「最近の中日関係は正常とはいえません。長崎県は日本で『中国的要素』が一番多く、中国との交流が活発です。中村法道県知事は日中友好を熱心に推進し、中国の新しい指導者、習近平に会見するため北京に行きました。中日関係の新しい出発は長崎から始まります」。2月12日、中国の旧暦の正月三日、李文亮中国駐長崎総領事は単刀直入に話してくれた。
長崎は日本で「中国的要素」が最も多い
―― 昔から、長崎は中国と特別な関係があります。
李文亮 長崎は日本のいちばん西に位置し、さらに西に行くと東海を渡り上海に着きます。直線距離で782㎞です。古くは、遣唐使が日本を離れる時、長崎を必ず通りました。
中国からは明清時代の隠元和尚が63歳の時(1654年)、伝法にやってきました。日本の禅宗の三大教派の一つ「黄檗宗」の開祖です。徳川幕府は鎖国政策をとりましたが、長崎だけに外国貿易を許し、中国人だけに居住を許しました。近代では、中国革命の先人、孫中山先生は来日16回のうち長崎を9回訪れ、長崎の資産家、梅屋庄吉夫妻は孫中山の革命事業に、屋台を傾けるほどの資金援助をしました。
新中国成立後、周恩来総理は「民によって官を促す」と、中日民間交流を推進しました。1958年に「長崎国旗事件」が起きましたが、それも長崎が新中国との民間交流を早くから行っていたからです。1971年5月、当時の久保勘一長崎県知事は、中華人民共和国が中国を代表する唯一の合法政府であると県議会で答弁しました。その後、久保知事が推進し、その年の7月に、長崎県議会は日本政府に中国と外交関係を回復するようにと呼びかけました。その翌年、1972年9月29日に中日政府は国交正常化の共同声明に署名しました。その20数日後に、久保知事は長崎県代表団を率いて、初めて中国に足を踏み入れました。私は、中日国交正常化は長崎から始まったと、そして新たな出発は、再び長崎から始まるとみています。
長崎の華僑華人は社会の主流にとけ込んでいる
―― 長崎の華僑華人や留学生の現状はどうですか。
李文亮 日本の三大中華街は、「横浜中華街」、「神戸南京町中華街」、そして「長崎新地中華街」で、長崎は歴史がいちばん古い。まさに在日華僑華人発祥の地といえます。
現在、長崎の人口は140万人余りで、中国人は4000人余りです。長崎の華僑華人の特徴は、ほかの地域と比べると、現地の社会の主流の一部になっていることです。長崎では、すべての重要な活動に、華僑華人の姿があります。中村知事が率いた訪中代表団にも老華僑、新華僑の代表がいました。
領事館として最も重要なことは、華僑の正当な権利と利益を保護することで、これは当然の責任です。
外交は「人間味」をもって
―― 中日関係の新しい状況下、中日の地方外交と公共外交をどのようにみていますか。
李文亮 中国が目標にそって着実に発展していることは、誰もが認めるところです。こうした情況下で、中国は国外に親しみ深く、敬われるようなイメージをつくっていくことは、国レベルの政府外交としても非常に重要です。また、民間外交、地方外交、公共外交の役割も必要となっています。この方面では、当面、中日の人々の間の相互の信頼の気持ちや理解を深めることが重要です。
どのように展開していくかは、私の経験では実際に基づいて行動すべきです。中国は真の大国として、高飛車に出てはいけないと思います。今年の旧正月の大晦日ですが、日本の関係方面は長崎県海域で、日本の経済水域に不法侵入し操業した漁船をだ捕しました。私は関係方面と直接話しました。中国人にとって旧正月はとても大事です。漁民たちが違反をしたというなら、規定にもとづいて罰金を支払いましょう。早く釈放してもらえれば、彼らも正月を過ごすことができます。そうなれば、みながほっとできます。結果的に、日本側は「人間味」のある対処をしてくれました。24時間も経たないうちに、拘束された漁民も漁船も釈放されました。
中日のメディアは大勢をみるべき
―― 中国駐日本大使館のスポークスマンとして、マスコミの仕事に精通されていますね。現在、中日のメディアには、、「政府の外交政策」がメディアに拉致されたような感さえあります。
李文亮 現在、中国と日本には程度は違いますが、相手に対する理解に欠けるという共通の問題があります。メディアにもこの問題が存在しています。メディアは政府の外交に影響力をもっています。しかし、私はメディアが政府の外交を拉致しているという見解に同意できません。
日本のメディアの中国報道を客観的にみると、捏造しているかと言えば、そうではない。中国を悪者にしているかと言えば、そうでもなさそうです。いくつかの問題において、比較的正確に、きちんと書いています。しかし、大勢については、分かっていないし、的を射ていません。私はよく日本の人に話しています。もし中国が積極的に侵略するような国であれば、万里の長城を築いたりしませんよ、と。中国の軍事は防衛的です。中国は平和を愛する国で、自分から事を起こすようなことはしません。こうした点を、日本のメディアは分かっていません。
中国の日本に対する報道にも、程度は異なりますが「木をみて、森をみず」という問題があります。日本の社会で主流でない声を主流のようにみなしてしまうと、民衆が日本を正確に理解できません。
「東洋貨」から「日本製品」までは学ぶ価値がある
―― 外交官として、日本に22年駐在され、日本に関わる仕事に携わって30年以上になられますね。
李文亮 偶然です。私は1970年、大連外語学院に入学しました。当時、長く対日関係の仕事をしてきた廖承志が周恩来総理に建議しました。「外国との交流が必要で、隣国日本ともつきあわなければなりませんが、人材が不足しています。人材を育成してみてはいかがでしょう」と。大連外語学院で、学生は専攻を自分で選択することはできず、私は日本語を勉強することに決まり、日本との縁ができたのです。
1974年に卒業してから外交部に配属され、すぐに「五七幹校」に行って訓練を受けました。私のような三門幹部(家の門から学校の門へ、そして役所の門に)は、社会的な経験が足りないという理由からでした。1975年3月18日、東京の中国大使館で働くことになり、それ以来、日本関係の仕事に携わって38年です。この間、東京駐在が4回、札幌駐在が1回、今回は長崎に来ました。長崎は、おそらく私の外交官生活最後の仕事になると思います。
日本の印象と言えば、島国なので日本人は物の見方が狭いところがあるように思いますが、慎み深く勤勉で真面目です。戦後の焼け野原から復興して、40年余りで世界第2位の経済大国になったのは、やはり奇跡です。しかも、「日本製造」の四文字は、質の良さを表す代名詞となり、学ぶべきものです。中国と日本は隣りあっていて、引っ越しできない間柄です。互いに関心を寄せ合って、良き隣人になろうではありませんか。
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