渡邉 敏行 株式会社ベビーピュア社長
自己に打ち勝つ人に栄冠が

22年前、渡邉社長は中国の家を売り払い、一家で日本にやってきた。アルバイトで苦労して800万円を貯めながら、16年前、“私学の両雄”の一つである慶応義塾大学を優秀な成績で卒業した。10年前には年収850万円の仕事を辞めて中華料理店を開いた。現在、彼は35の直営、加盟店を有する、有名な中華料理店チェーン『青蓮』のオーナーである。渡邉敏行という人物は、家族からは“気がおかしい”と言われ、大衆には不可能を可能にした男と称される。彼は、秀でた在日華人と言うより、在日華人の真の勇者と言えるだろう。なぜなら、言うは易く行うは難しで、多くの人が“人生とは絶えざる自己との戦い”と口では言うが、渡邉氏はこの信念を真に実践する人だからである。

 

 皿洗いからウェイターに

多くの中国人は自分だけ先に日本に渡り、足元を固めて家族を呼び寄せるが、渡邉氏は一家で日本にやって来た。家を売って手にした2万元(約30万円)は、家族全員の飛行機代と1カ月分の家賃にしかならなかった。手元にあったわずかなお金も無くなり、すぐに死活問題に直面した。彼は日本に来て2日目には職探しを始めた。スーツに革靴姿で、横浜中華街に皿洗いの仕事を見つけた。店主に「いつから働ける?」と聞かれて、彼は考える間もなく「今すぐにでも!」と答えた。「スーツ姿でどうやって?」と聞かれると「スーツを脱げば大丈夫です」と言って、スーツを脱ぎ腕まくりをしエプロンを結んだ。これが、彼と日本の中華料理店との初めての出会いであった。

ほどなくして彼は、このままだと自分は“食器洗い機”になってしまう、一段上を目指そうとウェイターを目標にした。努力の結果、彼はすぐに皿洗いからウェイターに昇格した。数年後、彼は当時を思い起こし笑いながら言った。「この小さな変化を笑わないで下さい。これでも、私が初めて日本で自分に打ち勝った出来事だったのです」。現状に甘んじない渡邉氏は、アルバイトであったとしても常に次の目標に向かっていったのだ。

有名大学に通いながら800万円貯める

生活費や学費が高かった90年代、在日華人の多くは必死にアルバイトをした。中には漫然と金儲けのために働くうちに、人生の方向を見失う者も多くいた。

しかし、毎日11時間以上働いてクタクタになっても、彼は自分に打ち勝つという信念を忘れることはなかった。彼はアルバイトは人生の一段階であり、決して最終目標にしてはならないと考えていた。そして、日本の有名大学に入るという次なる挑戦を決めた。

“努力は人を裏切らず”―― 働きながら必死に勉強して、渡邉氏はついに周囲を驚かせ、経済の分野では1、2位を争う慶応大学商学部に合格し、更なる飛躍を遂げた。彼は、勉強しながら家族を支えるという重責も負わねばならなかった。在学中は常に優秀な成績で奨学金を得、アルバイトも続けた。卒業時には卒業証書だけでなく、800万円という人も羨むような貯えを手にしていた。

 有名企業を退職し中華料理店チェーンを開業

大学卒業後、渡邉氏は当時日本で最大の製薬会社であった武田薬品に入社した。年俸850万円とさまざまな手厚い待遇は、このような企業に入りたいと願う多くの人に、海外で戦う華人の頂点と映った。ところが6年後、彼は、会社を辞めて中華料理店を開くという、家族もみな驚くような決断を下した。

彼は武田薬品で働いていたとき、35歳までに必ず創業すると自らの人生計画を立てた。歳月人を待たずで、32歳の時、できるだけ早く人生の最も重要な飛躍を遂げなければならないと思ったのである。

渡邉氏は、人は一つのことを実現するとき、必ず確固とした価値観がなければならないと考えていた。人がそれぞれ自己に課している課題は異なり、人生の選択もまちまちである。彼が自己に課した課題はやはり“自己に打ち勝つ”であった。

多くの人は創業時、多かれ少なかれ失敗したときのことを考える。しかし、渡邉氏には当時そんなことを考える余裕もなかった。彼は言う。「商売は考えながら進めていく料理のようなものです。何もできていない状態で準備できたら鍋に入れていく。状況は変化し、計画を練り直しても計画通りにいくものではありません。時間は待ってくれないので、失敗したときのことは考えていられません」。

創業当初はずっと資金難に見舞われた。渡邉氏の貯えはわずか900万円であったが、彼は立て続けに、投資金額4000万円と3000万円の大型店の出店を計画した。仕方なく親戚、友人に借金し、どうにか7000万円を工面した。この金額は現在に置き換えても少ない金額ではない。

開店前夜、期待と不安で明け方4時になっても眠りにつけなかった。開店初日の売り上げはわずか12万円で、4000万円を投資した店としては惨敗であった。

2日目も3日目もとこの状態が続き、借金を返すどころか、生活にも支障をきたした。当時、期限付きで返済しなければならない借金があり、家を売ることさえ考え、日に日に不安が募った。しかし、彼には確信があった。ロケーション、店の内装、料理、どれも問題はない。知名度の問題だ。今の状態は一時的なものだ、と。

2週間後、店に利益が出始め、彼はやっと安堵のため息をついた。「もしも、当初の、“苦境は乗り越えられる”という確固たる信念がなかったら、今日の『青蓮』はありません。自己に打ち勝てば結果は得られるのです」。そして、まさにこの変わらぬ信念で、渡邉氏の中華料理店『青蓮』は35店舗にまで発展した。しかし、彼はこれで歩みを止めることなく、100店舗まで発展させ、日本一の中華料理店にするという新たな目標を定めた。

渡邉氏は語る。「人生は山あり谷ありが良いのです。平坦であってはなりません。人生を素晴らしいものにしたいと思うなら、何度も繰り返し自己に打ち勝たねばなりません。成功、失敗はまた別の問題です。山に登るにも、疲れを恐れたり、途中で野獣がいるからと歩みを止めてしまえば、永遠に美しい風景を拝むことはできません」。

<PROFILE>
渡邉敏行(わたなべ・としゆき)
1971年1月29日生まれ。中国福建省平潭県出身。91年3月来日。97年4月慶應大学商学部卒業後、武田薬品工業入社。02年末同社を退社し03年5月に株式会社ベビーピュアを設立。現在、健康中華庵「青蓮」経営、フランチャイズ事業を展開中。