尚 勇 ゼスティーシステムズ株式会社代表取締役社長
ハイエンド技術で独自の道を行く

危険や事故に遭遇したとき、ボタンほどの大きさのリモコンを押すとスマートフォンでGPSが起動し、自動的に近くの指定したスマホユーザーにSOSを発信する、倉庫に一杯積まれた貨物を一つ一つ読み込まなくても、「一網打尽」にスマホで認識できる、スマホをカメラのリモコンとして撮影すると、初心者があっという間にプロのカメラマンになる……。日本のゼスティーシステムズ株式会社の華人社長尚勇が次々に先端技術による独自の製品を打ち出した際、目の前がぱっと明るくなり、ハイテクと生活はこんなに緊密なのだと感激した。

インタビューの前日、この会社のスマホ関連製品「ビビーコン」が日本のクラウドファウンディング・プラットフォームの上位10位に入り、日本メディアの記者たちが殺到した。さらに重要なことは、この会社のハイレベルで上等なハイテク製品がなんと市場では廉価で販売されていて、一般の市民にも簡単に購入でき、そのハイテク技術が生活を便利にしてくれるということだ。

長い間、日本の新華僑華人のIT企業の多くは人材派遣を業務の柱としており、日本の同業者は悪意があるにせよないにせよ「IT業界の人身売買」とあざ笑っていた。しかし、尚勇の率いるゼスティーシステムズは自社で研究開発した技術と実用化した製品により、世界500強企業が争って提携したがる人気企業となった。技術革新の目覚ましいIT業界の中で、価値の高い技術を有する企業に育てるためにはどうすべきか。尚勇の出した回答は「思考、人脈、チームワーク」である。

 
尚勇CEO

独特な人脈づくり

1998年3月、尚勇は全身に勇気をみなぎらせて来日した。あるソフトウエア会社で働くためである。一言も日本語が分からない彼は、日本ではまったく身動きがとれなかった。しかし、人に好かれるこの若者はすぐに無料の日本語教師を得た。日本人の社長が自分の娘を彼の日本語の先生にしたのである。

まるまる4年間、この社長はどこにでも尚勇を連れて歩き、日本語を教えながら日本文化とビジネス習慣を教えた。「私が学んだのはすべて実践的な日本語で、一日も日本語学校に通わなかったのに、私の日本語はほかの人に負けないし、また日本文化や礼儀もよく理解している。この人使いのうまい社長がいなければ、善意に溢れた素晴らしい先生がいなければ、とてもここまではできなかったろう。良い上司、良い先生、肝心なときに助け合う、これで無駄な道を進まなくてよくなる」と、尚勇は感慨深げに話す。

光陰矢の如し。尚勇は学びながら考え続けた。自分が日本に来た目的は何だろう、自分の天地を切り開くためではないのか、と。しかし、日本人の社長は自分を厚遇してくれており、そんな考えを告げるべきではない。考慮を重ね、尚勇は世俗的な思考を打ち破ることに決めて、社長に自分の考えを真剣に話した。社長はその考えを否定しなかったばかりでなく、逆にこの中国人の若者を見直して、「いい子だ! 気骨がある!」と言ったのだった。

2005年、スウェーデンのエリクソン、米国のヒューレット・バッカードとNTTドコモの国際的な提携プロジェクトの日本チームの責任者となった尚勇は、仕事を辞めて自身の会社の設立にとりかかった。しかし日本に来てまだ数年という、バックもなく、コネもなく、ルートもない中国人が会社を設立するのは、天に昇るより難しかった。

いかに日本の関連企業と関係を築くか。尚勇は有名校に入って学ぼうかと考えた。有名大学に入れば企業とコネがつけられる、長江商学院などのMBAのエリートクラスで、まさか巨額な投資で政商の取り巻きになるとでもいうのか。違う!と彼は思った。

日本と中国とは違う。中国の大学の工学、経済学の教授はふつう学部、大学院修士、博士と上がっていく「学術型」の専門家だ。しかし日本の多くの教授は企業上層部で働いた後に大学の教授になる。よって、日本の大学、特に有名大学の教授は企業との関係が深く、彼らは企業の将来性と技術のニーズを熟知しているし、企業内に多くの部下や同僚もいる。これは日本の大学と企業とが密接に繋がっている大きな原因で、まさに「産学協働」である。

「私は早稲田大学に2年間いたが、実は今も早大の図書館がどこにあるかも知らない。しかし、私はずっと教授について学び、交流し、最も実用的な情報を得たし、堅固な人脈を築き、彼らによって多くの日本の学会にも加入し、世界最先端の技術に触れることができた」。思考がふつうの人とは異なる尚勇は人脈の構築の上でも個性的だった。

しかし、この手法は確実に役に立った。尚勇が会社を成立してはじめての顧客は、教授と一緒に参加した活動で知り合った日本人だった。当時、相手は日本のある大手企業のIT部門のトップで、大変中国が好きで、中国のマーケットの発展を見通していた。二人は出会ってすぐ旧知の仲となった。

尚勇は、会社を組織したいが方向が定められないと彼に話した。ちょうど相手はこの分野の専門家であり、彼は尚勇に極めて価値のあるアドバイスを提供してくれ、尚勇が会社設立後は一部の業務をやらせてくれた。日本は本当に知人による社会であり、会社の業務もまず知人で信頼できる人に任せるのである。

また、相手の技術的背景も強固で、世界的に有名な専門家であり、製品開発上でも絶えず尚勇にヒントを与え続けた。2005年から現在に至るまで、二人はずっと親友である。現在、その相手は尚勇の会社の技術顧問となっている。

「人脈とは何か。道にある石をどけようとして持ち切れないとき、石を運ぶのを助けてくれる人だ。こんな人が見つからなければ、永遠に前には進めなかった」と尚勇は感慨深げに話す。

現在、尚勇はIrDA中国地区の主席であり、早稲田大学客員研究員であり、VLCC(可視光通信学会)特別顧問などの職務を兼任し、日本の国家的通信基準の策定に参与し、同時に早稲田大学、慶応義塾大学、東京大学の教授や日本の大企業の専門家たちと友人やビジネスパートナーとなっている。

 
ゼスティーシステムズが開発した各種製品

バランスのとれた「スーパーチーム」を組織

全身が鉄であってもどれほどの釘が打てるだろうか。会社設立後、尚勇は彼とともに道の上の石を運んでくれる人の必要性を痛感した。会社で最も大事なことは優秀な組織をつくることである。

ハイテク企業は少数精鋭主義であり、また強い包容力を持っていなければならない。尚勇の会社には中国人と日本人がいて、開発要員と販売要員がいるが、いかに彼らの長所を結び付けて最大の効果を上げるか、巧妙なバランス術が必要となる。

「日本人は非常に控えめだ。技術要員は学歴が高いとは限らないが、彼らは集中し、安定的に仕事をし、技術力も高いが、外に向かって決してひけらかしたりしない。日本人は自分の仕事について十のうち一しか言わないが、中国人は一を十に言う。これは日本人が中国人より優れているところだ。しかし、中国人にも強みはある。日本人は頭が堅く、自分の仕事をするだけでほかのことは分からなくても興味がなく、自分の仕事をやり遂げる。しかし、中国人は頭がフレキシブルで、新しいものに対しての受容能力がある。これは日本人にはない点だ。IT業界は日進月歩の業界で、スピーディーに新しいものを掌握しなければならない。中国人の革新的精神と日本人の集中力を結合すれば、さらに成功できる。これが日本の華人企業の強みの一つだ」と尚勇は言う。

チームを作ることについては、尚勇もすぐにうまくいったわけではない。まず彼は各分野の「トップリーダー」によって核心チームを組織し、そのチームのメンバーがそれぞれチームを組織した。

例えば技術分野の権威である北角権太郎は国際標準化委員会主席であり、世界的に知られた無線通信の専門家であり、市場分野のディレクターは以前日本エリクソンの研究開発部門のシニアマネージャーであった。

現在のチームの8人はみなエリート中のエリートであり、多くの特許を持っている。まさにこれらエリートたちの力を借りて、ゼスティーシステムズ株式会社は世界初のiPhone外付けSDメモリーカード、家電リモコンと赤外線通信装置、可視光線通信原理モデルとiPad専用可視光線通信キットを世に出し、iPhoneをデジタルカメラのリモコンとする新分野を開発し、物流領域で以前の高価な専門端末を廉価で汎用性のあるスマート端末に替える解決法を提案した。

最近開発したスマホ起動器ビビーコンはその新しい創意と独特なサービスによってさらに業界とメディアの注目を集めている。今年はこの製品の日本での売り上げが10億円を超えると見込まれている。会社が提唱している「スマートフォン、スマートライフ」の夢はまさに近づきつつある。

「スマホが急速に普及してから、アップル、アンドロイドによるソフトやハードのプラットフォームが世界に思考をもたらし、実力のある企業は舞台を刷新した。以前、日本市場での携帯電話は日本企業によるソフトとハードだけの閉鎖された産業チェーンだったが、今は完全に打ち破られた。これは在日華僑華人のIT 企業にとって、前代未聞のチャンスだ。もしわれわれが人材派遣のような薄利の業務しか見ていなかったらすぐにつぶれてしまう。IT企業は人海戦術には頼れず、技術開発に頼るべきなのだ。大胆に伝統的な経営モデルを打破することで、華人IT企業は日本でハイエンドを実現できる」と言い終わらないうちに、尚勇は世界のトップ企業からの提携希望の電話を受けた。イノベーションの生命がまた鮮やかに輝きだした。(撮影/本誌記者・林道国)


(左から順に)孫学明・製品設計部長、李龍CTO、尚勇CEO、北角権太郎・上級顧問、李翔CFO、余曄・営業部長