王 軍 中国文物交流センター主任
文化財交流が中日関係に春風を呼ぶ

長崎は中国並びに中国文化と長い歴史をもつ土地である。遣唐使はこの地から一団また一団と出発した。空海が出発に際して放った「これ本望なり!」との言葉が今もこだましているようだ。当時、中国からも続々と中国人が海を渡り築いてきた中華街は今日、日本の立派な観光地となっている。また、この地で生まれた梅屋庄吉夫妻が孫文の革命を支えた物語も代々語り継がれている。本年6月から明年3月まで、中国文物交流センター、長崎孔子廟中国歴代博物館共催、浙江省博物館出展による『十里紅粧――中国浙東地区婚礼風俗文物展』が長崎孔子廟中国歴代博物館で開催される。今回の展示会では72点(セット)の婚礼文化財によって浙東地区(寧波、紹興、舟山一帯)の婚礼習慣・伝統文化を紹介する。このほど、展示会の特色と現今の中日文化交流等について同センターの王軍主任に話を聞いた。

 

海外の孔子廟で中華文化を普及促進

―― 『十里紅粧』を今回の展示会のテーマにされた理由は何でしょうか。

王軍 結婚を「一生の大事」と呼んでいることからも、中国人が結婚を重視していることがわかります。古より結婚の儀式は厳かで細かい手順を踏襲しています。また、結婚は女性にとって一生で最も大事な瞬間であり、慶事です。慶事は賑やかで華やかさがなくてはいけません。嫁がせる方も娶る方も派手で、その派手さ賑やかさは花嫁を花婿の家に送り届ける隊列に勝るものはありません。嫁入り道具、銅鑼と太鼓、爆竹……。

『十里紅粧』で紹介されているのは、清末・民国期の浙東地区で盛んだった婚礼習慣です。「良田千畝、十里紅粧」は嫁入りの情景や嫁入り道具の豪華さを表現しています。嫁入り道具はみな包装されすべてが揃っています。朱と金に塗られたきらびやかな一竿一竿の嫁入り道具の隊列は、花嫁の家から花婿の家まで延々と続き、壮大で、金の龍が赤いチャイナドレスを纏っているように見えるため『十里紅粧』と呼ばれています。

『十里紅粧』についてはこんな生々しい伝説もあります。南宋元年、即位して間もない高宗が金軍に追われて浙東のある湖まで逃げたが、前方に道は絶え後ろから兵が迫り来る中、幸運にも一人の洗紗村の娘が現れ、彼を水中に隠し白布で覆って助けた。高宗は命の恩人に、必ずあなたを迎えに来るから結婚しようと約束します。高宗は命を下し彼女を探しますが失敗に終わり、仕方なく、浙東の女性が嫁ぐ際には四人担ぎの嫁入り籠を使用し、籠には霊鳥を彫り鳳凰を描くことを特別に許可したと言います。伝説の真偽を検証することは難しいですが、新婦が籠に乗って嫁ぐ儀式は原型を留め、『十里紅粧』へと変化しました。

―― なぜ展示会場に長崎孔子廟を選ばれたのですか。

王軍 長崎孔子廟は1893年に現地華僑の出資で建設されました。今日に至るまで、海外で中国人によって建てられた唯一の孔子廟であり、現地では「長崎の中の中国」と呼ばれ、現地華僑華人の精神の拠り所であり誇りです。中日国交正常化後、東京華僑総会と九州華僑総会の尽力により、日本政府は長崎孔子廟を中華人民共和国の国有財産と認めました。1983年には孔子廟建設90周年を記念して、大成殿の後ろの唐人館を改築し中国歴代博物館を建設しました。2009年から中国外交部から委託を受けた在日華僑(財団法人)が管理しています。

1988年からは故宮博物院と国家博物館(元中国歴史博物館)共催で中国文物展を行い、2年に一度、展示品の入れ替えを行っています。さらに、2012年から中国文物交流センターが展示会を担当することになり、第1回として2013年2月に『中国西域•シルクロード伝説』展が開幕しました。

 

海外での展示には大胆さと斬新さが必要

―― 『十里紅粧』展の主な内容について。また、見どころはどこですか。

王軍 今回の展示は4つのユニットから成っています。第1ユニットの『歓天喜地中国紅』は赤を基調に幸福な出発を演出し、三種の展示品がもつ独特の味わいのある技工を紹介することに重点を置きました。

第2ユニットの『飛針線秀女紅』では、『十里紅粧』の嫁入り道具に見られる伝統的な女性の手工芸の技巧を重点的に展示し、一組の浙東地域の色彩を帯びた紡織用具と刺繍で、女性が嫁ぐ前の生活を描き出しています。

第3ユニットの『濃淡相宜巧梳粧』では、伝統的な化粧道具にスポットを当て、女性の美を愛する共通性を表現しています。今回日本の観覧者のために持ち込んだ一点一点すべてが浙東地域の色彩を帯び、新婦の将来への美しい願いに溢れています。

第4ユニットの『紅粧十里新嫁娘』では、その他の嫁入り道具の逸品でショーケースの中に新婦を送る隊列を作り上げ、会場内のお祝いムードを頂点に押し上げ、観覧者を最後の展示室へと導き、最大の展示品である千工床を観覧します。ここは『十里紅粧』の隊列の終点である新婚夫婦の部屋で、これで展示は最後になります。展示会場全体の背景が婚礼の赤のベールで装飾され、細心の配置により文物を際立たせ、進むほどに人を引き付けます。

特筆すべきは、この展示会を企画する中で、中国側のスタッフが開催地長崎の華人が建てた興福寺で、珍しい婚礼文化財の類似品である杠箱を発見したことです。興福寺は清の時代、江南華僑のために創建され、杠箱は今まで寺の三江会館の倉庫の奥に隠れたまま人に知られることはありませんでした。

今展示会は中日の関連機関の共催ですが、初期の在日華人の婚礼文化を証明する文化財を、祖国浙江省から来た同種の文化財である『轎前担』と共に展示できることは、数百年を隔てて異郷で旧友に会うが如しです。今展示会に数世紀も昔に長崎を開拓した同胞に敬意を表するという人文的な意味合いも添えてくれました。

そして、千工床は今展示会の大きな見どころであり、日本側の主催者が最も注目している展示品です。長さ221cm、奥行き301cm、高さ268cmという大型展示品は浙江・寧紹地域の典型的な婚礼用ベッドです。

千工床の向かいには、今展示会のために設計された『十里紅粧』体感インタラクティブゲームがあります。ゲームでは、展示してある果物籠などの重要文化財を選びます。バーチャルの千工床を背景にして、『紅粧』のトピックでもありますが、両手で果物籠を持ち天から降ってくるピーナッツや飴をゲットします。

このゲームは中国文物交流センターが研究開発し、アジア地域唯一のバーチャルインタラクティブゲームの代理店と合同で制作し、今回の展示テーマに即したものを長崎の展示会場に持ち込んだのです。中国が主催する海外の展示会では初の試みであり、新たな目玉です。

 

文化財交流が中日関係に春風を吹き込む

―― 中日関係が困難に直面している今、中国文化財の展示会開催にはどのような意義があるとお考えですか。

王軍 両国関係が困難な時期であるからこそ、文化財を交流の使者にするべきです。歴史を振り返っても、関係が難しくなった時に文化財が積極的な役割を果たした例は枚挙にいとまがありません。

中日関係が冷え込んでいた2004年に、西安で遣唐使の井真成の墓志が発見され、中日両国で一大センセーションを巻き起こしました。2005年5月、井真成の墓志は日本で展示され、数十万の観衆が見物に訪れました。同年8月には『遣唐使と唐代美術展』が東京国立博物館で開催され天皇皇后両陛下もご覧になりました。

当時、日中友好協会の平山郁夫会長は展示会の挨拶で「21世紀の今日の日中間に浮き沈みを多くの有識者が憂慮していますが、遣唐使の墓志の発見が日中両国民は仲良くしなさいと1200年前の声を届けてくれているようです」と述べました。

『走向盛唐展』が東京で開催された時は、中曽根康弘氏、橋本龍太郎氏、森喜朗氏の3名の元首相がオープニングセレモニーに訪れ、空前の盛況ぶりでした。中曽根氏は挨拶で、日中関係を大事にし、共にアジアの未来を拓こうと呼びかけ、日本で大きな反響を呼びました。日本での中国文化財の展示会は中日関係の改善に独自の働きをし、関係が低潮な時に春風を吹き込んでくれたという論評もありました。

―― 中国文物交流センターについて紹介していただけますか。

王軍 当センターは1971年に創設された国家文物局直属の対外交流機関です。主な仕事は文化財の海外出展と海外から来た文化財の展示会の企画・調整・受託と、文化遺産国際協力プロジェクト等の企画・受託です。

当センターでは40年以上、一連の重要文化財展示交流プロジェクトを担い、これまでに200回以上の展示会を、世界五大州30カ国と香港、マカオ、台湾で開催し、観衆は延べ5000万人を超え、世界の人々に中国の歴史と中国文化への理解を深めてもらうことができました。

70年代以降、当センターは日本だけでも30回近く展示会を開催しています。多くの展示会が話題を呼び、日本の観衆に深い印象を残しました。『中華人民共和国出土文物展』、『黄河文明展』、『中国秦兵馬俑展』、『世界四大文明•中国文明展』、『走向盛唐展』、『遣唐使と唐代美術展』、『大三国志展』等を成功させ、中日関係の健全な発展に大きな役割を果たしてきたと自負しています。