伊藤 祐一郎 鹿児島県知事を訪ねて
中国の新指導体制に期待

1972年9月、田中角栄首相が大平正芳外相、二階堂進内閣官房長官を伴って訪中し、中国の指導者であった毛沢東、周恩来と協力し、日中国交正常化を実現させた。その二階堂進氏の故郷は、日本の南の玄関と呼ばれる鹿児島県にある。鹿児島県は地理的には日本の南の端のほうにあるのだが、江戸末期に「倒幕運動」の誕生の地の一つとなり、「維新の三傑」のうち西郷隆盛と大久保利通の二人はともに鹿児島県人である。1868年の明治維新以降、鹿児島県人は明治政府の要職に就いた。よって、鹿児島は「人傑地霊」(土地柄やそこに住む人が優れている)の地であるというのも言い過ぎではないだろう。2012年11月21日、伊藤祐一郎鹿児島県知事の東京出張の折り、この総務省出身の知事を都道府県会館に訪ねた。

10年後の日中経済交流のため準備

―― 近年、鹿児島県を含む九州地方各県が上海に事務所を開設しています。鹿児島県はなぜ上海事務所を開設されたのですか。

伊藤 21世紀の経済発展において日中両国はウィンウィンの関係のパートナーシップを持つ必要があります。中国は日本の最大の輸出先で、鹿児島県にとっても重要な輸出先です。

中国では食品の安全に関心が集まっています。鹿児島県では中国の人々に安全安心な食糧生産基地であると知っていただくことを目標とし、県庁でもこれを柱に中国との経済交流をはかっています。

いかに輸出を中心に日中貿易をさらに発展させていくかについて、鹿児島県では次々と具体的な方策を打ち出していきたいと考えています。鹿児島県の上海事務所の開設は、現地での各種の物産展や交流会などの開催や中国の各企業との商談に役立つと思います。実際に、おっしゃるとおり福岡県、熊本県など九州各県はみな上海に事務所を開いています。

現在、中国には北は大連から南は上海に至るまで、多くの鹿児島県企業があります。中国に進出している鹿児島県企業は製造業が主ですが、その中では稲盛和夫氏の京セラが最も有名です。ここで強調したいのは、京セラの創業者である稲盛和夫氏も鹿児島県人だということです。同社は鹿児島県内に3つの大型工場を持っていますが、中国上海地区にも工場があり、日中両国の京セラ工場間では頻繁に従業員の視察や研修が行われています。

中国進出企業が往々にして直面する問題は、どのような形で中国と交流、連携を行うかということです。中国市場は大きいですが、中国と日本では商習慣など異なるところもありますから、企業にとってどの地域と連携するかということが重要です。鹿児島県が上海との連携を選択したのは、上海が世界経済の中心であり、また鹿児島から一番近い中国の大都市でもあるからです。現在、すでに2、3社の県の酒造メーカーが上海に子会社を設立していますし、私自身も上海に行き政府の方たちと交流しました。

その交流のなかで、中国ではアルコール度の高い焼酎を好む人が多く、鹿児島県で飲まれているようなロックやお湯割といった焼酎の飲み方は好まれないということに気づきました。しかし、中国料理と焼酎はいい組み合わせだと思います。このほか、中国では人間関係が重要ですから、鹿児島県が中国との経済交流を進めようとするなら、現地で広く人的交流を行わなければならないと思います。これも上海事務所を開設した理由の一つです。

また、日本・香港間は定期航空便も多く、香港とは商習慣もほとんど同じですので、香港を窓口にして中国大陸の市場を開拓できないかと考えています。鹿児島と香港の経済交流はすでに30年を越える歴史があります。

現在、鹿児島県の畜産品関連企業が香港に毎月相当数の高級黒毛和牛の牛肉を輸出しています。鹿児島にとっては、香港を通じて大陸との貿易を行うことも発展ルートの一つでしょう。

10年後、中国は経済大国になっているでしょうから、私たちが現在やるべきことは、具体的な問題を解決し、10年後の経済協力のためによい形を作っておくことなのです。

中国人観光客急増の可能性

―― 鹿児島県には豊富な観光資源があり、「観光大国」「グルメ大国」でもあります。同時に日中友好の先達である鑑真和上が中国から渡ってきてたどりついた地でもあります。鹿児島県の中国人観光客誘致のための具体的な方策を教えてください。

伊藤 東日本大震災の影響などで、鹿児島県に来る中国人観光客も以前より減少しています。しかし、近い将来、日本に来る中国人観光客は大幅に増加すると思います。私はこの点については楽観しています。

現在、上海から鹿児島への定期航空便は週2便運航していますが、中国東方航空が順調に運航できるよう、鹿児島県は財務面を含むさまざまな協力をし、中国観光客の航空券の負担を小さくしようとしています。このほか、鹿児島県は中国の各旅行会社に対し、さらに多くの中国人観光客に鹿児島を知ってもらえるように働きかけています。これは日本政府だけでなく各地方でも同じような努力をしています。

今後、中国の人たちの収入は現在の2倍になるでしょう。鹿児島県は空気もきれいで食べるものもおいしいので、私は中国からの観光客に青い空と美しい水の中で数日間過ごしていただき、ゆっくりリラックスしていただきたいと思います。

習近平体制の中国に大きな期待

―― 今年は日中国交正常化40周年の年であり、また両国が定めた「国民交流友好年」でもあります。鹿児島県出身の二階堂進・元官房長官は田中角栄氏に協力して日中国交正常化を実現させました。中国での第十八回中国共産党全国大会からの新体制について、どのように見ていらっしゃいますか。

伊藤 日中両国は一衣帯水の隣国であり、両国が平等互恵の立場を重視しなければ、お互いにさらなる発展は望めません。

中国の経済の台頭は日本にビジネスチャンスをもたらします。日本は経済・技術・省エネ・環境保護の分野で中国に貢献できると思います。日中両国が広範な分野で連携すれば、両国民に実質的な利益をもたらすことができるのです。

日中関係はいろいろありながらもずっと発展し続けてきました。矛盾や意見の相違は避けられませんが、矛盾や意見の相違にこだわっていては未来はありません。日中関係はよく「政冷経熱」と形容されますが、日中両国民の民間交流にはしっかりした基盤があり、尖閣諸島などの問題の影響は受けないと信じています。私は、この基盤に基づいて交流をいっそう促進させ、相互信頼を深め、新たな両国関係を構築していくことを重視すべきだと思います。この意味からも、私は「習近平体制」下の中国に大いに期待しています。

「利」よりも「義」を尊ぶ鹿児島県人

―― 鹿児島県は明治維新のふるさとであり、傑出した鹿児島県人が日本を新時代へと引っぱりました。知事は鹿児島県の「県民性」についてはどうお考えですか。

伊藤 鹿児島県は日本の南にありますので、ここで育った人は陽気で、性格は開放的で率直、もてなし上手で、コミュニケーションにも長けています。また鹿児島県人は「利」よりも「義」を尊ぶ熱血漢です。鹿児島県人は進歩思想を持ち、常に挑戦し、革新精神に溢れています。鹿児島には「跳べるかどうか迷って泣くぐらいなら、思い切って跳んでしまえ!」という言葉があります。しかし、同時に生活上は保守的で伝統を重視します。保守と革新を同様に重んじる、というのが鹿児島県人の特徴だと言えるでしょう。

中国は安定的かつ持続的に発展していく

―― 知事は過去に何回中国にいらっしゃいましたか。もっとも印象に残っているのはどんなことですか。

伊藤 50年前、東京大学の学生だったころから中国に注目していました。『毛沢東語録』も読みました。

初めて中国に行った1977年、天安門広場で自転車の大群を目の当たりにして、その「自転車王国」の様子は強く印象に残りました。しかし、21世紀に入ると天安門広場の前に立つと見えるのは車ばかりになりました。たくさんベンツも走っていて、非常に驚きましたし、信じられない思いでした。鄧小平氏の改革開放路線のもと、中国経済はわずか30年間で迅速に発展し、世界をリードし始めています。

最近、私は上海から南京行きの新幹線に乗りましたが、沿線に広がる工場地帯は、アメリカのカリフォルニアによく似ているとの印象を持ちました。産業規模だけではなく、シェアの大きさから見ても、中国はすでに世界的レベルです。

発展の過程では、どの国家でも、産業と環境の調和、都市と農村の格差などの問題が生じることは避けられません。問題があるにしても、中国全体としてはよい方向に進んでいます。私は、中国はこれからも安定的かつ継続的に発展し続けられると思っています。

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インタビュー終了後、伊藤祐一郎知事に縁起物の可愛い子ブタをプレゼントされて、鹿児島県人のおもてなしの心を実感した。また、「和顔愛語」(和やかで温和な顔つきと言葉)という揮毫にも、人生や日中関係がさらに発展していくようにという意味が込められているように思われた。