「シルクロード文化」の双方向性と多様性を存分に展開
『崑崙之西――平山郁夫コレクション・シルクロード文物の精華』

中国社会ではしばしば、一言で歴史を概略することがある。例えば、「清風不識字、何必乱翻書」(清風=清朝政府は字を識別できないのに、どうして頁をめくるのだろう)というものがある。清王朝初頭の「文字の獄」(言論弾圧)の歴史を風刺して謳ったものである。面白いのは、今日でも多くの中国の知識人は「読書」とは言わず、書をめくっている(翻書)だけだという言い方をする。過去、「翻書」には詳しく調べるという意味があったが、今日では、ざっと目を通すという意味に転じている。しかし、私の持論はこうである。本の中にはざっと目を通すだけでよい本と、忍耐強く精読すべき本がある。私の眼前にある、黄山美術社編纂の『崑崙之西——平山郁夫コレクション・シルクロード文物の精華』(上海書画出版社、2019年11月第一版)は、精読すべき一書に当たる。

中日文化交流史とシルクロード文化史に精通している人で、現代日本の著名な芸術家である平山郁夫先生の名前を知らない人はいない。北京大学の林梅村教授は、『崑崙之西——平山郁夫コレクション・シルクロード文物の精華』に序文を寄せ、「平山郁夫先生は中国人民の古い友人であり、生涯を中日友好に捧げ、中国文明への愛を、シルクロード文物のコレクションに注いだ」と述べている。この言葉は平山先生の一生を評価する上で、画竜点睛の意義をもっていると言えよう。我々はこのような人物を深く理解する必要がある。その意味において、『崑崙之西——平山郁夫コレクション・シルクロード文物の精華』は、平山先生を深く理解するための一書となっている。

本の内容が旧来の知識の繰り返しに過ぎなければ、読者は「復習」しているようで、うんざりしてしまう。反対に、ほとんど知られていない内容であったり、既存の概念を覆すようなものであれば、読者はそこから新しい知識を得ることができ、繰り返し読まれ、大事に扱われるであろう。平山郁夫先生の長男の妻で、平山郁夫シルクロード美術館の館長を務める平山東子氏は、本書に寄せた一文の中で、平山郁夫先生がこれらのコレクションを始めたのは1970年代で、「当時、コレクションを始めた動機は、夫人の、もっと近くで美術品に触れ、本物の美をより身近に感じたいとの思いであった」と綴っている。ここまで読み進めて、私は新大陸を発見したような興奮を覚えた。そうだったのか!平山郁夫先生がシルクロード文物のコレクションを始めた直接の動機は夫人の提案だったのか!と。平山郁夫先生が1960年代末から50年以上にわたって、美和子夫人を伴って150回以上もシルクロードの旅に赴いたこともうなずけたのである。意外な事実を知って、読者は本書を精読したいという欲求に駆られ、コレクションの写真を一枚一枚委細に眺め、これも夫人の希望によるコレクションなのだろうかと思いを巡らせるであろう。さらに、「家庭が円満であれば、全てがうまく運ぶ」との箴言を再認識し、シルクロード文物のコレクションもその賜物であると感じるであろう。

『崑崙之西——平山郁夫コレクション・シルクロード文物の精華』は四部構成になっており、第三部までは平山夫妻による地中海沿岸、メソポタミア、アフガニスタン、パキスタン、インド地域のコレクションが、第四部には平山郁夫先生の絵画が収められ、最後に「平山郁夫シルクロード美術館」が紹介されている。私自身は芸術史に決して詳しくないが、コレクションの写真を注意深く見ていると、常に心は激しく揺さぶられ、大きな興奮を覚えるのである。「写真がなければ真相がわからない」とされるこの時代に、これらの写真は歴史の謎の真相を明らかにしてくれるだけでなく、歴史は決して順風満帆ではないことを教えてくれる。

日本で長く学び、働き、生活しているためか、私は日本に関するコレクションの写真にも強い興味を抱いた。例えば111ページの「女神像供奉飾板」の写真のキャプションには、「飾板には、ヒンズー教の愛と美と豊作の象徴である女神・吉祥天女が刻まれている。日本に伝わり、日本では『吉祥天』と呼ばれるようになった」と記されている。今でも日本では街中のあちこちで「七福神」を祀った寺院を見かけるが、その「七福神」のひとつがインドから伝わった「吉祥天」である。紀元前2世紀~1世紀のルーツを目にして興奮しないでいられるだろうか。

東京・池袋の我が家の近くに、有名な「鬼子母神堂」がある。日本人が平安時代(794——1192年)から信奉する安産・育児の神である鬼子母神が祀ってあるという。本書の146ページには「鬼子母与般闍迦石雕」の写真が掲載されている。詳しい地域は記載されていないが、年代は2世紀~4世紀とあり、キャプションには、「石質。子どもを抱いているのは鬼子母神(カリテイモ)で、豊作、多産の女神である。もうひとりは夫のパーンチカで、武神、財宝の神である。この夫婦の坐像には常に子どもが共にいる」と記されている。これを見て、私は再び池袋の鬼子母神堂に足を運び、「鬼」の字に「ツノ」がないことに気付いた。日本人がこれを取り入れた際に、「鬼」の字の「ツノ」を快く思わなかったために取り去ったのだという。文化は伝わる過程で国情に合わせて展開されるものなのである。

『崑崙之西——平山郁夫コレクション・シルクロード文物の精華』を精読することで、「シルクロード文化」の双方向性と多様性を感じることができる。それは出口と入り口の決まった単方向ではなく双方向の文化交流である。文化は双方向交流によってのみ弾力性が生まれる。そうして「シルクロード文化」は中国にとどまらず日本にも影響を及ぼしたのである。最近、日本人から多く寄せられる「一帯一路に日本は含まれるのか」との問いに対する、権威ある、学術的根拠に裏打ちされた、確かな答えがここにある。