海部 俊樹 元首相(自民党)
日中関係には大局観と決断力が必要

現在、日本の政界は「走馬灯」のように首相が交替しているが、海部俊樹氏は1989年8月から1991年11月まで首相を務めた。実は、もともと海部氏は首相就任の予定はなかった。当時、「我慢の人」といわれた竹下登首相がリクルート事件の責任を取り、竹下内閣は退陣した。続いて、宇野宗佑首相が、毎月30万円で愛人を囲おうとしたというスキャンダルがメディアに暴露され、その責任をとって辞職した。こうした情況のもとで、自民党最小の河本派のリーダーだった海部氏が党総裁となり、首相に就任したのだった。

1991年8月10日から13日まで、海部氏は首相として中国を訪問した。このことは1989年6月以降に初めて中国を訪問した「西側」の首脳として、当時、アメリカなどの中国に対する「孤立政策」を崩す突破口になったと言われている。

4月13日午後、永田町にある海部氏(81歳)の事務所を訪ねた。

 

アジアのはアジアの国々が決めるべき

―― 1990年代の初め首相に就任された時期は、中国国内の政局が揺れており、西側諸国は中国を孤立させようとしていました。そうした中で、西側先進国首脳として真っ先に訪中し、日中関係を改善の方向に進め、高い評価を受けました。当時、どのように訪中を決断されたのですか。

海部 随分前のことなので整理してお話ししましょう。当時私は基本的に、中国を孤立させるのはアジアと太平洋地域の発展に不利だと考えていました。 

そこで、アメリカのブッシュ大統領とイギリス首相のサッチャー夫人に、「あなた方は欧米国家の視点で中国を見ているでしょうが、我々はアジアの視点で中国を見ています。だから認識を改めてほしい」と話しました。

彼らからは、「海部さん、中国は日本の隣国ですが、あなたは中国に友好的すぎませんか」と批判されました。しかし、私は信念を曲げませんでした。世界情勢の大きな変化からみれば、中国が孤立するのは、中国の発展に不利なばかりか、欧米各国の発展にも、もちろん日本にとっても不利なことだ。日本と中国は同じ東アジアにあって、「命運」をともにしている。アジアの事は、アジアの国々で解決すべきだと主張しました。

その後、ブッシュ大統領とサッチャー夫人は、私の考えを理解してくれましたが、ドイツとイタリアの首脳は反対していました。結局、私は自ら決断して中国を訪問しました。

当時、国際社会の反対だけでなく、与党の自民党内にも多くの反対意見がありました。彼らからは、「今は中国の政局が不安定だから、行かない方がよい」と言われました。私は、そうした人たちと激しく論争しました。

「中国と疎遠になって、中国をアジアで孤立させたら、アジアはこれから発展できるでしょうか。そこをよく考えていただきたい。中国を孤立させるより、中国の潜在力を掘り起こし、アジアで中国の役割を発揮してもらうことによって、アジアも、日本も、朝鮮半島も発展していくのです。日本はこういうチャンスを中国に与える責任がある。これを実現するためには、先ず中国を訪問し、話し合わねばならないのです。私が中国へ行くことを反対するのは、間違っている」と主張しました。

今だから話せますが、その訪中の際、天安門広場にも行って、人民英雄記念碑に花輪を供えました。そこには、「人民の英雄は永遠に不滅である」と。先進国の首脳としては初めてでした。

こうしたことには、日中関係への政治的な大局観と決断力が必要です。もちろん、中国へ行ってから、中国自身も孤立を回避すべきだと、中国の指導者に話しました。

中国が西側に不満をもっており、帝国主義は中国の敵だと、いつまでもこういう事ばかり言っていたら、敵対関係が続くだけで、何も解決しない。だから、中国も西側との関係を調整してほしい、と話しました。幸いにも、中国政府も私の考えを受け入れてくれました。

 

日中は本音の交流を進めて相互理解を

―― 日中両国は現在、政治と安全保障面の相互信頼がまだ不十分との見方がありますが、訪中経験をもつ立場から、中国とはどのように付き合うべきでしょうか。今後の日中関係のあり方についてお聞かせください。

海部 それには、できる限り何回も会って、腹を割って本音で話すことです。相手が怒るだろうから話さないとか、この話題は適当でないから言わないでおこうとか考えずに、思ったことは何でも言うべきです。

日中のハイレベル交流で、歴史問題は語られるべきですが、いつもこの問題を話していると話題が狭まってしまう。過ぎてしまった事をいくら追究しても、歴史を戻すことはできないのです。

日本は歴史の間違いを認めて、反省している。その上で、新しい関係を構築できれば、日中の友好関係はもっと速く良くなっていくでしょう。まだまだ日中間の相互理解が足りないと思いますね。

かつて北京大学に名誉教授として招かれたことがあります。ある座談会で、私は中国人の学生に「日本が孫中山の辛亥革命をどのように支持したか知っている人はいますか。手を挙げてください」と質問しました。

ところが、手を挙げた学生は一人もいなかった。この事を通して、日中間の相互理解が少なすぎると感じましたね。過去の歴史があったとはいえ、互いに理解がなさすぎる。日本と中国は私心をはさまずに、誠意をもって多方面の交流を深めなければなりません

当時、私は楊尚昆国家主席に何回かお会いしました。やさしい大先輩という印象でしたね。食事をしたこともありますが、父と食事をしているような気持ちでした。私の質問には丁寧に答えてくれたものです。

たとえば、私がゴルバチョフと交流があることをご存知で、「ゴルバチョフは立派な指導者です。しかし、国を治める順序を間違えましたよ」と腹を割って話してくれました。私は「順序とは何ですか」と尋ねました。

「まず国民の衣食を満たすことです。国民全体の素養を高めたり、理念を掲げるのは、それが解決してからです。しかし順序を間違えた。理念で腹はふくらまないですよ。日本も中国もこのことを忘れてはいけない」と。

私は悟りを開いた気がしました。「日本へ帰ると、主席との対談について聞かれると思いますが、この事を話してもよろしいですか」と率直に聞いてみました。「いいですよ」と主席は承諾してくれました。

また、先ほどの「ソ連は国家政策の順序を誤った」というお話を日本で伝えてもよろしいですかとも尋ねました。すると、「あなたの自由です。私がとやかく言う事ではないでしょう」と答えられた。これが腹を割った話し合いで得られる信頼というものです。

 

日中は環境保護での協力が必要

―― かつて日本は、高度経済成長期に大気汚染などの環境問題に直面しました。現在の中国でも同様の問題が起きています。地球環境行動会議の顧問という立場から、日中両国は環境問題にどのように取り組むべきと考えていますか。

 海部 これまで、日本の代表として「地球環境行動会議」に3回出席し、中国など各国の代表と討論してきました。

この数年、偏西風に乗って、中国の汚染物質が日本まで流れてきている。私は中国側の代表に、こういう状況をご存知ですかと尋ねました。中国側は、知っていると答えました。しかし、こういう事は、一人の力で変えることはできません。中国が悪いとか責めようとしているのでもありません。

日本も同じような問題がありましたが、努力して、技術を開発することにより、今では大気汚染はコントロールされています。もちろん、日本にもまだ改善の余地はあります。

私が顧問をしている地球環境行動会議は2年に一回開かれます。中国側の代表に、次回の開催地を上海にして、アジアの国の代表に現地の情況をみてもらうのはどうかと提案したことがあります。

中国と日本などアジアの国々が、環境保護の分野でより協力できればとの思いから提案しました。日中両国はお互いの子孫のために、環境保護の分野で協力しなければならないと考えています。

 

毎年、日中友好を深めて

―― 日中両国政府は2012年を「日中国民交流友好年」と定めました。今年は日中国交正常化40周年ですが、こうした活動は初めてです。この意義をどのように考えますか。

海部 すばらしいことです。しかし、もっと身近に日中友好を深めていくことができると思います。つまり、毎年を「日中国民交流友好年」とするのです。

日本には「継続は力なり」という言葉がありますが、毎年、日中友好を促進する活動を続けていけば、20周年、30周年、40周年と区切る必要はなく、毎年が「日中国民交流友好年」になるのです。

 

名古屋市長の発言は歴史への冒涜

―― 最後に、お聞きしたいのですが、最近、名古屋市長が「南京大虐殺」を否定する発言をしましたが、どう思いますか。

海部 名古屋は私の故郷です。同じ名古屋の出身者として、市長に代わり中国国民にお詫び申し上げます(と言いながら、海部氏は記者に頭を下げた)。歴史上の事実を、その歴史を体験していない人間が、あのような愚かな話をするのは、全く歴史への冒涜です。

―― ご誠意に感謝いたします。