携帯電話に縛られることなかれ

“一緒にいるのに、あなたは携帯に夢中……これほど距離を感じることはない”。こんな言葉がネット上で大きく広まった。この言葉が現実となったときの悲しさは、いかばかりであろうか。

携帯電話による心理疾患

最近、青島に住む張さんは、弟妹たちとお祖父ちゃんの家に行って一緒に夕飯を食べる約束をした。食卓でお祖父ちゃんは何度も孫たちに話しかけようとしたが、目の前の孫たちはそれぞれ携帯をいじっている。無視されたお祖父ちゃんは、怒りのあまり皿をひっくり返して席を立ってしまった。

現代生活の中で携帯電話が引き起こす様々な心理疾患が、現代社会の様々な局面で繰り返し見られる。多くの人が“携帯が鳴った気がする”という幻覚を経験している。街中では、歩きながら携帯を手にしている人を見ない時はない。路線バス、地下鉄、会場、教室、オフィス……思いあたる場所はどこでも携帯を手にしている人がいる。そして電波の届かない、ネットの繋がらない場所で焦る様子は、まるでこの世界から見捨てられたかの如くである。

“社会人”から“道具を使う人”に

“ポップカルチャーの大司祭”と呼ばれた、マーシャル・マクルーハンは「メディアは人間の身体の拡張である」と言ったが、“第5のメディア”と呼ばれる携帯電話がそれを一層裏付けているようだ。

科学技術がこのように発達した今日、携帯電話はもはや単なる通信手段ではなく、万能端末となり、人々にとって片時も手放せない物になっている。人々はなぜ携帯依存症になってしまったのだろう。

それには心理面からその病巣を探る必要がある。人々はしばしば現実のストレスから逃げたいという心理に駆られる。バーチャルな世界がちょうど、その心理的欲求に応えるのだ。そのうち、この逃避が怠惰を生み、多くの人がバーチャルな世界で要求を訴えることを望むようになり、実際の人との付き合いによって起こる面倒から逃避するのだ。携帯依存症の弊害は明らかである。人々は次第に社交性を奪われ、物質化、ツール化されて、“社会人”から“道具を使う人”に変えられてしまう。それによって人と人との間の溝は深まり、人間関係は希薄になっていく。

携帯依存からの脱却が必要

携帯依存から抜け出し、現実の人間同士のコミュニケーションを取り戻し、さらに、自信と信頼を回復し、広範で自由な交流環境を形成する必要があるだろう。

一方で、携帯電話という現代の通信ツールに対する新たな位置づけをしながら、次第に捨て去られつつあるアウトドアや社交活動といった生活習慣を取り戻す必要がある。

他方で、人と会うときは携帯電話の音量を小さくしたり、電源を切るなどすればよいし、一対一の交流では、携帯電話によってコミュニケーション効果を高め、お互いの友情を深めることもできよう。

ともあれ、携帯電話への依存から脱却し、より多く人と直接交流することによって、家庭も社会もより調和のとれたものになるであろう。