黄 麗 徳島華僑華人会会長
太極拳を世界に普及させる女性

徳島という地名は中国人の読者にとっては、馴染みがないかもしれない。徳島は四国の東部に位置し、瀬戸内海と淡路島によって本州と隔てられている。徳島は山地が多く、緑があふれており、人口は70万人ほどである。現在、徳島に住む華僑華人は2000人に満たない。徳島華僑華人会の黄麗会長は女性である。若く美しいだけでなく、才能豊かで熱意に溢れている人だ。

 

民間文化交流の使者

1980年代から90年代にかけて、日本では「太極拳ブーム」が起きた。徳島市では太極拳の指導者が急遽必要になり、友好都市である遼寧省丹東市の外事弁公室に依頼したところ、幸運なことに国家や省クラスの武術大会で何度も受賞し、中国武術国家一級審判員となった黄麗が日本側の求人の条件に合致したのである。黄麗は徳島に太極拳指導のために赴くに当たり、その両肩に中華文化を伝え、民族精神を示し、国際的イメージを形成するという重責を担っていた。

「故郷の早朝の光景を徳島に持っていったのです」という黄麗の「光景」とは、丹東市の市民が毎朝公園で揃って太極拳を練習するシーンであった。2001年、黄麗は独自に「日華里中国武術友好会」を設立した。日本には150万人を超える太極拳人口がいる。「中国文化ブーム」の追い風に乗って、2004年日華里(ひかり)中国武術友好会は有限会社となり、現在までに徳島県内に数十カ所の教室を展開するまでになった。

「私が獲得した成果は、国家の文化交流促進政策の支援の賜物であり、大阪総領事館と同胞のサポートのおかげです。徳島の同胞たちにわが家を提供するために何かしたかったのです」と語る黄麗は2009年、先頭に立って徳島華僑華人会を設立した。

ひけらかすことなく 文化と文明を伝承する

徳島県内の中国人の多くは技能実習生であり、仕事上の揉めごとがあると、彼らは徳島華僑華人会に相談する。黄麗はその度に本人と共に労働基準監督署に赴き、相談に乗ってくれるよう中国人の職員に依頼する。

ある日、一人の技能実習生がけがをしたのだが、彼は初めて故郷を離れており日本語もほとんどできない。徳島華僑華人会は彼からの助けを求める電話を受け、すぐに彼に病院の診察を受けさせ、日本語のボランティア通訳を提供しただけでなく、雇用主とも交渉して彼の権利を確保した。彼は細やかなケアを受けることができ、帰国する際には満面の涙で徳島華僑華人会のメンバーにお別れを言った。

日本にはお中元やお歳暮の習慣がある。これらの多くは生活用品であるが、各家庭には長年の間に使わない品物が溜まっていくのだが、これを処理しようとすると費用がかかる。黄麗は不用品を生活が厳しい中国人技能実習生に寄付してくれるよう、自身の教え子の日本人に声をかけた。国慶節の際には、贈り物を手にした中国人技能実習生とそれを提供した日本人の生徒たちがともに集い、海からの風に吹かれながら、日本人の生徒が自分の畑からもいできた四国の特産品のミカンを食べながら世間話に花を咲かせた。この光景は、黄麗が長年誠心誠意努力してようやく得られたものであり、中日民間交流の輝かしい光として、中日文化史の大きな流れの中に記録されている。

毎年の春節には、日華里中国武術友好会と徳島華僑華人会は共同で餃子パーティーを開催する。「会場に飾られた提灯や春聯、灯籠などの伝統の装飾品が子供たちに大人気です」。黄麗は大阪総領事館から贈られた中国語の本を子供たち一人ひとりに手渡しする。これらの中国語の本は日本の図書館には置いていない人気の本で、子供たちは興味津々で、親たちには大評判である。「そうした活動は在日の華僑華人のその場の交流であるだけでなく、中国文化を伝承するチャンスでもあります。私たちは20年近く続けてきましたし、これからも続けていきます」と、黄麗はしっかりした口調で話した。

 

中国の太極拳が世界の舞台で勇姿を披露

阿波踊りは徳島県が誇る伝統文化の一つである。毎年、お盆には世界各地から観光客が集まり、ともに阿波踊りの盛宴を楽しむ。黄麗が率いる100人以上の日本人の生徒たちが専用の衣装に身を包み、太極扇を手に、メイン会場へとゆっくり進んでいったとき、観衆の歓声の中で、強烈な民族の誇りが黄麗の心の中に湧き上がってきた。

祖国は繁栄し強国となり、人民の精神文明生活は向上し続けて新しい段階へと入っている。「国際武術節」「太極文化観光節」などの国際的なイベントも中国に根付いている。黄麗は何度もチームを率いて交流活動に参加し、表彰台の上に日華里中国武術友好会の姿を登場させた。

「国際文化交流は双方向、相互作用であるべきで、ただ一方通行のアウトプットだけではダメです」。2006年9月、黄麗は日本太極拳代表団を率いて祖国を訪れた。1000名の丹東市の人々と日本人が共に太極拳を舞ったというニュースは『人民日報海外版』に掲載され、日中民間交流史に素晴らしい一枚の写真を残したのである。

2017年と2019年、黄麗は日華里中国武術友好会と共に第1回と第2回の「日本徳島国際武術交流大会」を成功裏に開催し、中国太極拳の融和、バランス、協調、自然という文化的魅力をさらに広く世界に喧伝した。「大阪総領事館はそのニュースを知り、航空会社と協力して中国からの参加選手の団体価格のチケット購入を支援してくれ、専門の係員を派遣して彼らの来日、参加をサポートしてくれました。大会が順調に開催できたのも、祖国と大阪総領事館の応援によるところが大きかったのです」と黄麗は語った。

 

大きな変化に遅れをとる

「天地がひっくり返ったようです!」。ここ数年間の祖国の発展による変化についての見方を尋ねると、黄麗は内心の動揺を押さえ切れず、こう形容した。

デジタル化、スマート化、オートメーション化のもとで、丹東市という辺境の小都市は、開放的な、イノベーティブな住みやすい都市へと変身した。「故郷の変化が早すぎて、頭がついていきません」。目の前にそびえる高層マンション群を見ると、黄麗は「若くして故郷を離れ、老いて帰郷する」という詩にある寂しさを感じるという。

26年前、彼女が初めて徳島に来た頃、周囲の日本人は中国のことをよく知らず、「家には電気があるんですか」と聞く生徒さえいた。泣きたいような笑いたいような気持ちで、「ええ、うちでは西洋蝋燭を灯していますよ」と思い切りよく答えたという。

後に、黄麗は日本人の生徒たちを連れて中国に文化交流に行き、さらに中国語クラスも開設し、日本人の生徒たちも中国語によって、中国文化と歴史を理解できるようになった。日本人の生徒を連れて上海の浦東空港からリニアモーターカーに乗った際、彼らが「えっ、中国のスピードはこんなに早くなっていたのですか!」と驚いたのを黄麗は忘れられない。

17年間続けたチャリティー

徳島県には現在も2000人足らずの華僑華人しかいないが、大阪総領事館はこの地の同胞をいつも気にかけている。台風、地震、暴風雨などの自然災害に遭うたび、即座に大阪総領事館が発出した通知や注意、支援の情報を受け取ることができた。2020年に新型コロナウィルス感染症が拡大した際、大阪総領事館はさらに感染予防用品を送り、WeChatのグループを作り、刻々と感染状況と感染予防の知識を更新してくれ、家族より微に入り細に入り面倒を見てくれた。まさに大阪総領事館のケアとサポートのおかげで、徳島華僑華人会は業務を進める際にも気力と自信を持てたのである。

毎年末、黄麗は日華里中国武術友好会の生徒たちと共に、「太極拳チャリティー募金」をおこなっている。集まった募金はすべて地元の「社会福祉協議会」に寄付している。「チャリティーは知っていたけど、17年間ずっと寄付し続けていたとは知らなかった」と、黄麗と日華里の善行は徳島の人たちに海を隔てた中国人民に対する気持ちを寄り添わせ、理解を促進させた。中国の四川大地震、東日本大震災、コロナの感染爆発に対して、黄麗は毎回寄付をして貢献している。

 

取材後記

黄麗はこのインタビューの機会を借りて、まず大阪総領事館のサポートに、次に徳島の地域社会の理解と応援に、さらに日本人の太極拳に対する情熱に、心からの感謝を捧げたいと述べた。

また、来日してからの数十年は、まさに祖国が天地のひっくり返るような変化を遂げた歳月であり、自身もおかげで幸運だと感じていると言う。彼女は、祖国が、中国文化の海外での普及にさらに力を入れ、中国文化の名前をさらに輝かせることを願っている。