蒲島郁夫熊本県知事は、「異色の人」といわれている。日本で勉強していた頃は優等生ではなかったが、ハーバード大学で博士号を取得している。かつて農協で3年間勤めた後、日本の最高学府である東京大学の教授となるなど、「異色」の道を歩んでいる。政治家、小説家、牧場主といった夢を持ち、農業に従事したり、本を執筆したり、政界に身を投じたり、夢に向かって歩んできた。また、1980年代に蒲島氏の著作『政治参加』は中国語に翻訳されて中国でベストセラーとなった。そして、『逆境のなかにこそ夢がある』の中国語版もまもなく出版される。熊本県庁で、蒲島知事にインタビューした。
中国の若者には無限の可能性
―― 知事の略歴を拝見しますと、高校生の時はけっして優等生でなかったのに、現在は政治学者で、政治家でもあります。今の若者は自分や将来に対して自信を持てない人が多く、中国も日本もそうですが、このことをどのように考えていますか。
蒲島 高校では成績が悪く、家も貧乏でしたので、大学には行っていません。ただ夢がありました。だから、私は18歳で劣等生で高校を卒業したのですが、28歳でハーバード大学の博士コースを卒業しました。50歳の時には、東大法学部の教授になることができました。そして、61歳の時に熊本県知事に当選しました。この3つを成しとげられたのは、夢を持っていたからです。
私には若い頃から3つの夢がありました。1つ目は阿蘇で牛を飼いたい。2つ目は政治家になりたい。3つ目は小説家になりたい、というものでした。高校を卒業してから農協に就職し、その後アメリカに農業研修へ行きました。そして、24歳で大学に進み、さらにハーバード大学で政治学を勉強しました。その後、研究に専心して、筑波大学と東京大学で教鞭をとりました。
中国の若者にも日本の若者にも4つのことを言い続けています。「1つ目は人生には無限の可能性があるということ。2つ目は、今の状況が悪ければ悪いほど、将来の喜びが大きいということ。3つ目は、まず夢を持ち、さらに持つだけでなく一歩を踏み出すこと。そして、4つ目が、一歩を踏み出したら、120%の努力をすること」。
中国は、今、ものすごい発展過程にありますから、特に中国の若者には日本より可能性が大きいと思います。
中国は熊本県の最重要な市場
―― 中国で有名な国際情報紙『環境時報』に熊本県のマスコットキャラクター「くまモン」を紹介したことがあります。熊本県は中国でもよく知られています。中国観光客の誘致について伺いたいと思います。
蒲島 知事に就任する際に、マニフェストで県民のみなさんに4つの約束をしました。1つ目は「熊本の活力を創る」こと。2つ目は「アジアとつながる」こと。3つ目は「安心を実現する」こと。4つ目は熊本県の「百年の礎を築く」ことです。「アジアとつながる」ということでは、特に中国とのつながりをとても大事にしたいと考えています。それを踏まえて、上海に熊本事務所を置き、広西壮族自治区の一番の繁華街に熊本広西館を設けました。そして、熊本の多くの企業が中国進出の足掛かりをつくるために、アセアン博覧会、半導体博覧会などに積極的に参加しています。さらに、こうしたことだけでなく、熊本と中国との航空路線を設けたいと思い、今、南方航空と交渉中です。
空と海の直通便がないので、中国の観光客の方は、まず福岡や佐賀の空港や博多の港から、熊本に来ています。熊本は魅力的な観光地です。南は鹿児島に、北は福岡に接していて、「火の国」としても、「水の都」としても有名なところです。世界最大級のカルデラ、1400以上もある温泉の源泉、水道の蛇口をひねればミネラルウォターが出てきます。さらに、ここ熊本には他では真似のできない観光サービスがあります。それは中国のお客さまへの120%のおもてなしの心です。
また、福岡や佐賀から九州に入られる中国の観光客の方が多いということでは、福岡からも佐賀からも近い南関町にあるホテルセキアは重要な役割を果たしています。中国の観光客の方には、福岡や佐賀の空港から入り、阿蘇や九州各地の観光地を楽しんでいただくなど、九州全体で売り出していければと思っています。
また、10月には熊本県八代市で開催される花火大会に併せて上海発の大型クルーズ船が初めて八代港に入港することになっています。一度に2000人の方々が中国からいらっしゃいますので、熊本ならではのおもてなしでお迎えし、熊本に来て良かったと感じていただければと思っています。
広西との交流を深める
―― 今、「釣魚島(日本名:尖閣諸島)」の問題で日中関係はぎくしゃくしています。しかし、今年は日中正常化40周年で、広西壮族自治区と熊本県との友好提携も30周年を迎えますね。熊本県ではどのようなイベントをやっていますか。
蒲島 日中間で摩擦が起きても、日中友好は共通の目標です。ですから、国同士でどのような摩擦があろうと、最終的な目的は友好を実現することです。日中の交流史において宮崎滔天と孫文の友情は広く知られていますが、宮崎滔天は熊本県荒尾市の出身で、熊本県が中国との国際交流を深めていくための精神的な象徴となっています。そこで、国交正常化40周年を記念して、今年11月に、革命を助けた宮崎滔天と孫文との関係を示した展覧会を、孫文記念館で実施します。(注:後日、中国側からの提案により開催延期となった。)
日中間で長期的な友好関係を築いていくには、両国の地方レベルの交流や民間レベルの交流が欠かせないと考えています。これまで30年間にわたって、広西壮族自治区と熊本県は兄弟のような関係であったのですが、これは非常に稀なことです。
今年の7月、広西壮族自治区と熊本県の友好提携30周年を記念して、南寧市で交流大会が開かれました。私は7月に発生した「九州北部豪雨」の対応で出席できませんでしたが、小野副知事が160名の「熊本・広西壮族自治区友好提携30周年記念訪問団」を率いて、交流大会に参加しました。
その大水害で熊本は大きな被害を受けましたが、中国駐福岡総領事館の李総領事から、お見舞いの言葉をいただきましたし、被災状況を広西壮族自治区に知らせていただきました。広西壮族自治区からは30万ドルという巨額の見舞金までいただきました。これこそ30年来の友好の証であり、私も県民も大変感銘を受けました。この恩をお返しするためにも、広西との交流を全力で推し進めていきたいと思います。
熊本は山よし、水よし、人よし
―― 熊本県の「県民性」について教えてください。
蒲島 明治時代、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身校)に英語の教師として赴任してきました。この八雲が熊本スピリッツは何かというものを3つあげています。簡易、素朴、善良です。
熊本県民は自分のことを威張ることがなく、派手でも無く、わざとらしい振る舞いもなく、まさに簡易、素朴、善良といった人間性を持っていると思います。
熊本には加藤、細川の400年の優れた歴史・文化、豊かな自然・景観、そして豊富な地下水といったものがあります。その象徴が日本三名城の一つ熊本城であり、阿蘇のカルデラ、大草原といったものだと思います。また、100万人を超える熊本都市圏の生活水を、全て地下水でまかなうということは、他に類を見ないことで、それほど豊富な地下水源が熊本の産業を支え、そして県民の心を潤していると思います。
素晴らしい熊本スピリッツは、加藤・細川の文化や阿蘇の草原、豊かな地下水、こういったものから育まれてきたのではないかと思います。私は知事として、これを後世に伝えなくてはいけないと思っています。
偉大な中国の発展に期待
―― 中国には何回行かれていますか。印象深かったことは何ですか。
蒲島 10回ほど行きました。最初は1988年の上海で開かれた拙著『政治参加』の中国での出版記念パーティでした。上海に行きますと、道がすごく広い。しかもまっすぐでした。建物の大きさ、バリエーションと、とにかくダイナミックでした。日本ですと、東京でも福岡でも、建物はだいたいがまっすぐで四角ばっかりです。でも上海に行くといろいろな形があります。すごくイノベイティヴだなと感じます。
広西壮族自治区に行って、経済発展のダイナミックさ、加えて、人々の心の良さがたいへん印象的でした。それに南寧市の周紅波市長とはハーバード大学ケネディスクールの同級生だったのです。
都市の経済は急速に発展し、人々はあたたかくて親切だというのが、私の中国に対する印象です。
しかし、これから中国は経済発展の負の部分が出てくるでしょう。一つは環境、それから貧富の格差の問題です。環境問題については、自動車のモータリゼーションが電気自動車の方に行けば解決できるのではないかなと思っています。今は、経済発展と環境保護を両立できるテクノロジーがありますので、中国はそうしたものを生かして発展していくのではないかと思います。
また、中国共産党の理念は平等性を重視することですから、中国には貧富の格差を解消する方法があると思います。中国共産党はそういう力を持っています。平等の方に経済発展の果実をどんどん分配していけば、中国は素晴らしい平等な国になると思います。中国が良くなっていくことを期待しています。
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