鳩山 由紀夫 元首相を訪ねて
外交に失敗すれば戦争につながる

今、日本の政界の要人のなかで、日中両国にとって釣魚島(日本名・尖閣諸島)が係争地であるとあえて公式に発言しているのは、おそらく元首相である鳩山由紀夫氏ただ一人であろう。彼は安倍晋三内閣の小野寺五典防衛大臣に「国賊」と呼ばれた。しかし、彼は迷わず前に進み、自己の信念を曲げない。2月26日午後、記者は東京にある鳩山由紀夫事務所を訪れ、インタビューを行った。

  

―― 今年1月、北京で中国の要人と会談し、日中両国は釣魚島の帰属問題には係争が存在することを認め、共同で解決をはかるべきだとおっしゃいました。その当時、日本国内で批判されることを予想されていましたか。この発言の真意はどこにあるのでしょうか。

鳩山 日本では経済が不振で、国民は自信を失っている現状で、政治的には強硬な論調が現れています。そのなかで正しいメッセージを出そうとすると、国賊呼ばわりされるのかも知れません。しかし、一番重要なことは冷静になり、日中の隣国同士がお互いに信頼を深め、歴史を正しく見つめると同時に、歴史の教訓を生かし、未来への道を切り開いていくことです。

歴史上、領土問題は「実効支配」している方は常に「領土問題は存在しない」と言い、「実効支配」されている方は、決してそれを認めず、そこに問題が生じるのです。「領土問題は存在しない」というのは非常に挑発的であり、それは相手に対して話し合いに応じる必要はないと言っていることです。歴史的に見ても、このような発言は正しくありません。

尖閣諸島問題では中国にも主張する理由があるし、日本にもあります。ですから、双方が係争があることを認めてから、解決に向けて次のステップに進むべきです。領土問題については、感情論だけでは解決できず、大事なことは歴史を尊重し、両国の交流の成果を踏まえて対処することなのです。

40年前、周恩来総理と田中角栄首相が会談し、さらに鄧小平副総理と日本側との間でも会談が行われました。彼らはこの問題を「棚上げ」という方法で処理したのです。現在、日本の外務省は、この事実を認めていないかも知れませんが、事実の存在は争えません。私の中国での発言は、現在の政治家は先人たちの知恵に学び、冷静になって、話し合いによって解決していくことが両国にとって大事だということなのです。

日本政府が「領土問題は存在しない」とあくまで主張するならば、この問題は解決できません。日本がそのような挑発行為に出れば、当然、中国もそれに応じざるを得ません。これでは双方が望んだ結果にはなりません。私は日中両国の政治家と国民が40年間努力して積み上げてきた結果が、一挙に崩れてしまうようなことを看過することはできません。

私は中国での発言が日本国内で批判されることを予測していました。しかし、怖じ気づいて中国との信頼関係を築く努力をしなければ、両国にとってプラスになりません。両国にとって「ウィン-ウィン」となる状況をつくるための発言ですので、私は今後もこのように行動していきます。

―― 民主党政権の初代首相も務められましたが、3年間で対中政策はたびたび変更され、民主党は果たして明確な対中政策を持っているのか、わからなくなりました。これについてはいかがでしょうか。

鳩山 民主党結成時には、日本の外交が対米依存しすぎている状況となっていましたので、外交上ではよりアジアを重視したいと考えました。民主党は「日米安保条約」の存在は重要ではあるが、米国だけに依存するのではなく、日本は急速に発展するアジア、特に中国と良好な関係をつくるべきであり、そのためにはきちんと過去の歴史を学び、反省もしなければならないと考えました。ですから、民主党政権は当初、対中関係を重視する政策をとっていました。私が代表を離れ、続く菅直人首相が参議院選挙で負けた時が転換点となりました。これ以降は、民主党政権の外交政策をはじめとするすべての政策で、野党である自民党の協力がないと国会を通過しないという状況になり、対中政策も調整せざるを得なくなりました。

私が首相の時に提唱した「東アジア共同体」の構想は、米国に警戒心を抱かせ、私は「虎の尾を踏んだ」と言われました。その後、民主党政権の外交政策は日米安保を基礎とした米国従属の方向へと向かった。つまり、民主党政権の外交政策は対米重視へと転換してしまったのです。

―― 民主党政権の初代首相となってから1年足らずで辞職されました。これは単に「短命の首相」というだけでなく、民主党の「短命政権」を示唆していたようです。この辞職は米国の圧力に屈したとか、背景には米国が影で手を引いたという見方もありますが、いかがでしょうか。

鳩山 まず、辞任は私の力不足によるものと申し上げておきます。元外務省国際情報局長で評論家の孫崎享氏は、私の首相在任中に打ち出した「東アジア共同体」構想と、沖縄の米軍普天間基地について最低でも県外移設を要求したことの二つが、米国の鳩山政権に対する懸念を生じさせた、と分析しています。米国全体がそのような危機感を抱いたということではないにしても、日米安保を重視している人たちは米国の外交に影響力を持っています。彼らは鳩山は危険な方向に向いていると見たのでしょう。率直に言えば、政権を実際に動かしている官僚が米国の意向を事前に察知し、鳩山の言う方向に動く必要はないと考え、米国を怒らせないようにしたのです。そういう米国の意向を忖度する日本の官僚たちが、私が進めたかった外交政策に対して抵抗の姿勢を示した、というのが実態だったと思います。

―― 後継の菅直人元首相、野田佳彦前首相の外交政策についてはどう評価されますか。

鳩山 さきほどお話したように、民主党は参議院選挙で敗北したことが、菅直人政権が外交政策を変更した重要な転換点となりました。私は辞職するに当たり、菅直人氏に今後の外交関係をどうするか意見を求められ、「日中関係」、「日韓関係」、「日米関係」と書き、この三つをうまく処理できれば日本の外交はうまくいくと言いました。私は「東アジア共同体」構想を継続してほしいと希望し、私も全力でサポートすると言いました。当時、菅氏は「わかった」と言いました。菅氏は私の外交路線を継続するという強い意思を持っていたのですが、民主党内部の違う考え方や自民党からの圧力、外務省の動きなどが、周囲の環境を変化させたのです。彼らは私の「短命政権」を反面教師として、菅氏の外交政策を変えさせたのです。その結果、菅政権と野田政権は以前の自民党政権の時期と変わらない外交政策に戻っていったのです。

―― 鳩山家は代々中国と浅からぬ縁があるということですが、ご自身も中国では大変有名で、日中友好事業にも関わっていらっしゃいます。鳩山家と中国との関わりについてお聞かせください。

鳩山 祖父の鳩山一郎は日中関係を非常に重視していました。戦後、世界は冷戦の時代に入り、日中国交正常化は実現できませんでした。しかし、第一次鳩山一郎内閣では腹心の石橋湛山を通して、日中間の民間貿易を進展させる協議を達成し、戦後の日中関係の基礎を固めました。石橋湛山らが構築した「民を主とし、官を補とする」という外交方針は、日本の政界に数十年間影響を与え、「小日本主義」と呼ばれました。

祖父の鳩山一郎は「友愛」を提唱し、青少年育成を目的とした「友愛青年同志会」を創設しましたが、現在この会は「日本友愛協会」と改称しています。協会が多くの中国の青少年を日本に招聘し、何カ月間か日本企業で研修してもらい、中国に帰国してから日本で学んだ知識と技術をさまざまな分野で活用していただいています。このほか、協会では福建省アモイで植樹活動を毎年2回行っており、環境問題と職業訓練を通じて、中国との「友愛」を深めています。今年は私もアモイでの植樹活動に参加するつもりです。

―― 日本の政府要人として習近平総書記ともお会いになっていますが、どのような印象を持たれましたか。

鳩山 現在までにこれまで4回習近平総書記にお会いしています。彼はとても安定感があり、中国を治めていくのにふさわしいリーダーだと思います。中国にこのようなリーダーが生まれたことはとても安心です。彼は名誉をひけらかす非友好的な人ではなく、お会いするたび彼はとても真面目であり、人と衝突したりしない人であり、一歩一歩確実に進むリーダーだと思いました。彼はあまりお酒は好まれないようで、それもとても印象に残っています。

また、私は李克強さんともお会いしましたが、彼もとても頭の切れる人だと感じました。私はこのお二人の政治に非常に期待しています。

――  今年は「日中平和友好条約」締結35周年です。今後10年間の日中関係は将来の両国にとって非常に重要です。日中関係は今後どのような方向に進んでいくと思われますか。

鳩山 もし、尖閣諸島問題が解決できないままだと、何が起きるかわからないという、一触即発の状況も続くでしょう。もしどちらか一方が挑発的行為に出たり、相手の挑発行為に応えるようなことになれば、外交の失敗から戦争へと発展しかねないのです。東郷和彦・元外務省欧亜局長は「外交の失敗は戦争を招く」という言葉をずっと念頭に置き、のような局面が発生しないように努力したが、現在の日本の若い外交官にはそのような危機意識がなく、いつも安心感を持っていて、事態の悪さを認識していないという現状を大変心配していると言っていました。

現在、尖閣諸島問題を「棚上げ」から下ろし、「紛争」となってしまったことは、外交上の大失敗です。だからこそ、この問題は早く解決しなければなりません。私もそのために努力したいと思います。

今後の5年、10年、20年の日中関係を展望し、私は東アジア共同体研究所を設立するつもりです。まず安保から着手し、そして環境、教育、文化、エネルギーなどの分野で研究を進め、「東アジア共同体」構想をさらに深めていきます。私は、日中双方がさまざまな分野での信頼関係を構築できれば、たとえ一つ問題が発生しても、基礎の部分での信頼関係は保てると信じています。私は日本、中国、韓国の近隣3カ国が最大限協力関係を築いていくことが、東アジア地域の安全、経済、環境などの方面にプラスになると期待しています。何としてでも、その方向に進めていくよう努力したいと思っています。