衆聯(中国)セントラルキッチン研究院代表団が日本のセントラルキッチンを視察

昨今、中国の飲食業界では、セントラルキッチンが存在感を示している。衆聯(中国)セントラルキッチン研究院の馮徳和院長は語る。「現在、中国のセントラルキッチン業界は発展の黄金期にあり、だからこそ、先進的経験という“刺激”や国際交流が必要です。日本のセントラルキッチンの発展は安定期に入っており、その経験や管理方法には学ぶべき点が多くあります。当研究院は、中秋節の佳き日に、中国全土から業界関係者18名とともに、日本のセントラルキッチンの先進的な経験から学ぶために来日しました」。

一食一食に心を込めて――日清医療食品株式会社 ヘルスケアフードサービスセンター岩槻

1972年創業の日清医療食品株式会社は、セントラルキッチンの草分け的存在である。今回視察を行ったヘルスケアフードサービスセンター岩槻は、日清医療食品の6大拠点の一つとして、2001年に設立され、一日当たり1万2千食の生産が可能である。視察の過程では、乾いた清潔な作業場の床に誰もが驚いた。中国でこの業界の指導的立場にある者であれば、それがバクテリアや微生物の繁殖を抑える重要な要素であることは誰もが知り、中国でも改革に取り組んできた点であるが、日本は早くからその模範的位置にいる。

同センターの所長は「工場の設備は最新型ではありませんし、工場自体も新しくはありませんが、我々は食品の安全性には最も注意を払っています」と語った。団員からは、色合いの鮮やかな野菜も、二度加熱することで変色してしまうが、なぜそれにこだわるのかとの質問が寄せられた。「当社の食事を召し上がる方は病院の患者様や福祉施設の利用者様です。生きる楽しみの一つである食事で食中毒を起こすなど、ご迷惑をお掛けしてはならない。当社は加熱後に急速冷却するクックチル方式を採用していますが、色止めに重曹処理をする・配送後各事業所で加熱する際に温めすぎないようにするなど細かな規定をつくり、喜んで頂ける工夫をしています。」との返答に、団員はみな心から納得した。

視察団受け入れの責任者を務めた、日清医療食品株式会社の神戸修氏は、「当センターが、中国からのお客様を受け入れたのは今回が初めてであり、両国がこの分野で切磋琢磨し合っていけることを期待しています」と話した。合肥市酷極食品有限公司の賀洪偉法人代表は「近年、中国のセントラルキッチン業界は目覚ましい発展を遂げていますが、急速な発展を支えるには、しっかりとしたシステムが必要になります。日本は衛生面においても食品の安全性においても非常に優れており、我々が今最もやらなければならないのは、その精髄を学ぶことです」と感慨を込めて語った。

保守的伝承を打ち破り、刷新を忘れない ――株式会社太鼓橋

太鼓橋は1962年創業の老舗である。総務部の佐山敏之次長は、創業56年の歴史を総括した後、太鼓橋の献立と栄養面に対する刷新と努力について詳しく紹介した。時代とともに、人々のセントラルキッチンに対する認知度は高まり、食に対するこだわりも強くなっている。太鼓橋は50数年間にわたって、料理とサービスのイノベーションに取り組み、従来の生産工程の基礎の上に新境地を開拓してきた。佐山次長は、食の多様化に応えるために、株式会社富星商事の徐富成社長と提携し、中国・大連に現地法人を設立し、日本のセントラルキッチンを中国に紹介し、国際交流を実現することができたと述べた。

常に時代の最先端を走り、向かうところ敵なしの太鼓橋であるが、食品の安全については、安全第一の理念を継承している。野菜の洗浄工程においては「肉眼検査法」を採用するなど、最も基本的かつ重要な部分は手作業で行い、消費者に安全を担保している。

安徽譚府輝佳飲食管理有限公司の譚暁輝社長は、「科学技術の発展が目覚ましい現代社会にあって、多くの企業は野菜洗浄機を導入することが時代にマッチしたやり方であるとし、過度の『現代化』によって引き起こされる検査漏れという欠陥を見落としています。日本社会の人手不足は世界的に知られていますが、そうした環境下、太鼓橋は一貫して、最も原始的で最も責任ある手法で食品の安全を担保していることに感動を覚えます」と、太鼓橋の「肉眼検査法」に驚きを隠せなかった。

一食の給食が国家の発展を支える ――府中市立学校給食センター

府中市立学校給食センターは2017年9月に建設され、新しい設備と、床が乾いた状態で作業が出来る先進的なドライシステムを導入しており、一日につき、2万食の学校給食を提供している。子ども達は国の未来であり、すべての家庭の子ども達に等しく給食を提供できるよう、同給食センターでは、保護者からは最低限の食材費のみを徴収し、人件費や設備運営費は自治体が供出している。

視察中、スタッフの作業着が注目を集めた。幾重にも防護措置が講じられているのは、埃やフケによる不要な汚染を防ぐためであるという。そのプロ意識には皆が感服していた。

日本では1923年、文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励され、百年近くにわたって子ども達の栄養面、健康面の向上に努めてきた。吉林市麒麟団膳飲食管理集団有限公司の徐世東創立者は、「日本と中国で国情は異なっても、子ども達に安全で健康的な食事を提供したいという理念は共通のものです」と語った。

7日間の行程で行われた訪日視察の収穫は大きかった。馮院長は、「我々は日本の設備や技術以上に、細かい部分や姿勢を学ばなければなりません。中国のセントラルキッチン業界が、その発展の勢いを止めることなく、日本の管理技術や姿勢から学びながら、より素晴らしいものとなっていくことを心から願っています」と総括した。