中国の不動産市場に日本式「バブル崩壊」は起こるか

ここ数年、不動産市場が失速するたびに、不動産市場の「バブル論」や「崩壊論」が叫ばれるようになっている。今年はその声が特に大きい。多くの論客が海外のバブルやその崩壊を例として、中国の不動産バブルの大きさを強調し、将来の崩壊によって引き起こされる惨状を語る。だが中国の経済社会の発展度と不動産市場の発展段階は、海外の状況とは大きく違い、簡単な比較はできない。

 

 

地価高騰の3度目の波で起きた日本のバブル

第2次大戦後、日本経済は廃墟から急速な勢いで立ち直った。経済発展に伴い、日本の地価と不動産価格は急速な上昇を維持した。日本不動産研究所のデータによると、1960年から1990年までの30年で日本の6大都市の地価は57.1倍に跳ね上がった。地価の高騰は不動産価格の上昇を引っ張り、そして地価の増幅は不動産を上回った(中国でも2003年以降、同様の現象が見られる)。

1990年の日本の土地資産総額は同年の日本のGDPの3.69倍で、国家の資産総額の約70%を占め、米国の土地資産総額の4倍に達した。一方、同時期の米国では、土地資産総額が国家の資産総額に占める割合は25%にすぎなかった。

日本で地価の高騰がピークに達したのは1961年と1973年、1990年の3回である。最初の2回は、経済面と需要面での支えがあったため、バブルが形成されることはなかったが、3回目は違った。

経済成長から見ると、最初の2回は、成長率8%以上の高度成長期にあたっていた。1974年から、日本経済は高度成長に別れを告げ、中低度の成長の段階に入り、成長率は5%程度に落ち着いた。

都市化プロセスから見ると、1974年に都市化率が74.9%に達した時、日本の住宅建設数が最初のピークに達した(この数は1987年に更新された)。最初の2回の地価高騰時には、都市化率がそれほど高くなく、1961年にはまだ70%にも達していなかった。

住宅市場の飽和度から見ると、1968年に日本1戸当たりの住宅保有数が初めて「1」を超え、住宅不足の時代が終わった。最初の2回の地価高騰は住宅需要の旺盛な時期にあたっていたが、3回目は、自宅用需要という有効な支えを失い、大きなバブルが形成された。

 

バブルを生んだ4つの要素

第1に、日本円の大幅な上昇。1985年、米国を初めとする西側国家の圧力に迫られ、日本はプラザ合意を締結し、円高が大幅に進んだ。1ドル240円から翌1986年には160円にまで高まり、その後上昇が緩和したが、1988年には130円まで上げ、3年で5割の上昇を記録した。

第2に、流動性の過剰。1986年、日本銀行は連続4回にわたって公定歩合(基準金利)を引き下げ、5%から1987年には2.5%の超低金利に引き下がり、戦後最低水準に達し、1989年5月までそれは続いた。さらにプラザ合意で日本円が対ドルで大幅な上昇を続けたため、日本政府は円高を抑制するため、為替市場にたびたび介入し、日本銀行は大量のドルを買い、日本円を売った。その結果、日本円の供給量が膨張し、流動性の過剰が激化した。

第3に、過度の自信。1980年代、日本の経済力と財力は絶好調で、地価は永遠に上がり続けると信じていた。日本の総理府が1987年に行った調査によると、半数以上の回答者が「土地だけが安心できる有利な資産」と答えた。

1980年代後半には、日本企業が世界中に資本を輸出した。米国でも大量にビルを買うなどしたが、バブル崩壊後、米国企業への転売を余儀なくされた。

第4に、大財団や大企業の勝手な振る舞い。日本の金融制度は不健全で、銀行と大企業の間は共通の利害を持っていた。さらに政府も両者を強力に支持し、貸付の監督管理も甘かった。1985年から1989年まで日本の実体経済は不振で、多くの大企業が、土地資産と金融資産への投機から巨額の利潤を上げるのに熱心となり、企業のこうした投機活動は地価上昇の大きな原因となった。

 

史上最大の不動産バブルの崩壊

日本の不動産バブルの短期的な要因には、4本の導火線が見受けられる。第1に、銀行の連続的な大幅利上げ。第2に、不動産企業への融資に対する政府の緊縮政策。第3に、株式市場の急降下による不動産市場の下落の加速。第4に、海外資金の引き上げである。

日本の地価と不動産価格の長期的な下落の持続は、建設業に大打撃を与えた。2000年までに破産した建設会社は6214社に達し、破産した会社の3分の1を占めた。

不動産バブルの崩壊は、巨額の不動産ローンを不良債権化した。住友、東京三菱、大和、三和などの多くの銀行が全面的な損失を計上し、兵庫銀行や北海道拓殖銀行などは破綻した。1992年から日本経済は長期的な低迷期に入り、ここ2年は安倍政権が回復に取り組んでいるものの、バブル経済の影から完全には抜け出せてはいない。

日本経済のバブルの発生と崩壊は、全世界の不動産バブル史上の代表例となった。本国通貨の上昇や通貨政策、投資需要、不動産価格の上昇などを見ると、ここ数年の中国の不動産市場は、日本の1980年代後期と一定の相似点があることがわかる。

だが日本より明るい状況も多くある。さらに重要なのは、マクロ分析とファンダメンタル分析で考えた場合、中国経済は高速成長から中速成長へと転換しつつあるものの、依然として7%以上の成長率を保持しているということだ。

また2013年の中国の都市化率は53.7%にすぎず、70%を大きく下回っている。都市部の1戸当たりの住宅保有数は「1」前後に達したばかりで、飽和状態にはない。

総体的に言って、現在の中国の不動産業のファンダメンタルは日本の1970年代初期または中期に当たり、1980年代後期の状況にはまだ至っていない。このため中国の不動産市場は、日本の当時の不動産のような巨大なバブルを形成してはおらず、簡単に崩壊するとは考えにくい。