張 岩松 横浜山手中華学校校長
海外の中華学校に新たな革命を

いま、この歴史を知る人はほとんどいない。中日両国が激しく対峙していた1949年の中華人民共和国建国から1972年の中日国交正常化までの20数年間、日本でたった一枚の五星紅旗が絵画の如く翻っていた。その場所こそ、百年の歴史を有する中華学校 ―― 横浜山手中華学校である。

2017年10月1日、横浜山手中華学校に学ぶ華僑華人の子女たちは、例年通り街に出て国慶節を祝い、中国語で「中華人民共和国万歳!」と高らかに叫んでいた。今年も行進の先頭に立ってそれをリードするのは、横浜山手中華学校校長の張岩松氏である。

張岩松校長は中国国務院僑務弁公室から抜擢され、十数年前に横浜山手中華学校に教師として赴任してきた。先ごろ、張岩松校長を取材し、数々の心打たれる涙の物語に静かに耳を傾けた。

 

力を尽くして人を育てる

横浜山手中華学校に田福という教師がいた。赴任したばかりの張岩松に「君が新しく来た中国語の教師かい。しっかり頑張るんだよ!」と声をかけた。ほどなくして田福は病気で亡くなった。

張岩松が驚いたのは、葬儀の日、日本各地から多くの生徒が駆けつけ、長い弔問の列ができたことであった。彼らは恩師の遺影の前で慟哭した。中には七、八十歳の老人も多くいた。

そして、田福先生を乗せた霊柩車は直接斎場へは向かわず、ゆっくりと横浜山手中華学校の正門前へと進んでいった。彼は生前、「私が最後に去る時は、自分が働いた学校をもう一度見てから行きたい」と話していたという。校門の前は生徒や教師たちで一杯であった。皆、目に涙を浮かべ頭を垂れて田福先生を見送った。

さらに思いがけないことに、葬儀が終わって、田福先生の夫人が寄付金を手に学校を訪れた。赴任して間もなかった張岩松はそれをどう記録すればよいかわからなかった。校長は「遺徳」という勘定があることを教えてくれた。多くの華僑の教師が生前、家族に学校への寄付を託し、華僑学校の発展を支えていたのである。

程貴という横浜山手中華学校を退職した齢90を超える元教師がいる。当時、ここは日本で唯一、五星紅旗がはためく場所であった。日本各地の、祖国を愛する華僑華人はみな、子どもをこの学校で学ばせたいと思っていた。

程貴先生は、昼は学校で授業を行い、夜は宿舎で100名以上の子ども達の世話をして、週末には外へ遊びに連れて行った。ついには、妻や家族も学校の宿舎へ移り住み、洗濯や料理を手伝った。彼はこうして30年間勤めあげた。

そして、張校長が『横浜山手中華学校百年史』編纂のため、程貴先生を取材した時のことである。この老いた元教師は語るうちに、「華僑の子ども達に申し訳ない」と言って泣くのである。そして続けた。「私の力不足で、親元を離れて暮らす子ども達に本当の父や母の愛を注いであげることができなかった」と。

この二つのエピソードを話し終えると、張岩松は涙ぐみ、「この二人の先生から私は『奉仕』というものを教わりました」としみじみと語った。

 

「血は水よりも濃し」

張岩松には今も忘れられない出来事がある。ある日、一人の母親が学校に張を訪ねて来た。そして彼の手をとって涙ながらに言った。「張先生、我々が十数年しゃべっても、あなたの45分間の授業にはかないません」。

その前日、張岩松は地理の公開授業を行った。子ども達の興味を喚起するため、中国各地の美食を詳しく紹介すると、中にはよだれを流して聞く生徒もいた。母親はさらに続けた。

「我々の故郷は北京です。私も夫も東来順の羊のしゃぶしゃぶが大好きなんです。しかし、ご存知のように日本人はほとんど羊の肉を口にしません。生臭い羊の肉は日本で育った息子には抵抗があって、我が家ではもう何年も羊のしゃぶしゃぶは食べていません。ところが昨日、息子は先生の授業を聞いて帰宅すると、大声で『羊のしゃぶしゃぶが食べたい』、『張先生が羊のしゃぶしゃぶが一番おいしいって言ってたよ!』と言うのです。思わず涙が出ました。羊の肉は日本では買いたくてもすぐには買えません。仕方なく牛肉のしゃぶしゃぶを用意しました。息子は不満げに、『張先生は炭火銅鍋で食べるのが一番おいしいって言ってたよ!』と言うのです。昔ながらの北京の炭火銅鍋が日本のどこにあるでしょうか? 息子に、休みになったら一緒に北京に羊のしゃぶしゃぶを食べに帰ろうかと言うと、彼は興奮して眠れなかったようです。これまでは帰国の話をしても一緒に行きたがりませんでした。昨晚、北京の実家に電話をすると、祖父母は、順番に孫に羊のしゃぶしゃぶを食べに連れて行ってやれると大喜びでした。先生の授業のお陰で大家族が一つになれたんです!」。

生徒たちが中国の歴史や地理をより深く学び、中国の文化と社会を理解できるようにと、横浜山手中華学校では毎年、中国文化の常識と知識を競うコンテストを開催している。そこで初めて100点を取る生徒が現れた。不思議なことにその生徒は華僑の第5世代で、両親はほとんど中国語は話せない。ところが、この生徒は我先にと答えるこのコンテストが大好きで、毎朝4時には起きて暗記していたという。生徒の父親がわざわざ学校にやって来て張岩松に尋ねた。「先生は一体どうやってうちの子をあそこまで教育したのですか」と。

張岩松は微笑みながら記者に言った。「子ども達の親御さんからも励まされているのが現実です」。

 

革新を継承し未来志向で

長年校長を務めてきた張岩松であるが、取材中、学校運営について多くを語ることはなかった。国務院僑務弁公室は、横浜山手中華学校に海外の華僑教育の模範となる「山手モデル」を求めており、その期待を強く感じているという。

張岩松校長は、日本における華僑華人子女に対する中文教育資源の不足について話す。関東地方に限って言えば、6歳から15歳までの華僑華人の子女は三万人にも上るという。横浜山手中華学校は政府から予算を割り当てられているわけではない。民間の学校であるゆえに、短期間で入学定員を増やすのは無理である。

今年、小学部の面接試験で五名の受験者の中から一名を選考するという状況があった。ひざまずいて張岩松の足を抱え、孫を採ってくれと懇願する祖父母もいれば、「何を根拠に校長の判断で我が子の一生を左右できると言うのだ?」と問いただす父親もいた。「私は、祖父母を抱き起こし、保護者に向って、『我々はベストを尽くします』と言いました」。

現在、横浜山手中華学校は関東地方における中国語教材の発信源となっており、華僑華人の子女に1万6千冊の中国語教材を提供している。張岩松校長は、今後教材を精選制作し、携帯電話アプリなどマルチメディアによる中国語教育を普及促進したいと考えている。

「新たな華僑教育革命は可能か?」、「百年の歴史を誇る中華学校の旗を日本全国に広めることは可能か?」との記者の問いに、張岩松校長はしばらく沈黙してから口を開いた。「百年の歴史をもつ中華学校として、それを継承した上での革新と発展が必要と考えます。そして、さらに重要なのは、中国の今の時代の特色ある発展を踏まえつつ、独自の方式を融合させることです。そうすることによってさらに魅力あるものができるでしょう。新華僑が成長を遂げた今、華僑華人社会がひとつになって学校を運営する時代が到来しているのです」。

これが、百年の歴史を有する中華学校の校長の夢であり使命である。