田中眞紀子 衆議院議員(民主党:衆議院外務委員長)
日中国交で田中角栄氏は切腹を迫られる

ちょうど40年前になる。日本の政界に戦後初めて「草の根首相」——田中角栄氏が現れた。それから40年が経って、評価はさまざまだが、日本列島を改造した業績は無視できない。その中に、首相に就任してすぐに、大平正芳外相、二階堂進一内閣官房長官とともに中華人民共和国の首都北京へ行き、新中国の指導者、毛沢東、周恩来と日中国交正常化を実現したことがある。5月16日の午後、田中角栄氏の娘、田中眞紀子衆議院外務委員会委員長の議員事務所で、過ぎ去った歴史の事実、日中関係の現状に対する鋭い批判、将来の日中関係に対する期待について聞いた。

 

田中角栄氏は切腹を迫られる

―― 今年は日中国交正常化40周年にあたりますが、これはお父上、田中角栄氏と新中国の一代目の指導者との外交の偉業といえます。お父様についてエピソードを話していただけますか。

田中 日中の国交が回復してもう40年経ちました。今の日中の若い人の多くは、当時の時代背景を知らないのではないでしょうか。父は日中国交回復のために苦悩していました。

その頃のことは、よく覚えています。今、日中間には多くの問題があり、今後も新たな問題が起こると思います。その時には、父の信念と決断を思い起こしてもらいたいと思います。

あの頃は日本と台湾の間に「日華平和条約」がありました。自民党は「親台派」が主流を占め、日本と台湾が関係を断絶するなんて、まったく想像もできない時代だったのです。

その当時、日本では中国大陸の情況はまったくわかりませんでした。新中国の赤いカーテンの向こうには、本当に毛主席がいるのか、毛沢東とはどんな人物なのか、中国の人々はどんな生活をしているのか、日本では定かでありませんでした。

当時のニュースで、中国人が人民公社で大挙して労働している光景などは見ることができましたが、実態はよくわからなかった。

他方、父は口癖のように、「日中間は言うまでもなく長い歴史上のつながりがあり、今後も永きに亘って共存共栄していく必要がある。世界に優秀な民族が二つある。それはユダヤ人と中国人である。世界中で金融を支配し、あらゆる地域でコミュニティを形成している。自分は一命を賭して日中国交回復を実現する覚悟である」と、言っていた。

1972年7月7日、ちょうど「七夕」の日に、田中内閣が成立しました。「鉄は熱いうちに打て、機を逃すな」ということです。内閣支持率が高いうちに、その年の9月、父は北京へ飛び立ちました。

あの機を逃したら、日中国交回復は実現できなかったでしょう。日中国交回復の肝は台湾との外交断絶でした。日本中、ことに自民党の人々は父を「国賊」呼ばわりし、失脚させようとしました。

帰国後の父は、さっそく皇居で天皇陛下に訪中結果の上奏をし、その足で自民党両院議員総会に出席しました。

中国共産党と手を組んだことへの非難、台湾との外交断絶など、2時間以上にわたって田中外交が攻撃されたのです。

「腹を切れ」と議員辞職を要求され、あの日の父は疲労困ぱいして帰宅しました。

かねてより父は私に、「世界中を見せてあげたい」と、言っておりました。事実、エリザベス女王に拝謁したり、ケネディー大統領にもお目にかかりました。

しかし、1972年の日中国交回復の時には一人っ子の私は同行することができませんでした。その理由は、日本や台湾から刺客が送り込まれるかも知れず、また日本の軍国支配を恨む中国人から毒を盛られるかもしれないと危惧していたのです。

それほど緊迫した社会情勢の中で、私と父が一緒に訪中して死ぬようなことがあれば、田中家が絶えてしまうと、とても心配していました。

 

民主党上層部には中国の人脈が不足

――民主党の中国政策とこれまでの自民党の中国政策とでは、民主党は明らかに劣勢にあります。民主党は中国に人脈がないからだという意見もありますが、民主党の中国政策をどうみていますか。

 田中 残念ながら民主党は野党生活が長く、財政、外交など万般にわたって太い人脈がありません。しかも当選回数の少ない新人議員が主流です。

 日中両国のハイレベル外交でも互いに本音を言い合えるような状況を作り出せずにいます。

先般、唐家?先生が中日友好協会々長として訪日された際、旧知の間柄として、私の議員会館に来て下さいました。

その時私は、「尖閣諸島(中国名は「釣魚島」)問題」をめぐって、日本と中国の関係が緊張しています。夫の田中直紀が防衛大臣でもありますし、お手柔らかにお願いします。この話を中国の最高指導部にも伝えてください」と、申しました。

これほど率直に話し合いができるのは、お互いに長い親交と深い信頼関係があるからです。

外交は双方が国益を追求する行為

―― 日中間には80年代のような「蜜月」関係はなくなってきています。日中両国には政治面での摩擦が日増しに増えていますが、今後、どのように改善すべきとお考えですか。

田中 政治は経営学の貸借対照表のようなもので、収入があれば支出もあります。利益を追求すれば、負担もしなければなりません。そして、外交は双方が自国の国益を追求する行為です。相互互恵とはこのことです。

たとえば、安全保障の面で日本が憲法改正をしようとする場合、韓国や中国は、かつての日本の侵略を想起して、必ずや反対するでしょう。

常日頃から外交手段を通じて相互理解を深め、信頼の土壌が醸成されていることが必要なのです。

 今、目先にある国難に対しては、百年、二百年後の世界平和と相互国民の幸福のために、どうあるべきか、何をすべきか、ということを考えれば、おのずと道は開かれるのではないでしょうか。