裴 漫玉 宜安保険経紀有限公司代表取締役
日中保険業界の架け橋となる

中国の改革開放政策により、多くの日本企業が続々と中国に進出し、巨大な市場は日本企業の海外戦略に無限のビジネスチャンスを提供している。しかし、チャンスにリスクはつきものだ。進出した日本企業はみな、いかにリスクを予測し、リスクに対応し、リスクを回避するかという問題に直面している。そこで先日、住友商事グループなどの日本企業が資本参加している北京初の中外合資の保険経紀業者である宜安保険経紀有限公司の代表取締役、裴漫玉氏を訪ねた(裴漫玉氏は元中国人民保険(集団)公司の日本事務所代表、(財)損害保険事業総合研究所の特別講師、日本の『保険毎日新聞』の特約コラムニストでもある)。

―― 日本の保険業界と関わったきっかけについて聞かせてください。

裴漫玉 1992年に大学を卒業してすぐに中国人民保険公司(元PICC)に入社しました。当時のPICCはほとんど100%中国の保険市場を独占していました。そのような保険会社で仕事ができたことで私の保険業界での基礎を築けました。1997年、幸いにも中国人民保険(集団)公司の日本代表に選ばれ、日本で日本の同業者の方たちと一緒に学び、仕事をしました。

当時の日本の保険業はすでに非常に成熟していましたが、それに比べて中国の保険業はまだ初歩的段階にありました。人々の保険に対する知識も少なく、保険業は本当の意味ではまだ普及していませんでした。

でも、私個人は中国の保険業の発展に対する無限の期待を持って保険に関する知識を学び、日本の社会の隅々で毎日新しい保険の息吹を感じ、全身に情熱とやる気が満ちていました。そうした日本での日々によって、日中両国の保険業界の架け橋となるべく運命付けられたのだと思います。

―― 中国の保険市場の発展をどのように見ていますか。

裴漫玉 歴史を振り返ると、1949年10月20日に中国人民保険公司が北京で設立されたのが中国の保険業の誕生ということになります。同公司は新中国で設立された初めての国有の保険会社で、稼働と停止の挫折を経て、1979年に正式に業務を復活させて以来、発展し続けています。中国保険業界は、1988年に平安保険公司、1991年に太平洋保険公司が設立され、1992年に初めての外資系保険会社であるAIA保険公司が上海に開業するなど、現在に至るまでの短期間に保険会社は100社数以上増えました。2012年に中国の保険料収入は1兆5000億元(約22兆5000億円)に達し、保険会社の総資産は7兆元(約105兆円)を超え、中国は世界で最も重要な新興保険市場の一つとなったのです。

私が保険業界に入った当時は、市場には2、3社の保険会社しかありませんでしたから、私は中国の保険市場といっしょに成長してきたと言えます。私個人については、中国最大の保険会社での国内外での勤務経験だけでなく、海外保険関連会社を立ち上げた経験もありますので、保険業とともに歩んできたという感慨も大きいのです。中国保険業が今日のような規模にまで発展したことは、市場の需要、そして中国の保険監督管理委員会が保険市場を規制する政策を施行して努力してきた結果だと思います。

まず、中国経済の急速な発展が、企業と個人の保険市場に対するソフト面の需要を自ずから喚起したのです。この需要の拡大が、保険市場の営業販売ルートの多様化にいつの間にか影響を与えました。近年ではネット上での販売が急速に成長し、保険販売モデルとなっています。

また、中国保険業の対外開放も国内保険市場の発展を大きく促進しました。1980年、日本の東京海上火災が中国に事務所を開設したのが、中国の保険市場の対外開放の始まりでしょう。この時期は、主要な外資系保険会社が中国に事務所を設立したのが特徴です。外資系保険会社は中国の市場に先進的な経営理念と販売方法をもたらしました。西欧先進諸国では、保険業は数百年の歴史を持っており、豊富な理論と経験を蓄積しています。その先進的な経営理念、専門技術、管理経験、優れた商品とアフターサービスは中国本土の保険会社のよい模範となり啓発をもたらしたのです。

今後、外資系保険会社に対する規制緩和に伴い、保険市場はさらに高度な成長期に入ると思います。総じて言えば、中国の保険業者そして世界の保険業者にとって、中国という巨大な市場が成長の原動力であるという点は間違いないのです。

―― 中国保険経紀公司は中国の保険市場でどのような役割を担っているのでしょうか。

裴漫玉 中国保険監督管理委員会は「保険仲介市場を規範化することで、専門の保険仲介機構という新しい経営モデルの構築を奨励、促進し、専門的経営の優位性を発揮させ、大規模化し、プロフェッショナル化、専門化の方向に基づいて保険販売体制の改革を着実に推進しなければならない」と指示しています。中国の保険仲介業のなかで、保険経紀は保険の技術と市場の誘導者としてますます重要な役割を発揮しています。主に「欧米モデル」に向けて進んでいますが、政策の監督管理の厳格さと業界参入の難しさに関していえば、欧米と同等かそれ以上と言えます。資本額だけでなく、投資者に対する要求も厳しいのです。企業のグローバルな発展に伴い、保険経紀のグローバルな一体化サービスも非常に重要な役割を担っています。若干数年後には中国にもマーシュやエーオンのような世界的なブランドが誕生すると私は信じています。

各国の保険仲介市場の構造、機能とモデルから見ると、歴史、経済、文化等の違いによって保険仲介市場の発展にはさまざまな特色があります。例えば、日本の保険仲介業は基本的に代理店制度であり、保険経紀は本当の意味では発展していません。しかし、欧米や中国市場の保険仲介業の保険業界全体の発展に対する役割の重要性はますます明確になってきています。

―― 2013年の目標と、今後の長期計画を聞かせてください。

裴漫玉 2013年は、資本の蓄積にとどまらず、さらに多くの技術と人材を蓄積していくことが目標です。具体的には保険のネット販売のほか、中国の保険仲介集団を構築し中国の再保険分野を開拓し、自家保険(Captive)の概念と技術を中国に導入します。中国保険業は猛烈な勢いで発展してはいますが、それにふさわしい新しい市場環境や商品開発力と競争力はまだ大きく不足しています。

特に保険である「再保険」の分野は中国保険市場の手薄な部分です。再保険の発展は保険企業のリスク引き受け能力に直接関わってきますし、中国保険業構造の最適化および保険企業の安定的経営の促進に対して大きな役割を果たします。良質な再保険制度は中国の巨大災害リスク問題を根本的に解決できるのです。

これまで中国の日本企業と密接に関わり、ともに成長してきました。私は日本の皆さまとの貴重な友情を大切に思っています。日中両国の保険業のために微力ながら貢献したいと願っています。