八山 元 全日本華人連合会会長
中日の「ヘルスケア、医療、介護」で全世界を幸せに

「中日両国はそれぞれに政治、経済、防衛、外交における目標を持っているが、それらが衝突を生み出すことも多い。しかし、近年は状況が変化しつつある。中国の習近平国家主席は『健康中国』建設の目標を掲げ、日本の安倍晋三首相は『人生100年時代』社会の構想を打ち出している。これらの目標は相互に一致している点があるだけではなく、中日関係の戦略の共有と新しい交流、発展のポイントともなる」。先日、全日本華人連合会の会長であり、著名な在日華人の気功師である八山元(張永祥)先生はこのように語った。

中国の改革開放の申し子

—— 先生は1986年7月に来日されましたが、その月は『人民日報』が重大な社説を掲載し、中国政府が科学技術要員の合理的な流動を認め、奨励していた時期でもあり、大量の中国人私費留学生が日本に渡った時期でもあります。先生はなぜこの時期に日本へ行こうと思われたのですか。

八山 二つの面、一つは国家レベルから、もう一つは個人のレベルからお答えします。1986年7月、『人民日報』が「改革の中で前進する」という重大な社説を発表しましたが、それは活気に満ちた改革開放の時代であり、思い返すと大変興奮させられる時代です。1986年は、中国の改革開放の総設計師である鄧小平が相次いで中国経済発展に影響を及ぼす三つの問題、政治体制を改革し法制の概念を強化することについて語り、天津技術開発区を視察し、アメリカのジャーナリストであるウォーレスのインタビューを受けました。王大珩など4人の中国人科学者は鄧小平に『外国の戦略的ハイテクを追跡研究することに関する意見書』を送り、そこから有名な「863計画(国家高技術研究発展計画)」の決定がなされたのです。これらはすべて、まさに今日習近平総書記が言うところの「爪痕を残す」事業であり、改革開放の中国に重大な時代の痕跡を残したのです。以上が国家レベルの話で、私はこのようなマクロ的状況のもとに出国しました。ですから、そういう意味では、私は現代中国の改革開放の申し子だと言えるでしょう。

個人的なレベルの話では、私はかねてから民間の女性名医に師事し、彼女から先祖伝来の「千里診脈」を学び、中国の東北地方で個人気功総合診療所を立ち上げました。中国人だけではなく、遠く日本からも患者を受け入れ、「ゴッドハンド」と称賛されました。そして私が治療した日本の名人が日本に招いてくれ、疾患で困っている田中角栄元内閣総理大臣の治療をまかされました。私は田中角栄先生を物凄く尊敬していて、日本の気功の発展を見てみたかったし、中国の気功を広めたいと思ったので、1986年7月に来日したのです。

日本で気功を普及させ長寿に

—— 先生は来日されてから、中国気功の応用分野で多くの業績を挙げられ、NHKなど多くのメディアから取材を受け、気功に関する書籍やCDなども沢山出され、開校した気功の学校も診療所もいつも満員の人気となっています。長年の実践を経て、中日両国の気功にはどのような共通点や違いがあるとお考えですか。

八山 それについては、興味深い事情をお話しましょう。中日両国はともに、自国または自国民の気功の歴史が長く続いていると言っていますが、日本気功協会が正式に成立したのは1985年であり、中国気功協会が正式に成立したのが1986年です。ですから、私はずっと中日両国の気功はどちらが本家本元であると比べるべきではない、強弱や長短を比較すべきではないと考えています。これらは中日文化交流の結晶であり、東アジア地域の文化の結晶であり、アジア文明の一つの現れであると思っています。

1986年に来日したころ、日本はまさに「バブル経済」の最盛期でした。今日、「バブル経済」と聞くと、「崩壊」と「日本の衰退」を連想します。実際には、ある国家の経済が発展する時は、その民族が健康長寿を追求している時期なのです。日本の気功はまさにその時期に一つの健康法として普及し始めました。日本のバブル経済崩壊後、「失われた10年」、「失われた20年」、そして「失われた30年」とまで言われているのに、日本人の寿命は延び続け、平均84歳まで延びました。中国の平均寿命は74歳ですから、中日両国には10歳の開きがあります。日本のこのような平均寿命の延びは、日本社会における気功の普及と関係があるでしょう。

日本で気功の認識を高める

—— 日本経済の最盛期に気功を普及させたとのことですが、それは具体的にどのようにされたのですか。

八山 個人的な見方ですが、日本の気功普及の面では、東洋医学研究院のような研究機関が東京、大阪に医療気功師養成講座を開設し、日本気功協会、関西気功協会などの主要な気功団体が積極的に医療気功を普及させ、気功教育の規模を広げたことがあります。気功の臨床分野では、日本の私立帯津三敬病院の帯津良一院長が長期にわたり、西洋医学と中医学を結合させた治療法でガン治療をおこない、近年ではガンのリハビリ患者の智能気功訓練をおこない、治療効果を上げています。東京女子医科大学腎臓病総合医療センターの阿岸鉄三医師などが、気功は下肢閉塞性動脈硬化症の治療に有効であるとはじめて確認しました。東京警察病院ではマタニティ気功を指導し、妊娠中のけいれんやめまいを治療しています。日本のメディアでは気功に関する報道も多く、国民の中では気功に対する認知度も上がっています。私自身は日本において、中国気功の普及に努め、日本社会に認められました。東京大学医学部脳神経外科ではMRIを用いて、私が治療している患者たちの脳のCT画像を440枚取って、私の気功が脳幹部神経膠腫治療に効果があることを証明しました。また、私は客員研究員として日本医科大学に呼ばれ、中国気功医学を教えました。それ以外にも、論文を発表したり、書籍を出版したり、多くのテレビにも取り上げられました。

私が設立した気功師学校に入校した日本人学生数はすでに千名を越え、医者として治療した患者数は、これまでの34年間でおよそ5万人に達しました。

『日本健康報』発刊の三つの初志

—— 先生は日本で気功を広め、中日の気功交流を促進するほか、2013年には中日両国語による『日本健康報』を発刊し、好評を得ています。なぜこのような媒体を作ろうと思われたのですか。

八山 本来そのような専門外のことに手を出すべきではないのですが、私は気功師、気功の教育者として技術を追求するだけでは十分ではないと考えたのです。気功師は病気を治すだけではなく、さらに心も治すという使命感と責任感を持って、患者さんたちの体を回復させるだけではなく、同時に精神的なリハビリもしなければなりません。私は書籍、CD、新聞を含めた広い意味でのメディアで患者さんたちのリハビリをお手伝いしたいと思いました。これが発刊の初志の一つです。

また、私は中日両国のヘルスケア、医療の理念、概念または信念という面で多くの違いがあることに気づきました。例えば、中国人が病院に行くのは一般に病気の治療のためですが、日本人は健康診断で行くことが多い。つまり、日本は早期の検査、診断、治療、予防に力を入れています。ですから、私はメディアを通して日本人のヘルスケア医療の理念を紹介し、中国人にも日本人とともに先進的な生活理念を共有してほしいと思っています。これが発刊の初志の二つ目です。

1986年に一緒に来日した中国人たちは、私費留学生、大学院生であったり、日本企業へ就職したり、起業したり、そして結婚や育児の過程にありました。彼らは留学生から新華僑へと変わり、そろそろ老華僑となっている人もいます。事業の点から言えば、彼らの大多数は艱難辛苦を乗り越えて成功し、日本人もびっくりするような成果を上げています。しかし私の見たところ、彼らは奮闘し、成功し、挫折し、要するに体を酷使している人が多いのです。ですから、彼らが事業に成功した後、自身の健康に目を向けることは焦眉の急なのです。これが発刊の初志の三つ目です。

「健康」と「グローバル」の関連

—— 先生は国際的な健康とヘルスケアの活動に熱心に取り組んでおり、また積極的に経済的、精神的な面で力を入れているようですが、この分野での収穫についてお話いただけますか。

八山 健康にしても、ヘルスケアにしても、すでに全世界で追求されており、世界的な流行とさえ言えるでしょう。国際社会ではそのようなフォーラム、サミット、交流、体験、コミュニケーションが常に行われています。私はこれらすべてが人類運命共同体の公共財を作り出すことだと考えています。現代人を幸せにするだけでなく、子孫たちも幸せにすることですから、私は積極的に参加し、経済面、精神面から打ち込んでいます。

私は二つのキーワードを特に重視するべきだと思います。一つは「健康」、一つは「運動」です。世界が未曾有の変化の局面に入ろうとしている時、人々は「健康」の追求にさらに執着し、「運動」への理解も深めています。「運動」の支えなしの「健康」は「にせの健康」であり、「健康」に役立たない「運動」も一種の「にせの運動」です。「健康」と「運動」は互いに補完し合うものであり、不可分なものなのです。ですから、全力を尽くして努力しています。

中日交流の新しい成長点

—— 今、「健康」と「運動」の国際性と世界性についてお話くださいましたが、私は中日両国では実際にこの面をともに追求していることに気づきました。これについてはどうお考えですか。

八山 この問題は重要ですね。今まで、私たちは中日関係について論じる時、その対立面を見がちで、相違点を探しがちでした。無意識あるいは意識的にこれらの相違点を何倍にも拡大してしまう。そこから中日関係が冷え込んだのです。

個人的には、近年、中日関係は紆余曲折がありましたが、生じた問題はすべて中日関係の中の一部の問題で、中日関係全体の問題ではないと思っています。中日関係を見る時には、高いところから俯瞰しなければなりません。いわゆる「高い位置に立つ」ということは、中日間の国境、海峡に立って自分や相手を見ることにとどまらず、このような目の高さで見ることは思考に影響しますので、逆に高いところに上って遠くを見ることが必要なのです。そうすれば、「一覧して衆山を小とすべし(高いところに立って周囲を見下ろす)」ことができ、「橫より看れば嶺を成し、側よりすれば峰を成す、遠近高低各同じからず(同じ山でも見る人の立ち位置、遠近や高低によって見え方が変わる)」という境地に達します。そしてようやく中日両国は永遠に引っ越しのできない隣同士であり、どちらも相手を立ち退かせることはできないということに気づけます。そうすればお互いに相手の核心的利益を重視できるようになります。

また、新時代の中日関係はさらに多くの戦略的利益の共通点、互恵点、成長点を探す努力をすべきでしょう。一面では、近年両国の政治、経済、防衛、外交の分野では対立する構想があり、矛盾が衝突を生んでいる面さえありますが、別の面では両国が依然として戦略の共通点を持っていることに注目すべきです。東西冷戦終結後の中日の戦略の共通点は「枠を広げて他国を防ぐ」ことでしたが、新時代の中日の戦略の共通点は「国民生活のスマート化」、「ヘルスケア医療」分野にあります。ご存知のように、日本では現在「少子化」と「高齢化」問題が深刻化しています。これに対して、中国は対岸の火事として傍観するのではなく、教訓としてとらえ、自国が2030年以降に突入する高齢化社会で回り道をしないようにしなければなりません。ですから、中国は日本の「高齢化社会」の介護の経験を積極的に取り入れ、それをローカライズし、中国の高齢化社会に生かすべきですし、中国は日本の「少子化」社会がもたらす労働力不足の教訓から学び、あらゆる方策を講じて自国の労働力という優位性を保ち、経済の持続可能な発展を維持しなければならないのです。

長年の歴史が繰り返し証明しているように、中日両国は「和せば双方に利し、争えば双方とも傷つく」関係です。このような認識の上に、努力して中日関係を発展させることは、両国に利があるだけでなく、東アジア、アジア太平洋地域、そして全世界に利をもたらします。

私たちは人類の歴史上、はじめて登場したヘルスケア事業に従事しています。この灯火を伝え続け、中国と世界をもっと健康にしていくために努力し続けます。