叶 新華 先端技研株式会社代表取締役
環境に適応し、勢いに乗じてことを為す

時代背景や環境が同じでも人間の運命はなぜ往々にして異なるのか。賢者は勢いに乗じて動き、愚者は時代に逆らって行く。家族の後ろ盾もなく、成功が約束された要因もなく、安徽省の田舎から出てきた先端技研の叶新華社長は、「今日の私があるのは、ただ大自然の法則――環境に適応し、勢いに乗じてことを為す――にしたがっただけだ」と語る。

 

天の時

――無垢な少年は村を出た

「数百年の家柄は善行の上にあり、第一等の快事は読書の外にない」―商務印書館の元老・張元済による対聯(漢詩の対句)は、徽州商人の子孫への戒めであり、徽州派の古色蒼然たる民家でよく見られるものだ。朱熹、戴震、胡宗憲、胡雪岩、胡適などの故郷である徽州は、数百年中国の商業界の雄と呼ばれた徽州商人を輩出してきた。それは、「賈而好儒(賈にして儒を好む)」――商人でありながら教育を重視したゆえである。

風土がその土地独特の人間を育てる。1959 年、叶新華は徽州文化発祥の地、安徽省歙(きゅう)県に生まれた。民国時代の教育者である陶行知はここの出身で、中国近代教育史上にその名を馳せた。また、叶新華の生家から数キロ離れたところに朱元璋に九字策を献じた朱升や、揚州八怪の一人汪士慎の故郷がある。

少年時代の叶新華が暮らしていた徽州地区の村の家々には蔵書があった。これが、彼の最も貴重な「心の栄養」になった。ほかの子どもたちが川で魚をとったり、木に登って実をもいだりしている時、彼は家の屋根裏部屋で『三国志』、『水滸伝』などの名作を読み漁った。

「読書無用論」が叫ばれていた中学生時代、都市から田舎に左遷させられた程松柏、程?東の両先生の熱心な指導のもと、数学に濃厚な興味を寄せ、しっかりと数学の基礎を築きあげた。1978 年、中国は大学入試を復活させ、彼は合肥工業大学機械工程学部に合格した。19 歳だった。彼は「知識は運命を変える」を実証したのである。

彼に続いて、二人の弟たちも相次いで大学に合格した。地元の新聞『安徽日報』は「貧しい家庭の三兄弟が続けて大学に合格」と伝え、地元で話題を呼んだ。叶新華三兄弟は「天の時」を見定め、村を出た。彼らは時代の「幸運児」となったのである。

 

地の利

――郷に従い成長の「パスワード」を探す

1989 年、海外との交流が日増しに盛んになり、国の外に出てみたいというのがその時代の多くの知識人の願いだった。成都電子科技大学で修士の学位を得た後、大学で教えていた叶新華は、日本に留学するチャンスを得、静岡大学に入学した。当時、中国で知り合った日本の大企業の専務である友人が富山県に招いてくれた。そこは、日本的な裸の付き合いをする温泉であった。

温泉には体を洗うための洗面器と腰掛けが、壁に沿ってきちんと並べられていた。しかし、彼らが体を洗い終わった時、周りの腰掛けと洗面器が雑然となっていた。友人は極自然にほかの人たちが使っていた腰掛けと洗面器を一つ一つ並べ直した。「外国人は自分が使ったものを片づければそれで責任を全うしたと思うだろうが、日本人は自分のことだけではなく、人のも片づけなければと思うんだ」という友人の言葉が脳裏に刻まれた。

「チームワーク、これこそ日本社会の核心です。自分一人で戦うのではなく、チームで一緒に成長し存続する。実際、私が今までやってこられたのも、この精神を発揮できたことが最大の理由です。私はこのチームワークの恩恵を受け、日本の『地の利』を得ました」。彼の言葉には感動があふれていた。

 

人の和

――上から下まで信頼され新天地を開く

先端技研は最先端の3D シミュレーション技術を有しており、トヨタ、日産、スズキ、ボルボなどの企業と直接契約し、200 余りのグローバル企業を顧客にしている。リーマンショックなどの波風があるにもかかわらず、会社は、安定的に成長している。

だが、先端技研には13 人の日本人従業員しかいない。そのほとんどは叶新華が以前勤務していた会社のCAE(工業製品の設計・開発工程を支援するシステム)部門から来ている。

ビジネス戦争が激烈な昨今、技術部門全体を連れて独立するだけでなく、責任者が起業するということを、会社がそのまま許すわけがない。しかし、彼は同社のCAE 部門を先端技研に変えただけでなく、同社の業務をも請け負った。

同社は世界的にも有名な3D 設計ソフトのビッグ3 に入る米国の多国籍企業である。2004 年、同社のCAE 部門は大幅な人員削減に直面した。熟慮の末に彼は会社に対して部門全体の業務を請け負うという大胆な提案をしたのである。

その当時、彼の名前が同社のCAE 製品の代名詞になっていたほど顧客から絶大な信任を受けていた。ほどなく会社側は彼の申し出を受け入れた。

先端技研が設立された時、元CAE部門の従業員は一人も去らなかった。創業十年近く、社員達は、前職より、よりよい収入を得て、自分達のやりたいことをやって、社会に貢献している。

会社も海外に事業展開し、現在、中国には事務所が4 カ所ある。彼は上司と部下の信頼を獲得し、成功には欠かせない「人の和」を勝ち取った。

 

社会に有用なことを

――起業成功の基本

起業は簡単なことではない。ましてや中国人として異国の地で起業することにはさらなるリスクが伴う。先端技研は、製品開発の中でいかに、より良く、より早く、よりコスト削減するか、という製品開発のバーチャルCAE 技術を提供している。この技術は日本ですでに行われていたものの、先端技研は製品開発の初期段階に応用し、この技術を製品開発のプロセス全体に貫くことによって、製品開発に対して指針となる役割を持たせた。

トヨタ、スズキ、安川電機、富士電機などで実行されるなかで、設計周期を大幅に短縮し、実機試験の際には一度で設計指標をクリアし、製品の競争力を大きく引き上げたのである。

この技術は、今まさに製造から創造へと転換しつつある中国の製造業にとって、極めて重要な技術革新であることはいうまでもない。中国創造を実現するには、ツールと方法論が必要だ。新しい設計ツールの使用方法と製品開発中の最新の方法論を掌握できなければ、製品開発能力を備えることはできない。

先端技研が有するツールと方法論を中国の製造業に応用するために、叶新華は江蘇省から海外ハイエンド人材として招聘されている。現在は、中国で積極的に新しい設計方法を普及させ、先端技研を中国でも日本同様にこの分野におけるトップ企業として、祖国の発展に貢献しようとしている。

彼は話す。「天の時、地の利、人の和は、環境適応、環境コントロールの産物です。私の心に刻んでいる父の言葉を最後に紹介します。“有能な人間は自分を責め、無能な人間は人のせいにする。いかなる時でも自分で運命を把握できる人こそ、時代の勝者になる”」と。           (敬称略)

 

<Profile>

安徽省歙県出身。1982年、中国合肥工業大学機械工程学部卒。85年、中国電子科技大学で修士号取得。93年、日本静岡大学で博士号取得。工学博士。97年、PTCジャパン入社。04年、先端技研株式会社を設立、代表取締役に就任。