撮影/本誌記者 呂鵬
二十年間、困難に怯むことなく、共に励まし合って前進し、任務に精励してきた。
何もないところから身を起こして発展を遂げ、今や堂々たる輝きを放つ日本中華總商会は、設立二十周年を迎えるとともに、䔥敬如を執行理事会会長に迎えた。
䔥敬如は、日本社会にとっても華僑社会にとっても、伝説的人物である。
55年前、䔥敬如は華僑三世として横浜に生を受けた。彼が誕生したその日に、父親である䔥桂祥は、従業員わずか三人の大洋工業設計株式会社を設立した。株式会社デジタルフォルンの前身である。䔥敬如の成長過程は会社の発展の道のりと重なる。
小学校から大学まで、周囲は彼を当然の如く日本人だと思っていた。「変わった苗字だけど、家は神社か寺院なの?」ときかれることもしばしばで、参議院議員に推されたこともあった。しかし、䔥敬如は今日に至るまで、帰化することもなく、決して華僑三世であることを隠すこともしなかった。
彼はかつて父から聞いた話を常に心に留めている。䔥敬如の父が経営する会社は500人まで技術者を抱えるほどに発展し、日本でも有数の技術会社となっていった。父は、このまま外国人オーナーとしてやるべきではないと感じ、日本国籍を取得しようと決断したが、取引先の数社に相談したところ、「なぜ?」と驚かれた。更には「その必要はないと思う。あなたは実力で信頼を勝ち取ったのであって国籍は関係ない。逆にあなたが自身の国籍を捨てるのであれば、我々はあなたとの取り引きを考え直さなければならない」とまで言われ唖然とし、国籍取得を断念したのだという。それにより、かなりの不憫(海外渡航など)を被ることになる。その後、父から子供達へは、国籍についてはそれぞれの判断に任せるので、よく考えて決断しなさい、と言われたという。
中日国交正常化から8年後、䔥敬如の父は祖国に戻り、初めて新中国に触れた。1980年、䔥敬如は父と共に中国を訪れ、北京、杭州、重慶、武漢を視察した。䔥敬如の血潮は沸き立ち、復興が急がれる中国のために力を尽くしたいとの思いに駆られた。
1980年代、コンピューターの商業化が始まり、商用ソフトウェア開発の好機が訪れた。䔥敬如は、中国の大学及び研究機関は、一定の人材は確保しつつも、資金と商用チャネルが不足していることを知り、1987年、北京に中国初となる外国企業の出資100%の中国企業であるソフトウェア会社——大洋・阿克斯(北京)有限公司を設立し、対中投資の先駆けとなった。
近年、中国社会では高齢化問題が深刻化している。国際社会で「課題先進国」とされる日本は、20年前に高齢化社会に突入した。䔥敬如は、日本のこの分野の経験から学び、高齢者に安心で安全な社会環境を提供したいとの思いに至り、日本の介護事業のノウハウを取り入れ、中国市場に介護コンサルティングや 介護従事者研修を提供している。更には2008年に共同経営で設立したThunderSoftware Technology Co.,Ltd.は2015年に深圳証券取引所創業板に上場した。
著名な日本の企業家として、華僑三世として、䔥敬如は社会の各界で強い影響力を発揮してきた。株式会社デジタルフォルンの代表取締役会長(兼)社長である䔥敬如は、横浜商工会議所議員、神奈川県情報サービス産業健康保険組合議員、横浜市産業防災連絡会議委員、財団法人横浜企業経営支援財団評議員、アジア女性経済会議(AWEC)常任顧問、日本中央競馬会(IHR組合)理事等の要職も務め、さらに、2021年3月26日、日本中華總商会設立20周年記念式典において、理事会の決議を経て、總商会の会長に選出された。
日本中華總商会は、1999年9月9日に東京で設立された。設立当初40社であった会員は、今では400社近くにのぼり、基本的に日本全国の各業界の華僑企業をカバーしている。さらに、100社近い日本企業が賛助会員として加入している。
䔥敬如は2000年に總商会に加入してより、理事、常務理事、副会長、常務副会長、理事長、会長を歴任し、總商会の会員事業を主導してきた。法人会員と個人会員の他に、賛助会員の制度を設けているのが日本中華總商会の大きな特徴であり、日本企業にも門戸を開放し、法人会員が日本企業との間で相互利益を得るための機会をより多く創出している。
䔥敬如は、今後10年の間に法人会員を800社にすることを目標として掲げた。彼は「總商会は設立以来、日本の社会に深く根を張りながら、架け橋の役割を果たすとともに、多くの成果を上げてきた。グローバルな視点から見ても海外華僑の力は巨大で驚くべきものである。
世界で8,000万人以上の華僑が各国に所在し、(主には東南アジア、北部アメリカ、ヨーロッパに集中している)経済発展を最前線で牽引しているのは、われわれ華僑華人である。中国は日増しに国力を強め、日本の華僑企業に貴重な機会をもたらしている。今後われわれは、法人会員間の相互協力を積極的に推進し、世界の華僑団体との交流にも力を入れ、法人会員に、より多くの信頼できるパートナーとグローバルビジネスのためのプラットフォームを提供していく」と抱負を語る。
䔥敬如によると、總商会設立当初は、新しい華僑から始まった団体で、華僑二世がサポートしていた。5~6万人しかいない老華僑には団体の必要性をあまり感じていなかった。しかしここ20年来は、果敢な中国の若者たちが日本に留学に来た後に起業しているという。今後、總商会は新しい力を糾合し、起業間もない企業や成長過程にある企業のために、より良いパートナーと環境を提供する。
䔥敬如が人生で初めて抱いた夢は、パイロットになることだった。彼は当時の運輸省航空従事者養成施設の事業用操縦士課程養成コースに応募し、際立った成績を残して、順調にパイロット資格を取得した。今、彼は新たな出発に当たって、日本中華總商会に飛翔の翼を授けようとしている。
トップニュース
2024/7/4 |
||
2024/7/1 |
||
2023/10/5 |
||
2023/10/12 |