蘇州市が中日文化友好の使者に京都市への防疫支援物資を委託

夏も終わりに近づき、鴻雁来(こうがんきたる)の候、京都市庁舎第一応接室で、中国蘇州市からの防疫支援物資の寄贈式が行われた。

2020年8月27日、蘇州市民から託された防疫物資が、中国蘇州市の特別顧問を務める日中文化友好親善協会の筒井一法会長から手渡され、京都市民を代表して門川大作京都市長が受け取った。物資が満載された箱には、「相知無遠近、万里尚為隣(友が心を交わすには距離は関係ない、万里を離れてもそばにいる)」との漢詩が添えられ、蘇州市民の京都市民に対する真情を表していた。

寄贈式には、中国蘇州市顧問を務める日中文化友好親善協会の辻光裕副会長、本誌編集長の蒋豊、華人琵琶奏者の葉衛陽氏、在日中国人留学生の代表及び京都市役所の職員らが参列した。

筒井一法会長は門川大作市長から、京都市が蘇州市長に宛てた感謝状を受け取った。門川大作市長は、李亜平蘇州市長及び蘇州市民の真心の支援物資に対し、心からの感謝を述べた。このところ日本各地で新型コロナウイルスの再流行が見られ、防疫対策の手を緩めることは許されない状況である。門川市長は、今この時に再び中国国民から寄せられた支援に感謝するとともに、京都は中国人観光客の間で最も人気の観光地として、常に真心と良質なサービスで遠方からのお客様をもてなしており、日中両国の国民がともに手を携え、世界各国の協力も得て、コロナ禍を早期に収束させ、さらに多くの中国の友人を京都にお迎えしたいと語った。

日中文化交流の使者である筒井一法会長は記者に語った。「この数十年で何度も蘇州を訪れました。太湖の水、蘇州の橋、刺繍を刺す女性の美しい手、船頭の漕ぎ歌。金鶏湖畔一帯の興隆に古都が力強く発展するエネルギーを感じ、この土地が大好きになりました」。

さらに、筒井会長は京都人らしく誇らしげに続けた。「世界歴史都市であり、皇室典範に首都と記された京都と協力関係を築き、友好都市提携を結びたいと望む都市は200にも及びます。千年の歴史を有する古都であり、私の第一の故郷京都と第二の故郷である蘇州がひとつになり、お互い協力し合って進むことが私の長年の願いでした」。

では、何を切り札とすべきかと考えた時、筒井会長が思い至ったのは、四千年以上前、蘇州の人々はすでに生糸を絹に織る技術をもっており、南北朝時代、日本の使節が蘇州一帯を訪れ、優秀な刺繍工芸師を探し日本に招いたという史実であった。『日本書紀』には明らかに「応神天皇37年2月1日、阿知使主と都加使主は呉(中国の江南の地)に縫工女を求めるため遣わされ」との記述がある。

日本の伝統衣装は「和服」と呼ばれるが、中でも細工の細かいシルク生地のものは「呉服」と呼ばれる。呉とは古代中国の呉の国を意味し、今の蘇州、太湖一帯を指す。呉の国から伝わった服装様式であることから、呉服と呼ばれた。京都の伝統的織物の代表である「西陣織」は、先染めによる高級絹織物で、蘇州刺繍や蘇州シルクと密接なつながりがあり、ともに高い芸術性を具えている。

筒井一法会長は「呉服」を「切り札」とした。氏の働きかけで、2006年、蘇州と京都の間で覚書が交わされ、観光と教育の分野で綿密且つ長期的な協力関係を築いていくことになったのである。

太古の養蚕紡糸工芸から今日の防疫物資に至るまで、一つひとつが密接につながって、京都と蘇州の二つの歴史文化都市を結び付けたのである。カイコや生糸が声を発することはない。眼前にあるのは、豪華で美しいシルクアートであり、安全と安心をもたらす防疫物資である。目には見えないが、両国の代々の外交の民間の使者たちが文化を伝え、友情を築き、文明を伝承し、未来を開拓しながら二つの都市を強固につないだのである。