何 玲青 関西中華総商会会長
関西の財界トップと肩を並べる客家

 華僑華人が海外で記した足跡や歴史はすべて、祖国の盛衰と密接につながっている。祖国が栄えれば、民に幸福をもたらし、民族が栄えれば、華僑の心も高揚する。2021年、本誌は、「関西の華僑リーダーが見た中国と日本」の企画を始動させた。関西中華総商会会長を務める、日輝貿易株式会社の何玲青代表取締役社長への取材は、大変印象深いものであった。

 

無限の可能性を求めて日本へ

 取材の前日は、何玲青の来日30年の記念日であった。取材は、その話題から始まった。1988年4月、中国・海南島は省に昇格した。同年、中国民航学院を卒業した何玲青は、中国南方航空の海口支店に配属された。当時の海南は、あらゆる産業が成長のプロセスにあり、世界中から資源や情報が集まっていた。

 彼は東アジアや東南アジアの投資家と仕事をする機会があり、若く、向上心旺盛な何玲青の姿は、彼らの目に留まり、兵庫県にある大手日本企業から声がかかった。

 行くべきか、留まるべきか。一歩踏み出せば、可能性は広がり、祖国のイノベーションに貢献することもできる。海南の地で革新的精神を学んだ何玲青は、1991年5月6日、初めて日本の土を踏んだ。

 彼には、今でも忘れられない光景がある。初めて訪れる日本の大地に向かって、ゆっくりと高度を下げる機中から目にした、高速道路を絶え間なく行き交う車の流れである。民航学院で学んだ彼は、道路網の密度と交通量が、その地域の経済発展の尺度であることを知悉していた。何玲青は日本に止まり、関西大学で国際ビジネスを学び、いつの日か祖国の発展に貢献したいと願った。

経験を積み、眼力を磨く

 1997年、何玲青は順調に学位を取得し、丸山物流株式会社に入社した。流通業における実務経験からミクロ分析を学び、国際ビジネスを学んでマクロ的視点を養った彼は、複雑な情報から重要な要素を抽出し、世界の趨勢や政策から、今後の成長のトレンドを正確に捉える能力に長じていた。

 『京都議定書』の採択によって、地球温暖化問題の解決に向けて大きな一歩が踏み出された。この知らせは、祖国のイノベーション事業を常に念頭に置いてきた何玲青にも影響を与えた。彼は直ちに、国内のLEDの生産拠点であった鶴山に視察に赴き、専門知識を体系的に学んだ。ほどなくして、彼は、LED製品と、その技術の輸出入ビジネスに身を投じた。

 当時の多くの有名な建造物には、彼が世に出したLED製品が使用されている。何玲青は、「祖国のおかげで、LED事業への手がかりを得ることができたのです」と興奮気味に語る。彼の成功は、祖国の発展を願い、祖国と心をひとつにすることによって、華僑は確実に成長できることを証明しているのではないだろうか。

 何玲青は言う。「日本人学者である赤崎勇氏と天野浩氏は、LEDの発明でノーベル物理学賞を受賞しましたが、LEDが最も広く利用されているのは中国です。科学に国境はありません。人類に恩恵をもたらすために、海外の華僑華人は、科学の最新の動態を常に把握しておく必要があります」。

 何玲青は、日輝貿易株式会社を設立後、多言語人材の発掘と育成に力を入れている。日輝は、アメリカ、アルゼンチン、モロッコ等の国・地域に事業を展開しており、英語、ロシア語をはじめとする7言語に堪能な人材を擁し、ビジネスパートナー達は、親しみを込めて「小さな国連」と呼ぶ。日輝は、知らず知らずのうちに、顧客との安定的かつ長期的なパートナーシップを構築し、世界五大陸に成熟したビジネスネットワークを構築した。コンテナ輸送を強みとする日輝は、eコマース事業の躍進や小口輸送のニーズにも、スムーズに対応することができた。

人に善事を勧め、人心を得る

 何玲青は、市場の動向を的確に捉えるとともに、華人の団結と協力にも気を配る。彼は、美味しく上品な「和菓子」を中国市場に展開できるのではないかと考え、そのアイデアを仲間と共有した。仲間はすぐに市場の分析に取り掛かかり、商品の選別、発注・生産、商業化の段階へと進んだ。

 「人から受けた恩を、何倍にもして返す」。事業が軌道に乗ると、何玲青は、地域に根を張ること、故郷への恩返し、協力・互恵を最優先に考えるようになった。彼は、故郷のある「広東・香港・マカオグレーターベイエリア(粤港澳大湾区)」と、「東京ベイエリア」の橋渡し役を担った。2019年12月には、広東広播電視台が日本の彼の事務所を取材に訪れている。

 2013年に設立された関西中華総商会は、現在、関西地域で最も影響力をもつ、華人企業による経済団体である。何玲青は、関西中華総商会に加入してより、会員間の団結を図りながら、熱心に実務に取り組んできた。そして、2020年、推されて、関西中華総商会の会長に就任した。

文化継承の重責を担う

 何玲青は中国の文明・文化の継承を自らの責務とし、関西および関東の中文学校との緊密な連携を維持し、中国駐大阪総領事館が主催する在日華人の文化交流活動にも積極的に参加している。

 彼は書道を趣味とし、書道家・杭迫柏樹に師事して修練を積み、『読売新聞』主催の書法展で優秀賞を受賞するほどの腕前であり、書道という伝統文化を介して、日本の地域社会との交流の道を開いた。

 彼は、次世代の新たな人材を育成するために、西北師範大学奨学金の設立に協力し、2015年から、貧困学生への支援を続けている。2019年には、全国人民代表大会華僑委員会の要請を受けて帰国し、海外における中国語および中国文化の継承について進言を行った。

 何玲青は客家で、広東省梅県(現在の梅州市)の生まれである。故郷の変化を語る時、彼は興奮を抑えることができない。「梅州総合保税区が認可されたことによって、より規範化されたオープンなビジネス環境が整い、外資誘致政策は、われわれ華僑同胞を大いに鼓舞しました。革命的精神を土壌にもつ梅県では、共産党成立100周年を記念して、様々なシンポジウムや交流活動を開催し、その歴史的優位性を起動させ、人々の心に訴えていきます」。

 何玲青は、梅州の豊かな文化的・歴史的資源を継承することは、すべての華僑同胞が負うべき責務だと考えている。彼は、わが子が幼い頃から、客家の童謡を歌い聞かせてきたという。「故郷の素晴らしい文化を、子どもに伝えたかったのです」。祖国を愛する在外華僑の心の声である。

中国と日本の防疫を支援

 2020年1月、新型コロナウイルス感染症が拡大すると、何玲青の会社は、真っ先に打撃を受けた。しかしながら、何玲青は、自身が苦境にある中、関西中華総商会の会長として、物資の寄贈や寄付活動を先頭に立って行い、会員企業や個人を動員して、迅速に防疫物資を募った。関西中華総商会として、600万円相当の防疫物資を寄贈し、海外から武漢に送られた支援物資の第一便となった。

 その後も、中国駐大阪総領事館の協力を得て、大阪商工会議所と合同で物資の寄贈を行った。その分量は相当な数になり、コロナ禍と戦う武漢の大きな支えとなった。

 日本で感染が拡大した際には、何玲青は再び関西中華総商会を動員して、関西の数十の華僑団体、華人、華僑企業とともに、大阪府に防疫物資を寄贈し、大阪府および大阪府民から大いに称賛された。

 何玲青は訴える。「物資の寄贈は、単なる慈善活動ではありません。中日の地域経済交流を促進し、良好な関係を築く基盤となります。経済は、いかに『利益』を上げたかで評価されますが、経済協力の出発点は、『人情』であり『義理』なのです」。

 何玲青の慈善活動は日本社会の各界から称賛を受け、彼は推されて大阪商工会議所中国ビジネス委員会の委員に就いた。華人企業家の代表として、阪急グループ等日本の財界トップとともに会議に出席する。彼は「身に余る光栄です」と、謙遜しきりであった。

 

取材後記

 華人企業家として、東アジアや東南アジアの多くの国・地域に事業を展開する何玲青に、成功の秘訣を尋ねた。「業界に足を踏み入れたら、的確な切り口を見つけることが大事です」。堅実に道を切り開いてきた華僑リーダーの肺腑の言である!