横井 忠志 中世グループ総裁
AI設備システムで「中国製造2025」を後押しする

「製造業は国民経済の主体であり、立国の大本であり、興国の器であり、強国の基礎である」。これは中国国務院が発表した「中国製造2025」の冒頭の一文である。製造業は大きさから強さへと向かい、情報化と工業化との融合により、生産効率と品質を向上させ、環境保護を持続させていく。

中国は製造業の大国から製造業の強国へと向かっているという話題に触れるたび、その背後で数多くの華僑華人と日中友好人士たちが努力し推進していることが思い起こされる。中世グループもそのような企業の一つであり、現在中国の15都市に8カ所のAI設備産業パークを建設し、企業、工場のためのカスタマイズAI生産ラインにより、企業の生産コストと欠品率を下げ、生産効率と製品の品質を向上させている。先日、中世グループの総裁である横井忠志氏にお話を聞いた。


撮影/本誌記者 倪亜敏

技術で「中国製造2025」を後押し

—— ドイツが提唱する「インダストリアル4.0」、日本が提唱する「Society 5.0」そして、中国の「中国製造2025」などのコンセプトは世界の主要国の成長の潮流を表しています。中世グループがどのように「中国製造2025」の後押しに尽力しているか、ご紹介いただけますか。

横井 中世グループは中国最大のAI設備の研究開発と製造の企業グループで、主に工業用ロボットと工場自動化システムを研究開発、生産しており、AI製造とその応用訓練に集中しています。現在、山東省科威、江蘇省塩城市のX-ロボット、山西省運城市の東亀など中国各地に8カ所の同様の工場を建設しています。

2016年9月、当社は徐州天鴻集団と提携し、徐州に金猫ロボット科技有限公司を設立しました。2017年に完成しましたが、これは全中国ではじめてのAI設備産業パークであり、またよく言われる「AI工場」と「無灯火工場」でもあります。工場はロボットアームで工業用ロボットを組み立てており、年間生産台数は3000台に達していますが、従業員は10人しかいません。

これは、「中国製造」の典型的な代表の一つと言えるでしょう。同時に、工場の全自動化AI生産をサポートすることによって、製造業の高度化を推進しています。

—— 現在、人々が注目しているのは工業用ロボットですが、中世グループは「半歩リード」してAI設備システムを開発しています。その戦略の出発点そして、製造業にもたらす効果についてお話いただけますか。

横井 実は私たちは石橋をたたいて渡っているところです。中世グループが時代を半歩リードしている理由は二つあります。一つは顧客のニーズ発見に長けていること、もう一つは革新的技術を掌握していることです。

2017年、金猫ロボットの成型後にいくつかの問題に直面しました。まず、ロボット購入後、顧客が操作、使用、メンテナンスできないという問題で、これに対しては研究開発センター、製造センターのほかにトレーニングセンターを設置し、2、3カ月間かけて顧客の担当者のロボット操作を研修することで解決しました。

次に、ロボット単体を作ることはできないことに気づきました。いわゆる「樽の理論」のように、生産ラインの1つのプロセスの自動化を実現しただけで、その他のプロセスの生産効率が旧態依然の低いままでは全体の生産効率を上げることはできないのです。中世グループはAI設備システムの基本方針を確立させました。上流、下流のプロセスの拡大に伴い、しだいに産業チェーンが形成されたので、当社は勢いに乗じて都市部に産業パークを設立したのです。

最後は、産業パークと集積応用センターを組み合わせなければならないということです。産業パークは主に、ロボットアームや機械設備などのハードウエアを製造し、集積応用センターは顧客サービスを専門としています。企業が違えば、製品と生産プロセスも異なります。集積応用センターは技術者を顧客企業に派遣し1カ月間駐在させ、原材料が工場に入り製品として出て行くまでの間のすべての生産技術、生産効率、部品サイズなどを詳細に研究し、最後にそれぞれの生産プロセスに基づいて生産フローを改善し、生産ラインを設計します。現在、中世グループは自動車と家具製造業における経験を蓄積しており、半導体、家伝、電子製品など25の業種と関わっています。

生産ラインを「カスタムメイド」することは、かなり複雑な過程ですが、大きな効果があります。生産ライン全体がロボットアームによって完成されたとき、効率が上がり、標準化が上がり、欠品率が下がります。この三つの点は、工場のコストが50%下がり、生産能力が3倍になるということを意味します。


中世グループ董事長 周浩男

科学技術による「第二次改革開放」

—— AI設備システムは中国では先進的な概念の一つですが、中世グループは当初なぜ中国に注目したのですか。

横井 マクロな視点から見て、中国の改革開放はすでに40年、まさに第二次改革開放の段階に入ろうとしています。つまり、産業構造の転換と高度化でもあります。中国の提唱する「一帯一路」の核心は製造業の競争力向上にあり、製造大国から製造強国へと向かっています。それ以外に、われわれは国家における工業の重要性を痛感しています。1990年代のバブル経済崩壊以降、日本企業と経済発展を支える柱は工業と科学技術でした。発展の過程の中で、最終製品から脱却し、核心的科学技術を掌握しなければなりません。

客観的な環境の背景のほかに、個人的な気持ちについてもお話したいと思います。中世グループの周浩男董事長が20年前に来日した時、「日本の技術を学んで中国に持ち帰りたい。商品ではなくて、技術です」と私に言いました。さらに彼が技術を学ぼうと強く思ったのは、中国の発展は技術の後押しが必要だと考えていたからです。周浩男董事長に代表される中国人の先見性のある認識と祖国に対する心情に触れ、私は評価するとともに非常に感動しました。

そしてその時から私と周浩男董事長は親友となり、広島にAI設備研究所Xロボット、新エネルギーと環境技術開発をおこなう広島研究所と世界環境株式会社を設立しました。その目的はワールドクラスの応用科学技術を中国に移転するためです。現在、われわれは広島、東京、福岡の3つの研究所、大学研究室と協力し、産学連携して研究成果の市場化、商品開発をおこなっています。研究所設立以来のメインテーマは環境技術、新エネルギーとAI設備システムなどの開発です。

中世グループの事業は、周浩男董事長の言うように彼の「技術による報国」という理想を実現させるものだと言えます。私個人としては、家族や先達の日中友好発展の路線の延長なのです。


金猫ロボット科技有限公司の「AI工場」

企業の成長と「貧困救済」の結合

—— 中世グループのロボット産業基地の立地は、北京や上海などの中国の一線級の大都市ではないばかりか、山西省運城市絳県、安徽省阜陽市、湖南省岳陽市平江県、四川省徳陽市などの沿海地域でない省にも置かれています。中世グループは産業基地の用地選定をどのように考えていますか。

横井 中世グループの第一歩は、沿海地域にAI設備産業パーク設立を計画し、大湾区の周辺に清遠と仏山の2カ所の産業基地、長江流域経済圏に浙江省湖州市徳清県の1カ所基地、淮海商業区の周辺に徐州と塩城の2カ所の基地を設立しました。2019年から、中国の中西部に向けた計画を開始しました。

立地は、二線級、三線級都市の客観的と主観的の二つの面から検討します。一つは企業の成長のニーズに合っているか、コストが下げられるかという面、もう一つは経済が立ち後れている都市に雇用を創出できるか、経済発展を推進できるかという面です。われわれはこれを企業の社会的責任ととらえています。

山西省運城市絳県を例にとると、敷地面積は非常に有望で、サンザシやサクランボの産地ですが、工業が未発達で、また地域的な優位性もないため、経済レベルや生活レベルの向上が難しい地域です。われわれは、若い副県知事が当社に現地の工業発展を後押ししてほしいと、十数回も深圳に訪ねてきて、絳県に産業パークを建設してほしいと周浩男董事長と私を説得したことに心を動かされました。

何度かの視察を経て、われわれは絳県には大きな市場はないものの、リソースとして広大な空き地、工場建物、鋳物師など、ある程度の工業の基礎があり、ここで最初の部品を生産し、他の設備産業パークへ運搬vすることもできると考えました。そこで、当社は絳県に東亀AI設備有限公司を設立し、工場は開発区双創インキュベーションパークに建設しました。この経済が立ち後れた地区の近代的工場はセンセーションを巻き起こし、市全体そして山西省全体にまで大きな影響力を持ちました。東亀は今年8月に開催される運城市第1回工業展覧会に出展招待されました。

—— 横井さんはとても中国語がお上手で、「中国通」の企業家と言われていますが、個人的な中国とのつながりについて教えていただけますか。

横井 言うなれば、私の名前は日中国交正常化の立役者である田中角栄元首相が付けてくれたものなのです。

田中元首相は戦争中に招集され入隊し、黒竜江省に駐屯していました。当時、彼は二等兵でした。私の外祖父である横井末吉(英吉)は第三旅団24騎兵連隊の第一中隊の隊長でした。終戦後、この連隊からは12人しか日本に帰国できませんでしたが、その中に私の外祖父と田中元首相も入っていました。二人ともまずはビジネスの世界へ入り、その後は政治の世界へ転じましたが、付き合いは深く、中国に対する友好的な態度は一致しており、1972年に日中国交樹立を推進し、1978年に日中親交会を設立しました。

1978年に鄧小平氏が訪日した際には、外祖父らがおもてなししました。また、1990年代、すでに私の両親は無錫の太湖で技術を利用して汚水処理をしていました。門前の小僧というわけで、日中関係の蜜月期に成長した私には生まれつき中国との縁がありました。

さらにこんなエピソードもあります。高校生のころは遊んでばかりで、家族をごまかしてジャニーズ事務所のジュニア関東組に入りました。1年間練習した後テレビに出たのですが、最終的には家族に見つかってしまいました。家には芸能界には入ってはいけないという家訓があったので、すでに明治大学で1学期学んでいたのですが、外祖父は私を北京第二外国語学院に3年間留学させました。中国留学期間中、私に深い印象を残したのは、一つは中国と日本の経済レベルの差が大きいこと、二つ目は中国人の素朴さと友情でした。

これらのことが暗闇の中を導いてくれたので、私と周浩男董事長は中世グループを創立し、技術を用いて「中国製造2025」を後押しする道を歩いているのかも知れません。