朱 大可 『華夏上古神系』の著者
中日の神話はアフリカ生まれ

 「中国文化は交雑文化であり、日本文化は雑種文化だ」、「李白はヤクザ、蘇軾もヤクザだ」、「それはへそ曲がりではなく、芸術だ」、「世界各地の古代宗教、神話はみなアフリカを源としている」、「思想がないのを環境のせいにするな、自分のせいでしかない」などの威勢のいい、既成概念をひっくり返すような言葉がどんどん出てくる目の前の謙虚な君子。彼こそ、「世界の未来に影響を与える華人50人」に選ばれ、「中国文化の守護者」と呼ばれる朱大可教授である。教授が最近出版した20余年間の学術研究の集大成である『華夏上古神系』(東方出版社、2014年6月初版)は、米国の学者が唱えた全世界のホモサピエンスはアフリカに端を発する学説、ニュージーランドの学者が唱えた全世界の言語はアフリカにルーツを持つという学説を継承したもので、創造的な学術的貢献を含み、人類の文化起源に関する伝統的な考え方を修正したもので、1949年以降の中国学術界の重要な成果であると見られている。9月22日夜、北京五洲飯店に同済大学文化批評研究センターの朱大可教授を訪ねた。

 

「朱語」は中国語の未来を多様化した

―― 新中国の建国後、評論に使用する文体は「新華体」と呼ばれていましたが、現在、先生のお書きになる評論の文体を「朱語」とか「朱体」と言う人が多くなりました。この独自の言語スタイルは評論、特に現代文学のなかでどのような役割を持っていますか。

朱大可 「新華体」には個性が乏しく、誰でも真似ができますから、言語の豊かさを矮小化し、言語を平凡に、単一化してしまいます。もし作家一人一人が自分独自の文体を持ち、自身のネット語、スラング、造語などを作ることができれば、中国語の未来は多様化に向かうはずです。

―― 「新華体」はある意味では「毛体」から来たもので、さらに「毛体」の基礎は唐代の「韓柳体」にあります。では、「朱語」の言語文化的基礎は何なのでしょうか。

朱大可 まず、中国の古典言語ですが、これは最も重要です。私は古代漢語を学びました。次は現代詩歌ですが、特に朦朧詩(1970年代末から80年代初にかけて流行した詩の流派)以降の第三世代の詩歌には大きな影響を受けました。さらに優秀な翻訳家が訳した西洋のテキスト、例えばカミュの考え方、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの幻想的な文章、イタロ・カルヴィーノの精神分裂的な文体などにも影響されました。

 

「ヤクザ化」時代の到来を予言

―― 言語の個性が表すものは思想の個性です。評価が移り変わる情況で、先生のおっしゃる「論争状態のなかにあれば私自身は満足だ」という言葉は素晴らしいと思います。社会や学術界で最大の争点は何でしょうか。ご著書を出される前にこのような論争を引き起こすと予想されていましたか。

朱大可 国内の私についての論争は主に私の文体に対するものです。多くの人が「新華体」に慣れているために、「朱語」をへそ曲がりだと感じ、明らかに一言で表せるのに、何が何でも修飾成分の三、四句を使わなければならないというのです。しかし、そういった人たちは、芸術は修飾だということが分かっていない。もちろん私の文体を好んで真似する人も多いのですが。

私の論集『ヤクザの盛宴』も論争を巻き起こしました。というのも、私がこの本のなかで、李白や屈原も「ヤクザ」の一種だと分類したからです。李白は周囲から孤立した人で、朝廷にも出入りしていましたが、杜甫はそうではなく、いつも朝廷の外にいたものの、精神的には国家と強く結びついて一体化していましたので、ヤクザではないと言えます。蘇東坡も「ヤクザ」ですね。彼は瀟洒な様子で国家と民間からうまく孤立していて、最高の見本となりインテリの理想を完成しましたので、私の本のなかでは彼を中国「ヤクザ文化」の最高峰としました。時間がたつにつれ、現在はますます多くの人びとがこの本の視点に傾いています。というのは私が「ヤクザ化」時代の到来を予言したからです。

 

アジア文化はすべてを超越

―― 私個人としては、アジアには仏教圏と儒教圏と漢字圏という共通性があると考えます。先生の『華夏上古神系』上下2冊は、「アジア精神共同体」という概念に言及しています。具体的にはどういうことでしょうか。

朱大可 うまくまとめましたね! 私の言いたいことを補ってくれました。「アジア精神共同体」以外に、「ヨーロッパ文化共同体」、あるいは「グローバル共同体」があります。地球上のあらゆる現代人は「アフリカ・ホモサピエンス」の子孫であるいう生物学仮説はすでに検証されています。この基礎の上、アフリカ・ホモサピエンスがアフリカから出た時、グローバル共同体が出現しました。これは最大規模のグローバル化です。

次のグローバル化は今から7000年~5000年前に発生しました。西アジアと中央アジアから東に向かって大規模な民族移動があり、新しい共同体である「アジア共同体」が形成されたのです。この移動の原因は西アジアの動乱、災害と関連しており、彼らの太陽神崇拝にも関係しているかもしれません。

―― 現在、英語が世界共通のグローバル言語となっていますが、英語は1500年ほどの歴史しかなく、中国の歴史に比べればかなり短いです。先生は「アジア精神共同体」の形成が「ヨーロッパ文化共同体」の形成よりもはるかに上だと思われますか。

朱大可 「アジア精神共同体」は「ヨーロッパ文化共同体」よりもかなり早く形成されましたから、アジア文化はすべてを超越しているのです。

南アジアから東アジアへの民族移動により「彩陶文化」と「青銅器文化」という二つの重要な文明が形成されました。彩陶文化は7000年ほど前、青銅器文化は5000年から3000年くらい前です。中国はこの二つの文化の受益者であり、また推進者でもありました。この二つの文化は中国でピークを迎えたともいえます。

また、さらに興味深い文明「シルクロード文明」もあります。その情況は特殊で、中国単独から外に向かって拡散したもので、ずっと秘密にされ複製できないものです。でも、この「シルクロード文明」はわれわれが以前考えていたように漢代から始まったのではないのです。商の時代にはすでに貿易が行われていました。三星堆遺跡では多くの貝の貨幣が発見されましたが、この貝貨はインド洋から来たものです。考古学では、雲南から東南アジアへ、さらにインドへと続くライン上に多くの貝幣を発見し、つながりを作っており、最も初期のシルクロードであると言われています。シルクロードは世界規模のものではありませんが、最も早くエジプトに達しました。エジプトでは3000年以上前の絹の断片が発見されているそうです。一片にすぎないのですが。

以前、私はシルクロード文明が中国文明と文化を輸出し拡散したと指摘してきました。しかし、いかなる文明と文化も一方的に拡散するのではなく、同時に得るところもあるのです。当時の中国は絹を海外に伝え、同時に西アジアや中央アジアから玉石、青金石、黒曜石を輸入すること、それこそが周の穆王が西域に向かった主要な目的の一つであり、玉石貿易の道はそこから開かれていったのです。これは双方向の交流であり、双方が利益を得るものです。ですから、私はシルクロードというよりシルク玉(ぎょく)ロードと呼びたいのです。

―― 今年は日清戦争120周年です。私はいくつかの中国国内メディアの記念番組制作スタッフと横浜開国資料館を訪れましたが、ちょうど養蚕に関する展示をしていました。1853年に横浜が開港してから日本国内では養蚕業が発展し始め、輸出を拡大し外貨を稼ぎました。先生は日本の絹輸出と中国の絹輸出との関連性や影響について研究されたことはありますか。西洋に占める割合はどちらが高かったのでしょうか。

朱大可 両国の絹輸出は互いに影響し合っており、日本の絹輸出と中国の絹輸出は競争関係にありました。当初、中国の絹輸出が圧倒的で、日本の絹生産量は少なかったため世界市場では補填的な役割にすぎませんでした。19世紀に入って開かれたパリ万国博覧会によって中国の絹の販売量は大幅に増えましたが、のち次第に日本に取って代わられました。日本では早くから西洋の管理手法を取り入れ、規格化を実施し、桑栽培、養蚕から糸繰りまでを一貫して管理したので、品質が高く安定していたのです。しかし中国では小規模農村経済にとどまっていたため、絹輸出に対して品質管理はできず、品質がバラバラだったため自然に衰退していきました。

 

「中国文化交雑説」の提唱

―― 私たちの伝統的な考え方では、アフリカ文化は遅れた文化であり、原住民の文化ですが、先生はご著書でアジア文化はもともとアフリカ文化から来たものだと主張され、間違いなく読者に今までにない衝撃をもたらしました。先生はこのことが中国人を精神的に落ち込ませると心配なさいませんでしたか。

朱大可 いいえ。人類の歴史はアフリカから来たものですからね。社会学的な視点からも、アフリカと古代中国は当時の地球上で生物が最も住みやすいところだったのです。ですから、西アジア人はこの地域に移り住みましたし、さらに早い時期に夷夏の戦い、炎黄の戦いなど民族間の衝突が起きました。西夏人が牛による耕作、青銅と刀剣を、東夷人が稲作、養豚をもたらしました。西夏人は彩陶文化を持ち、東夷人は黒陶文化を持っており、双方の文化がぶつかりあいましたが、最後は遊牧民族が農耕民族に勝ちました。しかし、西アジアの馬や牛による耕作技術などは東アジアの農業文明を豊かにし、生産力を大幅に向上させたのです。東アジアからも陝西、山西地域のアワやキビが西アジアに伝わりました。

私は『華夏上古神系』のなかで、中国古代文明と神格化の起源を探り、地球各地の古代宗教、神話はみなアフリカに発することを発見し証明しました。神話研究においては日本での研究が進んでいます。私の観点は参考とする価値があると日本の研究者にも思われるでしょう。

私の著作の観点を「中国文明西来説」と簡単に定義する人がいますが、それは誤解です。私が提唱しているのは「中国文化交雑説」で、文化の相互作用と許容を強調しています。

 ―― 日本の学者である加藤周一先生は、日本文化は「雑種文化」だと主張しています。先生の「中国文化交雑説」と「日本文化雑種説」とは共通点がありますか。

朱大可 完全に一致しています。それはアジア文化の共通性です。最も早く日本に渡ったのは夏邑人で、その後は多くの人びとが海を渡って行き来しました。雲南の少数民族であるハニ族、イ族の文法構造は日本語と似ています。それは日本人のルーツを豊かにしたのです。

 

思想がないのを環境のせいにするな

―― 一党独裁のもとで現代中国の思想家は自己の思想を持つことはできないと日本人は考えています。だから、中国から海外に留学しても理工系学生は帰国するのに、多くの文系学生、特に思想、批評関係の学生は帰国したがらないのだと。海外留学した思想家、批評家として、先生はどのようにお考えですか。

朱大可 私個人としては西洋国家で生存することはさらに困難だと感じます。この生存というのは、生命のレベルではなく、思想的なレベルにおいてです。西洋の国家では深いレベルでの思想交流はできないと考え、私は最終的に帰国を選択しました。

日本人は思想が制限を受けると考えているのでしょうが、時には手かせ足かせをつけて踊るというのも悪いこととは限りません。ソ連は典型的な例で、ソ連解体後は逆に思想がなくなりました。これについては心配していません。私の主張は、思想がないのを環境のせいにするな、自分のせいでしかない、ということです。もし自身に力があれば、どのようなものによっても自身を消滅させることはできません。圧力というものは私にとって一種必要なものだと思います。

先日、中日韓三国の学者による交流会の席上、私は『三国演義』を取り上げました。つまり、中日韓の三国は互いに引き寄せられ、また排斥し合う関係だということです。以前日本は中国化したいと思い、また中国化とは一線を画したいとも思っていました。現在、中国は韓国化、日本化したがっています。そのような双方向の過程は、民族が文化主体を確立する過程であり、同時に吸収し学習する過程でもあります。この双方向性は相互作用を進めるでしょうし、また学び合い排斥し合うことによってのみ、「アジア精神共同体」をさらに有効に、さらに健全に持続していくことができるのです。