落合 貴之 衆議院議員
政治献金を受けない国際派政治家


撮影/本誌記者 呂鵬

民主政治の下で、政治献金は常態化している。企業団体による無償の献金には、如何なる利益還元も必要ない。ところが、政界にはびこる灰色の政治献金が、度々メディアに糾弾されている。

こうした背景の下、立憲民主党の落合貴之衆議院議員は、この弊害を打破すべく、日本の政界で数少ない政治献金を受けない政治家となった。

1979年生まれの彼は日本の政界では若手である。大学時代から世界を旅し、訪れた国は30カ国以上に及ぶ。8月末、世田谷区の事務所を訪ね、落合貴之衆議院議員を取材した。

国民の視点で物事を考える

—— 先生は日本の国会議員で数少ない企業団体からの政治献金を拒否した議員でいらっしゃいます。大変勇気ある決断であったと思いますが、ご自身の選挙にとって不利になるとは考えませんでしたか。そのことで、他の議員を喚起することは可能とお考えでしょうか。

落合 正直なところ、選挙にとってはマイナス面もあります。日本の選挙制度を理解している人なら誰でも、候補者にとって宣伝が非常に重要であることは承知していて、一人でも多くの人に名前を覚えてもらおうと必死です。ネット選挙、ポスター、チラシ、選挙カーと、宣伝にはお金がかかります。資金の多い人ほど当選の確率は高くなっています。

政治献金は合法とされていますが、受け取ってしまえば頭が上がらなくなり、見返りを要求されれば、便宜を図らざるを得なくなるでしょう。ですから、たとえ選挙に不利であったとしても、国民から信頼され、国民の視点で物事を考えられる政治家でありたいと思います。実際、政治家が企業団体からお金を受けとるところを見たいと思う国民はいません。

私は、企業献金が無くても選挙活動はできるということを実際の行動で示し、議員の皆さんに、お金のかからない選挙のお手本を提供したいと思っています。例えば、地域の人たちにチラシの配布などを手伝ってもらうよう呼びかけ、賛同者が増えていけば、これこそが、あるべき民主主義の姿です。

政治献金を拒否する仲間が増えることを願っていますが、実際に行うのは決して簡単ではありません。

若者の政治離れは教育モデルの遅れが原因

—— 日本の若者の政治離れは進む一方で、低投票率を更新しています。若者の投票率を上げるために、投票が可能な年齢は20歳から18歳に引き下げられ、インターネット投票の導入も検討されています。先生は、大学生だった2001年、前年に沖縄で開催された主要8カ国首脳会議を参考に、学生版G8サミットを開催されています。日本の若者が政治や選挙に無関心な理由は何だとお考えでしょうか。先生は何故、学生時代に政治に関心を持ち、政界に進出しようと思われたのですか。

落合 日本の選挙制度は100年以上前に確立され、1946年以降、20歳以上のすべての男女に選挙権が与えられ、2016年6月からは18歳以上に引き下げられました。

今日の優れた選挙制度は、一連の建設と改善を経て確立されたものであり、民主主義社会の特長でもあります。しかし、人々がこれに参画し維持していかなければ、その特長を活かすことはできません。残念なことに、現在、日本の投票率は20代で20%台、30代で30%台です。

その原因は、教育モデルの遅れにあると考えます。日本人は強者や長老に従い、教師や上司の言うことをすべて受け入れるよう教育されています。政治家や年長者、地位の高い人物に対して、意見を述べたり反対することは失礼であり、無作法なことであると考えられているのです。

男女平等の選挙制度が75年前に実現しているにもかかわらず、教育モデルは民主主義社会実現以前のままなのです。日本の若者が政治に無関心なのはこのためです。「自分が口出しをする問題ではない」と考えているのです。

こういった社会文化や教育モデルが、イノベーションや起業家が少ないという現象を引き起こしています。少し突出した行動をとると、冷遇、嘲笑され、「変わってる人」として扱われるのです。

日本人はよく集団主義的だと言われ、国際競争においては確かに一定の優位性を発揮しています。そこに、ある程度の個人主義が加われば、社会の発展にとって有益と考えます。

私の学生時代、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦は解体され、冷戦が終結するなど国際情勢は激変しました。国内では政権が交代し、政治の世界に大きな関心を抱くようになりました。授業中、こっそり政治家の伝記を読んでいたこともあります。

細川護煕政権の時代、首相特別補佐であった田中秀征議員に手紙を書き、お返事をいただいたことがあります。それが若者にとっては大きな励ましとなり、政治の世界に入る決心をするきっかけになりました。

私がそのような経験をしたので、政治家になってからは、若者と交流する機会を多くもつように努めています。そうすることによって、彼らの政治への関心が高まり、政治に参加してくれるようになると思うのです。

一生のうちに全世界を旅する

—— ある意味、先生も「変わってる人」に属するのではないでしょうか。日本の観光庁の統計によると、日本人の海外旅行者数は年々減少しており、日本の若者は一般的に留学や海外旅行に消極的です。先生はこれまでに30カ国以上を訪問されていますが、その原動力は何でしょうか。バックパッカーとしての経験は政治家としてのキャリアにどのように役立っていますか。

落合 若者の海外渡航と言えば、中国人はフロンティア精神に富み、大航海時代以前から、その足跡はマダガスカルにまで及んでいますね。

私自身について言えば、学生時代に、一生のうちに全世界を見て回ろうと決意しました。本に書いてあることだけでは満足できず、実際に自分の目で見て、空気を感じ、現地の人と食事をしたりお酒を飲んだりしてはじめて、一国或いは一民族を理解することができました。

私は先ず、日本の47都道府県を走破し、その後、計画を立てて、一年間に少なくとも五カ国を旅しました。当時の私は、時間さえあればアルバイトをして、お金が貯まったらリュックを背負って貧乏旅行に出掛けていました。一晩500円の一番安い宿に泊ったこともあります。

いまどきは、グーグルアースで世界中の風景を見ることができ、マウスを動かすだけで、雄大なピラミッドを味わうこともできます。それでもやはり若い人たちには、時間を見つけ、お金を貯め、外の世界に出て行ってもらいたいと思います。彼らの人生にプラスになることは間違いありません。

政治家は、他国や他人の視点から物事を考え、他国の文化を理解尊重しなくてはなりません。それは政治家に限らず、ビジネスマンにとっても大切なことです。

私は中国の多くの都市を訪問してきましたが、2007年に行った上海の旅で大きな衝撃を受けました。上海は建設と開発が進み、未来都市に発展していました。リニアモーターカーも稼働していました。当時、世界でも上海だけだったのではないでしょうか。私はその時、中国経済は二年もしないうちに日本を追い越すだろうと予測しました。結果として、2010年、中国のGDPは初めて日本を抜きました。

「遠くの親戚より近くの他人」と言います。日本は中国とアメリカに挟まれた国ですが、両大国と連携することもできますし、ハブとしての役割を果たすこともできます。コロナ禍で、日中両国間における様々な資源の共有、医療協力が非常に重要だということも分かりました。

今や、一年間に数億人が飛行機で移動できる時代です。ウイルスも同じで、感染に国境はありません。これからは人間と人間が争う時代ではなく、ウイルスが人類の共通の敵です。

政治も経済もグローバリゼーションに対応してこそ

—— 世界に目を向ける国際派政治家として、今後最も取り組みたい課題は何でしょうか。

落合 二つの大きな課題があります。それは個人的課題であり国際的課題でもあります。第一に、政治はグローバリゼーションの負の部分に対応していかなければなりません。この度のコロナ禍で、WHOなどの国際機関は、本来果たすべき役割を果たせていないことが浮き彫りになりました。今後、国連は各国の利益を調整する中立的な組織を構築し、国際ルールを確立していく必要があります。

第二に、グローバル企業の海外における課税には再考が必要と考えます。グローバル化の進展に伴い、資本と労働力はさらに税率の高い国から低い国に流れるようになります。現行の税収制度は50年以上前につくられたものです。まだ先の話ですが、グローバル企業やインターネット企業のように固定された拠点を持たない企業は、税金を予算配分の一環として、直接国連に収めるという仕組み作りもありえるかもしれません。

政治も経済も、グローバル化に対応し、中長期的計画を立てるべきです。継続的な精進と改革によってのみ、長期的かつ成熟した発展を実現し、将来直面するであろう、より深刻な危機を回避することができるのです。