下村 博文 文部科学大臣を訪ねて
日本と中国は共通利益を探して関係改善を

人生には不幸がつきものである。不幸は人生の転機となり、その人の人生において、志をたてる一つのきっかけにもなるものだという。安倍内閣の59歳になる下村博文、文部科学大臣もそうした一人である。

話は50年前の出来事である。下村博文氏が9歳になったばかりのとき、お父さんを交通事故で失った。家では、9歳、5歳、1歳の3人の男の子とお母さんの親子4人が苦しい生活を送ることになった。そのころ、下村氏は二人の弟と一つの卵を分け合って食べた。貧しくて家には一冊の本もなかったが、小学校の図書館の蔵書の3分の1、つまり1000冊以上を読んでいた。高等学校に入った年、日本政府が交通事故で親を失ったこどもたちに奨学金を提供するため、「交通遺児育英会」を設立した。運よく第一期奨学生となり、奨学金によって高校を卒業することができ、さらに日本の私立大学の二大雄と言われる早稲田大学に合格した。

いつからかは分からないが、「すべての子供たちが本を読めるように」という理想を抱くようになった。小学校5年生のとき、先生が本好きな下村氏に「博ちゃん、君は将来文部大臣になれるよ」と言った。幼い子どもの脳裏に先生の一言が刻まれた。そして、その夢が現実になったのである。2012年12月、第二次安倍晋三内閣の文部科学大臣に任命された。

2010年9月3日、かつて記者は衆議院議員会館に、当時自由民主党政務調査会副会長の下村氏を取材するため訪れた。2013年2月27日の午前、今回記者は文部科学省大臣事務室に、再び下村氏をインタビューした。

驚いたのは、日本の学校における「愛国心教育」などの問題について、記者が大臣に話を聞こうとしたところ、大臣は微笑みながらこう言ったのである。「この問題については、自分なりの考えがあります。しかし今日は誤解が生じないよう、この問題については話さない方がいいと思います。日本の文部科学大臣として、今日は当面の日中関係にとってプラスになることをお話したいですね」。

日本は留学生援助費用の3分の1を中国人学生に

こうして、話題は留学生の問題から始まった。下村氏は説明してくれた。「福田康夫内閣のときに2020年までに受け入れて送り出す『留学生30万人計画』が制定されました。この計画が実施されてから現在まで約5年が経過しています。日本に留学した外国人は約12万人前後で、国外へ留学した日本人は約7万人です。2020年までにあと7年ありますが、この様子では2020年に『留学生30万人計画』の目標を達成することは大変むずかしい。個人的には、留学生の人数が停滞している主な理由は二つあると考えています。一つは多くの若者が男女に限らず、外に出ていかない傾向があること、もう一つは家庭の経済的な問題です。現在、安倍内閣は、政策の重きを日本経済の再生に置いています。文部科学省も政府とともに、2020年には日本国内にいる留学生と海外へ出る日本人留学生の数が30万人に到達するよう頑張っているところです」。

データをあげながら記者に話してくれた。「2012年、日本政府は約1万3000人の中国人留学生に奨学金を支給しました。総額は約104億円になります。このなかには、学部生と修士、博士課程の中国国費留学生1735名が含まれていて、その支給額は30億円になります。また、人物、学力ともに優秀で経済的に困難な中国人私費留学生9149人にも、『文部科学省外国人留学生学習奨励費』として約58億円を支給しました。留学交流支援制度に基づき、中国人の学部生と修士、博士課程の1666人に、約16億円を支給しています」。さらに、「日本が1年間に外国人留学生に支給した奨学金の総額は年間300億円です。2012年を例にとれば、この300億円のうち三分の一は中国人留学生に支給されています」と話した。

1980年代に日本に来た「老留学生」の一人として、記者は最近日本に来る中国の留学生の変化に関心を持っている。下村氏は、2002年、在日中国人留学生は5万7935人で、2012年には8万6324人に増え、10年間で2万8389人増えていると記者に教えてくれた。

下村氏は視点を変えてこう語った。「2000年に中国へ留学した日本人は1万3806人で、2010年には1万6808人になっています。この10年間に3002人増えたことになります。比較してみると、2000年にアメリカへ留学した日本人は4万6497人でしたが、2010年までの人数は2万1290人に減っています。この10年間で2万5207人少なくなっているのです。つまり近年、日本人は中国留学を選択する人がアメリカ留学を選択する人より増えていることが分かります。全体的にはアメリカ留学が多くても、いずれ中国へ留学する人とアメリカへ留学する人の数が逆転するだろうと確信しています。日本にとっては、アメリカは依然として重要な国でありますが、現在、中国の存在感はすでにアメリカを越えていると思います」。

さらにこう続けた。「私が思うには、人間というのは自国だけで暮らしていると、外国に対する認識や理解が偏ったり、正確さに欠けることになりがちです。こうした意味で、日中両国の留学生の交流は、両国の相互理解と相互信頼にプラスになると思います。今後、政府としても、日本人が中国へ留学したくなり、中国人が日本へ留学に来たくなるような良い環境と雰囲気を作り出すような努力を続けていきたいと思っています。これは日中の両国関係を発展させるうえで、非常に大切なことです」。

日本は中国の環境汚染改善に協力したい

最近の中国の深刻な都市の環境汚染問題に話題が移った。下村氏は、日本は中国の都市環境汚染対策に協力したいと考えていると話した。「1960年代、70年代の経済の高度成長期に、日本は多くの都市で深刻な大気汚染現象にみまわれました。東京もかつては汚染がかなりひどかったです。長年の努力によって、現在、東京の空はいつもさっと掃き清めたような青空で、一年中、毎日、富士山が望めるくらいです。環境汚染対策面で、日本は技術先進国と言えます。日本と中国はお隣同士です。日本が中国の大気汚染の改善に力をお貸しして、北京、上海など大都市の環境問題が解決されることを願っています」。

「日本で汚染が一番深刻であった三重県四日市には、かつて『四日市病』という喘息が起こりました。公益財団法人の『国際環境技術移転センター』(ICETT)がありますが、ここは日本の環境保護関連産業の中心的存在になっています。このセンターは現在、日本の環境保護関連企業が中国に進出することを押し進めています。日本は中国の環境保全問題に様々な技術援助を提供できると思いますし、日中両国の企業や民間交流の発展にプラスとなり、両国の経済協力が強化されることになるでしょう」

また次のように語った。「今、日中間には尖閣(中国名・釣魚島)問題など、きわめて心配な事象が起きています。しかし、こういう時に、日中が環境保全面で心を合わせて協力しあえば、両国関係を改善する上でもプラスになるでしょう。猪瀬直樹東京都知事の、東京都は技術と経験を提供して、北京の大気汚染改善を援助したいという公式発表を見ました。日本政府、特に文部科学省も、こうした協力をしたいと思っています」。

中国は日本のオリンピック誘致を支持してほしい

文部科学省の報道担当者が、名刺の裏に「あと5分です」とメモ書きして記者に渡したとき、下村氏が記者に言った。「最後に、言いたいことが一つあります。中国の2008年オリンピックは大変成功しました。日本の国会でも超党派議員連盟を組織して北京オリンピックの開催を支持しました。現在、東京は2020年オリンピック開催に立候補しています。中国にも応援してほしいのです」。

下村氏は、話を続けた。「1964年、日本はかつて東京オリンピックを成功裏に開催しています。当時、日本はまさに経済高度成長期にあり、東京オリンピックの開催は日本の経済発展に大きなチャンスを与え、日本の戦後復興のシンボルの一つとなりました。現在、東京は2回目のオリンピック誘致を申請しています。目標は2つ。一つは全世界に日本の3.11大地震の復興を見てもらうこと。震災後、世界の国々が日本に送ってくださった様々な支援に感謝を示したい。もう一つは、世界に東京が人類と環境が調和共存している先進都市であることを示したい。私は中国が東京のオリンピック誘致を支持してくれることを切に願っています」。

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インタビューを終え、記念に揮毫を依頼した。すると、ちょっと考えてから大臣席に戻り、「意志あるところ必ず道あり」と揮毫された。これは中国の「志のあるものは最後には成功する」、「努力は心ある人を裏切らない」などとほぼ同じ意味である。

いま、中日関係は厳しい状況に遭遇している。中日両国間には、もはや互いを必要としていないという考えを持つ人もいる。しかし下村氏は安倍政権の閣僚として、日本が中国の留学生を歓迎し、中国の環境汚染対策に援助することを願い、中国が東京オリンピック開催を支持するよう希望していると語り、中日関係の共通利益をもとめて推進している。これは大変難しいことであるが、同時に一つの「意志」の表現である。