翁 永飆 キングソフト株式会社代表取締役社長に聞く
感謝の心で日本人の中国理解を促進

1988年、わずか4万円の現金と胸いっぱいの夢と勇気を持って来日した彼は、1996年横浜国立大学大学院電子情報工学研究科の修士課程を修了し、伊藤忠商事に入社した。彼は同社ではじめて新卒で採用された中国人であった。2002年、設立した会社が経営危機に陥ったため、従業員の給料も三分の二まで減額せざるを得なくなったが、従業員たちはそれでも彼とともに背水の陣に臨むことを希望した。そして、彼は今、中国の金山軟件の日本法人キングソフト株式会社の社長となり、米国のマイクロソフトの日本における最大のライバルとなったのである。彼とは翁永飆、この上海人の伝説はようやく始まったばかりだ。


 

廉価と高品質で日本市場を勝ち抜く

―― 御社を代表する名刺認識・管理アプリ「CAMCARD」とウィルス対策ソフト「KINGSOFT Internet Security」などは現在、全世界でそれぞれ1億人以上のユーザーがいて、知名度はもちろん影響力もトップクラスですが、日本市場での強みはどこにあるのでしょうか。

翁永飆 私たちが最も重視しているのは顧客満足度です。終始ユーザーの立場で、ユーザーのニーズを考慮し、ユーザーに十分な選択の余地を残し、ユーザーに対して低価格または無料のソフトやアプリ、サービスを提供しています。

例えば、イントシグ社が開発しキングソフトが日本国内における独占代理店契約を結び2014年10月より提供を開始した名刺認識・管理アプリ「CAMCARD」は、高度な名刺認識技術を用い、約98%が正確に名刺情報を認識できます。当社は他社同種サービスの5分の1の価格で法人に提供しておりますが、個人ユーザー向けには無料でもアプリを提供しています。

また、当社が最初に売り出したウィルス対策ソフトですが、当時、日本の他社同種ソフトが1年間8000円だったのに対し、当社では1年間980円で提供しました。2年後の2007年には無料にしました。日本市場で無料のウィルス対策ソフトを提供したのは世界でも当社がはじめてだと思います。中国市場でもその後に無料となりました。さらに、当社のオフィスソフトも他社同種製品の7分の1の価格で提供しています。このように、当社は一貫して低価格、高品質の製品を提供することによって、顧客の高い満足度を勝ち得ています。これこそがキングソフトの日本市場での強みだと思います。

 

日本企業として日本のやり方で

―― 中国ITのトップ企業が次々に日本市場に進出してきています。キングソフト株式会社はその先駆者であり、またサクセスモデルでもあるとされています。社長の経験から、中国のIT企業が日本市場に進出する際、どこに注意すべきだと思われますか。成功する秘訣は何でしょうか。

翁永飆 まず、当社自身、中国の金山軟件の子会社や日本法人であるとは考えていません。日本のビジネス習慣や市場動向などを理解した上で、100%日本のやり方に合わせた完全な日本企業であると考えています。

先ほどお話したウィルス対策ソフトは、当時の中国では毎月10元(約190円)の料金で販売し、1億7000万人のユーザーがいましたが、日本では無料で提供を開始しました。

また、中国金山軟件が販売しているオフィスソフトは、中国では日本円にすると1万円ほどで提供していますが、海賊版が横行しているので、中国内の個人ユーザーに対しては売り出せないのです。高い価格で企業に販売するしかありません。しかし、日本では個人ユーザーが受け入れやすい環境であることがわかり、当社はこのソフトを日本市場に持ち込む際に低価格で提供しました。それにより個人ユーザー市場を拡大し、現在の市場シェアは20%以上となっています。

日本の商品流通とビジネス習慣は中国と大きく異なります。例えば、日本のビジネスマンは名刺を受け取ると、いつどこで誰の紹介で知り合ったのかなどを書き込みます。しかし中国で開発した「CAMCARD」にはこの書き込みの機能がありませんでした。当社では中国の技術開発担当を説得し、この機能の必要性を理解してもらいました。私たちの日常業務では、この種のコミュニケーションが大量に必要なのです。

 

日中の従業員は強みを学び合うべき

―― 多くの大企業は、グローバル人材をいかに育成するかという課題に直面しています。御社には中国人従業員も日本人従業員もいますが、育成や教育について区別していますか。

翁永飆 当社の日本人従業員と中国人従業員の割合は8対2です。当社では3年前から日中両国の新卒者の採用を始めました。新人教育のプロセスのなかで、中国人は単独で戦う能力は高いけれど、チームワークに欠けているし、日本人は群れるのを好み、鋭さがないことが分かりました。

中国人新入社員の強みは、プレゼンテーションやディスカッションにあり、良い意見を出してきますし、調査業務や資料の準備などにもこだわりがあります。この点については、日本人の新入社員はまだまだ学ばなければなりません。会社は彼らに対し、お互いに学び合い、共に進歩することに力を入れて指導しています。活動する時にも中国人社員と日本人社員を交互に座らせ、交流し理解するチャンスを増やして、従業員間の連帯を強くするようにしています。

 

伊藤忠ではじめて採用した中国人留学生となる

―― 社長は最初は留学生として来日され、みんなと同じようにアルバイトなど多くの苦労をされました。日本で多くのことを経験し、人生経験も豊富だと思います。これまでに、もっともつらかった時期はいつですか。また最もうれしかったことは何ですか。

翁永飆 2000年に会社を設立しましたが、創業資金として集めた1億円は2002年3月にはなくなってしまいました。当時、2002年5月に新しいサービスを売り出す計画だったので、3月から5月までの間が一番苦しかったですね。新しいサービスは市場に出ていないし、会社にお金がなくても経営し続けなければならなかったのです。

当時いた十数名の従業員は全員3分の2の給料しかもらわないのに、徹夜で仕事をしていました。会社を1日でも長く存続させるためでした。2002年4月にはついにサンプルができ上がり、4500万円の資金が集まりました。5月17日、新しいサービスを販売し始め、5月末には会社の経営は黒字になったのです。そして全員が給料全額を受け取ることができました。この期間が私にとって最もつらい時期でしたが、同時に多くの従業員がともに頑張ってくれたことには大変感動しました。

日本に来て最もうれしかったのは、伊藤忠商事の内定をいただいたときですね。1996年当時、横浜国立大学大学院では理科を学び、国際業務に興味を持っていました。当時日本には九大商社と呼ばれる大手商社がありましたが、どこも外国人留学生を採用していませんでした。そこで私は個別にチャレンジしてみたのですが、そのうち7社の商社からは留学生を採用する計画はないという返事がきました。

伊藤忠商事にも留学生に対応する専門の窓口はありませんでしたので、私は日本の就活生と同じ条件で競争し、最終的に内定をいただくことができ、伊藤忠初の新卒採用された外国人となったのです。

 

身近な人にこそ感謝を伝える

―― 日本で生活されていて、最も多く日本人から学んだことは何ですか。また日本人に伝えたいことはありますか。

翁永飆 最も学んだことは、感謝の心を持つということ、つまり最も身近な人にも、感謝の心を伝えなければならないということです。中国では身近になればなるほど、「ありがとう」は言いません。そうでなければ水臭いと思われるからです。でも日本の会社では、もし教えてもらったり助けてもらったりしたら、すぐに感謝を伝えるメールを送って、目に見えるやり方で感謝の気持ちを伝えなければなりません。

次に、私が学んだことは日本人の几帳面さです。私は血液型がO型で、性格は大ざっぱです。伊藤忠に入ったときもそんなふうで、結果がでさえすればいいと思っていました。しかし私を指導してくれた先輩は几帳面な性格で、時間を厳守するよういつも言われていました。先輩の指導と会社のシステマチックな研修によって、私も几帳面に仕事をする習慣が身に付きました。

日本人に最も伝えたいことは、偏見をなくしてほしいということです。私たちが中国企業だという理由で評価せず、勝手にレッテルを貼るのはやめてほしいのです。当社が日本で「CAMCARD」を販売し始めたころ、ユーザーは、このアプリを通して日本企業の情報を中国に流すのではないか、自社の重要な顧客情報や人脈などが中国に把握されてしまうのではないかと心配していました。今はすでにグローバルな時代になっており、Google、アマゾン、ヤフーなどもみな外国企業なのに、中国企業と中国人に対してだけ差別的な対応は良くないと思います。

また、現在は中日関係が良くないので、私は企業の交流と企業内の人的交流によって日本の民間人の中国理解を促進し、中日関係を改善するために尽力したいと願っています。

 

取材後記

インタビュー終了後、恒例の揮毫をお願いした。翁社長は『論語』の一節から、「己所不欲,勿施于人」(己の欲せざる所は人に施すことなかれ)と書いてくれた。一人の中国人留学生が日本のIT業界のリーダーとなるための原則と心境がここから読み取れるのではないだろうか。