞く必要があります。

一方、地方自治体の業務の一部、例えば県における警察業務などは国家的な役割を担っています。国家間では尖閣諸島問題や北朝鮮の拉致問題など様々な利益の対立があり、国政と密接な関係がある部分については、やはり国籍を持つ人に認める必要があります。しかし、それには相互主義という例外があります。例えば、協定を締結して、中国で日本人に投票権を認めるので、日本でも中国人の投票権を認めましょうというような場合です。

川崎市では、1996年には外国人市民代表者会議を設置しました。公募した中から26名の外国人市民の代表を選び、市の施策に対する貴重な意見をいただいています。また、2008年制定の『住民投票条例』によって、外国人市民の市政の重要案件に対する投票権を付与しました。

中国は短期間で環境汚染を改善できる

―― 何度も中国を訪問されていますが、中国の印象はいかがでしょうか。

阿部 中国で一番印象深いことは、開発、発展のスピードが非常に速いということです。初めて瀋陽市に視察に行ったのは2002年で、2回目は2011年、昨年も行きましたが、行くたびに新しい景色になっていて驚きます。

ただ、それと同時に、瀋陽市の大気汚染は日々深刻になっているとも感じました。以前の川崎市を彷彿とさせます。これは大変残念だと思います。でも、中国は何かを成し遂げようとしたら、そのスピードはとても速い。そういう意味では中国政府の力が大きいと思います。ですから、もっと積極的に環境問題の解決に向けて取り組むべきだと思います。