王 志華 中国機械工業聯合會・中国機械設備工程股份有限公司・駐日本代表事務所代表
「対話」を求めて―在日華人華僑の使命とは何か

北京生まれの王志華氏は1994年から中国機械工業聯合會・中国機械設備工程股?有限公司・駐日本代表事務所の代表として日本に駐在している。この20年間に日本と中国の鋼材、産業機械、工作機械などの輸出入を主に王氏一人で100億円の取引を成功させている。1984年には「機械技術1982年版―フレキシブル生産システム(略称FMS)―」(日本の専門誌に12回連載)を中国語に翻訳した。特筆すべきは、FMSの訳語「柔性製造系統」が今では中国語として定着していることだ。

 

文革の中、ラジオで日本語を習得

―― 日本語がとても上手ですが、どこで学ばれたのですか。

王志華 ラジオの日本語講座で学びました。74年10月12日からです。今でもはっきり覚えています。

新中国建国当時、外国語と言えばロシア語でした。1960 年代に入り、徐々に英語、ドイツ語、フランス語、日本語教育が社会に浸透しつつありましたが、66 年から始まった文化大革命で途絶えました。しかし、76年まで続いた文革ですが、その後期にはだんだんと外国語教育も許されるようになり、72 年の日中国交正常化では日本語ブームが起きています。

文革中は難しい学問は困難でしたが、語学は文系・理系どちらの知識も直接関係なく比較的スムーズに取り組むことができたのです。

さらに、私が見習いとして入社した北京第一機床廠(BYJC)には数学・物理・化学の勉強をする養成班がありました。我々は仕事が終わると夜食の肉マンをもらって、夜間学校に通いました。

小学4年生レベルからのスタートでした。というのは私が小学4年生の時に文革が始まり、学校で勉強ができなくなったからです。私は、夜間学校で高校までの知識をほぼ身につけました。もちろん日本語の勉強も続けていました。

文革が終わり、鄧小平は科学技術と教育の再建に取り組みましたから、“勉強することは恥ずかしいことではない”という風潮が起こりました。1970年代末に、大学受験制度も復活しましたが中国は人材不足でした。そこで専門技能を育成するために中国政府の各部門が専門学校をスタートさせました。私は工作機械専門の製造養成班の講座(2年間)を受験し、全国で合格したのは28人という陝西機械学院に入学しました。そこに日本人の先生がいたので日本語も学べたのです。

卒業後、1983年にBYJCへ復職し、日本の日立精機(当時)などと技術提携を目的に、技術者との交流や営業活動に従事しました。そのうち海外営業部を設置することになり、対日業務が本格的にスタートしました。

当時、中国の企業は日本や欧米などの企業と直接取引は出来ず中国機械工業省直属の対外貿易窓口である中国機械設備進出口総公司(CMEC)等を通じて海外との業務を行っていました。私はCMECにヘッドハンティングされ、1990年10月に転職したのです。

周恩来総理と池田大作先生のこと

―― 日本で忘れられない思い出はありますか。

王志華 CMECに転職した後、1994年に駐日本事務所の代表として来日しました。以来、日本に住んで20年になります。

生涯忘れられない人は中国では周恩来総理です。日本では中日友好を重視する多くの方々に出会いましたが、その中で、友人を通して創価学会と池田大作先生のことを知りました。周総理の大切な友人であり、中日国交正常化に貢献されたこと、周総理を記念する桜を創立した大学に植樹したことなどを伺い、私自身も中日友好の架け橋になりたいと思うようになりました。

その後、関係者の協力で、2000年5月に北京行政学院より池田先生へ名誉教授称号を授与することになりました。式典では、池田先生が王副学長一行と会談され、私は中国側の通訳を務めさせていただきました。このことは生涯忘れられない思い出になりました。

この会談を通し、池田先生の中日友好への情熱と中国人民への厚い友誼の心を改めて感じました。池田先生は侵略戦争を起こした日本の非を認め、国際的な平和活動家として活躍されています。このことを中国と日本の方々はもっと知ってほしいと思います。

 

中国人には対外侵略するDNAはない

―― 中日関係は現在、国交正常化以来最もきびしい冬の時代と言われています。在日華人華僑が果たすべき役割とは何でしょうか。

王志華 先日、中国の習近平国家主席は「中華民族の血には他国を侵略したり、世界を抑えこんで支配するDNAはない」と述べました。

アヘン戦争以来中国は半封建、半植民地国になり、中国は外国にいじめられてきた歴史があります。それは悲しい歴史です。この経験を通じて得た教訓は、国が強くならなければいけないということです。また、そうしなければ、国民の生活レベルも上がりません。

中国には昔から子どもに漢字を覚えさせ、併せて儒教・道徳を学ばせようという目的で編まれた『三字経』という本があります。それは、「人之初 性本善」と言う言葉で始まります。人は生まれた当初、その天性は皆が善良であると言う意味です。その後、環境や習慣の違いが人に差をつけていくと続きます。

日本人の中には反中感情を持っている人がいます。その原因は何でしょうか。日本は国民に戦争――侵略戦争の歴史を十分に教えていないのです。戦争の歴史を教わっていないのですから、両国の国民感情に差が生まれるのは当然です。それを埋めるための「対話」が足りないのです。かつての戦争はどのような戦争だったのか、機会を捉えて「対話」することが大事です。そして、在日華人華僑は「中国人には対外侵略するDNAはない」ことを説明する責任があると私自身は考えています。お互いを理解した上で、中国人も日本人も共に仲良くするという平和の輪を広げていきたいと願っています。