竹下 亘 衆議院議員(自民党:元財務副大臣)
中日両国は平和共存の「隣人」に

明年、中日国交回復40周年を迎える。「水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない」という。8月26日の午後、竹下前首相の弟で元財務副大臣の竹下亘・衆議院議員を訪ねた。

 中日両国は手を携えて世界平和を

―― お兄様の竹下登さんも議員も、中日関係のために貢献されています。これまで、中日関係は紆余曲折を経てきました。今後、中日関係が発展していくためには、どのようなことに配慮すればよいでしょうか。

竹下 兄の竹下登とは異母兄弟で、私は兄より23歳下です。兄の秘書になってから政界に入るようになりました。1972年に国交が回復されてから、中日両国は友好関係を発展させるために努力してきました。

竹下登が首相の時、南北朝鮮は国連に加盟しようとしていましたが、互いに排斥していました。アメリカと日本は、中国との協議で共通認識を得て、南北朝鮮を同時に加盟させるように推し進めていくことになりました。竹下登首相と李鵬首相の会談では、仮に南北朝鮮が同時に加盟できなかった場合、双方とも国連に加盟できなくなると見ていました。

当時の情況からすれば、もし韓国が先に国連に加盟すれば、中国と朝鮮は同意せず、もし朝鮮が先に国連に加盟すれば、アメリカ、日本、韓国も同意しなかった。ですから、同時に加盟するのが、双方の利益にかなう最良の選択でした。そこで、竹下登首相は中国に要員を派遣して朝鮮が協力するように説得してほしいと要請したのです。その結果、南北朝鮮の国連同時加盟が実現したのです。

中日両国が国際社会の中で協力し合って、世界の平和と発展を促すことができました。しかし、残念なことに、今の中日間にはこういう協力態勢がないですね。これは今後の中日関係において解決しなければならない課題です。     

 「隣同士」の課題解決には実務的選択を

―― 戦争の経験から中国に申し訳ないと思っている世代の政治家が亡くなり、日本の政界に中日友好に尽力しようとする気運が弱まってきたという見方がありますが。 

竹下 今の中日関係は、まったく良くないとは思いません。何か問題があれば、互いに協議する関係にあると思います。実際、双方には不愉快なこともあると思いますが、冷静に国家の利益を第一に考えれば、実務的な選択ができるでしょう。以前に比べれば、中日関係は良くなってきています。

 先輩の政治家たちは、年を重ねれば亡くなっていきます。肝心なことは、日本も中国も選択の余地のない「隣同士」で、互いに引っ越しができないということです。ですから、どうしたらお隣さんと仲良くやっていくのかということです。これには、政治家の智恵と度胸が必要とされるところです。

 中日両国には政治的信頼が必要

―― 安倍晋三首相の時に、中日両国間に「戦略的互恵関係」が打ち出されましたが、どのような関係でしょうか。

竹下 安倍さんは小泉さんの後に首相になられました。その頃の中日関係は、国交正常化以来、最悪でした。戦略的互恵関係を実現するには、多くの課題を解決しなければなりません。私個人としては、中日間の戦略的互恵関係は、やはり必要で、大きな方向では正しいと考えています。

様々な課題を解決していく過程で信頼関係を築き、自分の事だけでなく、相手の立場に立つことが大切です。戦略的互恵関係の「互恵」とはこういう意味だと考えています。戦略的互恵関係の中で重要なのは政治的な信頼です。

 中国の決断力とスピードを学ぶべき

―― 中日の経済関係は、めざましい発展をとげています。2、30年前は、主に日本が中国に投資していました。今では、中国企業が日本に大量に投資するようになり、日本のメディアはこのような情況を心配していますが。

竹下 経済関係自体が相互的なものです。日本の企業が中国に進出して投資していましたが、今では中国企業が日本に投資に来ています。これは良い現象といえます。投資の方向は、経済情勢や技術の進歩によって変化していくものです。

日本が最初中国に投資していたのは鋼鉄業などの業種でしたが、その後徐々に電子産業などに移行していきました。中国企業が日本に投資するのは、日本の市場と技術を重視しているからでしょうが、日本の市場はまだ開放されていません。これは国民の心理的な問題だと思います。

ハイテク分野に中国の投資が集中することを、日本の社会は心配しています。技術面での優位性を失うことを恐れるからです。当時、中国の海外投資を引き寄せる努力は相当なものでした。土地の面でも、税収の面でも、外資企業が優遇されました。日本も中国の決断力とスピ−ドの速さに学ぶべきです。   

 中国の高速鉄道は管理を学ぶべき

―― 当時、竹下登首相は、中国に日本の新幹線を積極的に売りこもうとしていました。現在、中国版の新幹線が運行していますが。

竹下 竹下登首相と李鵬首相は、中日友好のために多くのことを成し遂げました。1978年、故鄧小平副首相が来日された際に、新幹線に興味をもたれました。李鵬首相が日本を訪問された時も、箱根で新幹線の勉強会に参加されました。 

その頃中国は、日本或いはフランスの技術を導入して、北京から上海までの高速鉄道を建設したいと考えていました。李鵬首相は、当時のJR東海の斉藤社長と会談されました。

高速鉄道は、レール、車輛、コントロールシステムの三つの基幹部分からなっています。中国は、レールの建設では確かに日本より速いが、車輛とコントロールシステムの面ではまだ不十分かもしれません。コントロールシステムは、信号システム、速度システムなど細かく分かれています。それぞれのシステムが協調しあって、効力を発揮します。

日本は新幹線を導入するなら全て導入してほしい、一部だけの導入はできないと話しました。こうした態度が新幹線の輸出に影響しました。しかし、中国で起きた一連の問題をみると、日本の考え方には道理がありました。今、中国に必要なのは高速鉄道の管理です。どんなハイテク設備でも、どんな先進的な技術でも、最後は人が管理しなければならないのです。