山口 那津男 公明党代表
日中関係は再び“氷を砕く旅”が必要な難局に

2012年年末、日本では総選挙が行われ、三年余りの民主党政権は内政においても外交においても民意を得られず、国民にノーを突きつけられた。政権を奪還した自民党と“返り咲き”を果たした安倍晋三首相は、いかに苦境を突破していくのか。2013年1月末、安倍首相が連立を組む公明党の山口那津男代表を中国に派遣したことが注目を集めた。中日の国力の対比の変化に伴って、中日関係はすでに、以前“氷を砕く旅”で改善できたほど簡単ではなくなった。2月22日午後、参議院会館に公明党山口那津男代表を訪ねた。代表は、多方面による着実な努力が必要だと強調した。

  

日中対話チャンネルを構築

―― 2013年が明けた一月末、中日関係が最も困難な時期に、安倍首相の盟友として訪中されました。山口代表の訪中についてメディアの評価は様々です。その成果と意義についてどうお考えでしょうか。

山口 2012年9月以降、日中関係は緊迫した局面を迎え、政治のハイレベル対話も途絶えてしまいました。つまり、両国を主導する政治家同士の対話のチャンネルが失われてしまった。その後日本は総選挙が行われ、民主党政権から自民党政権に交代しました。

民主党の野田政権で日中関係は悪化し、現場は緊張し、政治対話も途絶えてしまいました。我々公明党は早くこの状況を変えなければならないと思いました。

習近平氏が総書記になられて中国の新指導部体制がスタートしました。日本もこのタイミングに合わせて、民意を得た政権をつくるべきだと考え、何度も野田首相に早期解散を求めました。少し遅いくらいでしたがやっと解散しました。

公明党と自民党が連立政権を組む際に、私はまず安倍さんに、2013年の通常国会が始まる前に訪中して、再び政治のハイレベル対話の窓口を開きたいと話しました。安倍さんも大いに賛同してくれ、「是非行ってください」と言われました。こうして私の訪中はスタートしたのです。

この訪中には二つの意味があったと思います。日本の外務省と中国の外交部間の対話はもちろん重要です。しかし、これだけでは関係改善の窓口は足りません。今、最も大事なのはやはり、両国の政治家同士が直接会い、お互いに信頼を深め、その信頼関係を強くしていくということです。これが一つ目です。

二つ目に、習近平総書記は、今年3月の全国人民代表大会で国家主席に就任されます。続いて新しい指導部が選出され、この時に新体制が確立します。日本は国会会期中であり、来年度予算を通さなければならない重要な国会で、政治家は動きにくい。夏になると参議院選挙があり、各政党も忙しくなります。そうすると日本も中国も交渉・対話の時間が持てなくなり、現場の緊張も続く。この状況下、早く行動を起こさなければならない。それで国会が始まる前の1月中の訪中が最も肝心だったのです。

今回の訪中が実現したのは、日中両国の各界の方々の尽力によるものです。

安倍首相の習近平総書記への親書もお預かりしました。これが政治対話の窓口を開く第一歩でした。親書をお渡しする際、我々の「日中首脳会談の実現に向けて政治対話を重ねていきましょう」との提案を受けて、習総書記は「政府のハイレベルの交流が重要です。真剣に検討します。実現のために積極的に雰囲気を作っていかなければならない」と表明されました。これが今回の訪中の最大の成果だったと思います。両国の対話のチャンネルは繋がりました。日中双方がこの成果を重視し、共に首脳会談の実現に向けて努力していかなければならないと思います。

 

野田政権の幕引きを要求

―― 内政問題は野田政権の国会解散の要因の一つに過ぎず、他にも当時、野田政権はロシア、韓国、中国と領土問題を抱えており、彼の“領土外交”が日本の外交の行き詰まりを招き、解散するしか出口がなかったという見方があります。この点はいかがですか。

山口 その通りです。民主党政権では、沖縄の基地問題でアメリカとの関係がギクシャクし、中国、韓国、ロシアとも摩擦が生じ、日本と近隣諸国との関係は停滞、混乱しました。これらの改善が急がれました。

同時に、日本から見ると、関係する多くの重要諸国が相次いで新体制になりました。中国では習近平氏が新しい総書記に選ばれ、韓国では女性の大統領が選出され、アメリカではオバマ政権が二期目に入りましたが、閣僚はみな交代しました。ロシアは早々に昨年の初めに大統領選を行い、日本だけが旧政権のままでは新しい改善は得られません。ですから日本に改善のチャンスをつくるために早く解散する必要があると考え、我々公明党はそのために努力を重ねてきました。

 

安倍親書の内容

―― 昨年8月、民主党政権で野田首相は中国のリーダーに親書を送りましたが、中日関係は好転しませんでした。今回の安倍親書の内容をご存知の範囲でお話しいただけますか。

山口 親書ですから見ることはできませんが、安倍首相からは聞いていました。二つの点が強調されています。一つは、日中両国は責任ある大国として、アジア太平洋地域の平和と安定のために尽くしていきたい。二つ目に、日中関係は最も重要な二国間関係の一つであり、今後も大局的観点から戦略的互恵関係を発展させていきたいというものです。

 

習総書記には大人の風格が

―― 代表はこれまでに習総書記と4度会われています。会う度ごとに職責は違いましたが、習近平氏にはどんな印象をお持ちですか。

山口 一回目は2007年で、与党の政策責任者として訪中した時です。二回目は2009年で、習近平氏が国家副主席として訪日された時です。三回目は2010年の漁船衝突事件の後です。そして今回が4回目です。

習総書記は温和で品があり、大人(たいじん)の風格を感じます。相手の話をよく聞いて、自説に固執せず、自分の主張は理路整然と述べ、しかも相手の気持ちにも配慮できる方という印象を持っています。時に厳しい表情を見せることもありますが、それも人間としての自然な感情の吐露です。そしてすぐに穏やかな表情も浮かべられる。信頼でき率直に話ができる政治家だと感じています。そして、地位が上がるにつれて尊大で傲慢になるといったことも全くありません。一貫して威張ることもなく落ち着いた風格が深く印象に残っています。

 

公明党の対中政策は不変

―― 公明党は一貫した対中政策をとってきた唯一の政党と言えます。日中の歴史の節目の背後には、常に公明党の影の貢献がありました。今、自民党と連立を組んで再び政権に就きました。公明党の対中政策について聞かせて下さい。

山口 公明党を創立したのは創価学会の池田大作名誉会長です。池田名誉会長は民間の宗教団体のリーダーですから、政治の舞台では語られていませんが、国交回復に先立つ1968年には、国交正常化を呼びかける提言を発表しました。その実現のために、池田名誉会長は周恩来総理と書簡を交わしたり、意見交換したりして共に国交回復を進めていきました。中国では、池田名誉会長は新しい日中関係を作った“井戸を掘った人”の一人として称えられています。

公明党は池田名誉会長が創立した政党ですから、日中関係を重視し守っていく責任と義務があります。結党以来、公明党は一貫して中国との友好交流を推進してきました。今後もこの対中政策に変わりはありません。公明党と中国にはこのように信頼関係があります。この度の訪中でも、中国の要人の方々から公明党は国交正常化に大きな貢献をされましたと評価していただきました。公明党は野党の時も与党の時も一貫して日中関係を重視して発展に力を尽くすという姿勢は今後も変わりません。

この度の訪中で最も感銘を受けたのは、日中間の世代を超えた交流でした。正にその絆によって今回の訪中は実現したのです。ここで中国人民対外友好協会の李小林会長のご尽力に改めて感謝したいと思います。1974年の池田名誉会長の初訪中の際、李小林氏の父君の李先念副総理ら国家指導者とお会いしました。1982年9月には、公明党青年代表団が訪中し、習近平総書記の父君の、中央政治局委員、全人代常務委員会副委員長であった習仲勲氏が迎えて下さいました。現在、中国の政治リーダーは次の世代に移っていますが、こうした人間関係の結びつきは継承されているのです。日中関係を重視するという共通認識の下に、新しいリーダーの方たちが今回のチャンスを作ってくださったことに深く感謝しています。

今回公明党が訪中できたのも、多くの人脈のお陰です。そしてこのことが日中関係を維持していく上での大事な要素なのです。それは一朝一夕にできるものではなく、長い時間をかけて育まれるものです。今、日本では歴史を持った政党は少なくなりました。その意味から、一定の歴史的な人脈を持ちそれを発展させている政党の役割はますます重要になっていくと思います。

                               

インタビューの終わりに、記者は中国東方出版社から出たばかりの『日本の国会議員、中国を語る』を山口代表に贈った。これには2010年12月に記者が山口代表をインタビューした折の内容も収録されている。代表に「記念に本に揮毫してください」と言うと、笑いながら「それには交換条件があります。頂いた本にもサインしてもらいます」と。そして、山口代表は今回の取材を記念して“至誠一貫”と記した。中日外交において最も重要な心得は“至誠”であることを実感した。