黄 星原 日中友好会館中国代表理事
中日関係が困難な時こそ信念と行動を

2022年は中日国交正常化50周年であり、2023年の本年は『中日平和友好条約』締結45周年である。歴史の観点から見れば、大きな喜びをもって祝賀すべきふたつの佳節であることは、誰もが気づいている。このふたつの出来事は中日関係に「質的変化」をもたらした。ところが、美しい理想によって厳しい現実を覆い隠すことはできない。多くの人びとが、中日関係は身動きの取れない困難に直面しており、進路選択の重要な時であり、局面と定力を検証する時であると心を痛めて見ている。先ごろわれわれは、中国のベテラン外交官で、日中友好会館の中国代表理事を務める黄星原氏を訪ね、中日関係の現状と今後について、見解をうかがった。

政治家は先哲の教えを

忘れてはならない

―― 先生は、長年にわたって中日関係に携わってこられたベテラン外交官でいらっしゃいます。『中日平和友好条約』締結 45 周年に当たり、当条約を歴史的・複眼的にどう見ておられますか。日本の一部メディアは、2022年12月、岸田政権が安全保障関連三文書を改定してより、『中日平和友好条約』は有名無実になったと報じています。この点についてもいかがでしょうか。

黄星原 長年外交に携わってきた外交官として、また、中日の共同事業である日中友好会館の中国代表として、『中日平和友好条約』締結45周年の佳節に、『人民日報海外版日本月刊』の取材を受け、中日関係に関心を寄せる友人の皆様に私の考えをお伝えする機会をいただき、とても嬉しく思います。

『中日平和友好条約』は、両国の先哲たちが、当時の複雑な国際情勢の下、中日関係の長期的かつ安定的な発展のために交わした政府間の厳粛な誓いであり、取り決めです。その核心的内容として、第一に、相互の内政不干渉、第二に、覇権主義に反対する、第三に、協議によって問題を解決し、友好・協力の原則を堅持することを謳っています。この条約は歴史的価値のみならず現実的価値を有するものです。

確かに、日本政府が昨年末に改定を行った三つの安全保障文書は、過去40年間に一度も戦争を発動したことがなく、世界経済の発展に毎年30%以上の貢献度を誇る平和大国であり、日本の友好的隣国である中国を、前例のない脅威と位置付けており、中日関係の政治的基盤と信頼関係を破壊するものであり、『中日平和友好条約』を有名無実にするものです。

間違った評価は、間違った結果と間違った行動を生みます。ですから、我々は中日関係が正しい発展の軌道から外れ、悪循環に陥っているのではないかと懸念しているのです。最近の出来事で言えば、広島で開催されたG7サミットは、パンデミック収束後に、日本が主催国として開催する先進国サミットであり、国際社会は自ずと大きな関心と期待を寄せていました。ところが、ご存じのように、このサミットは、世界に平和と発展の光をもたらすものではなく、地域紛争の解決に如何なる自信と希望ももたらさず、むしろ分裂と疑惑を深めるものとなりました。日本はこのチャンスを活かすことができず、東西を結ぶ架け橋としての役割を果たすことができなかったのです。

45年前の『中日平和友好条約』締結時のことを想起しますと、昭和天皇は、「両国がさらに親善を深め、長期にわたり平和を維持することを希望する」と、発効を喜びました。当時の福田赳夫首相は、この条約は戦争の再発を防ぐための中日相互の誓いであると強調し、中国の指導者・鄧小平副総理は決然と、中日両国の友好関係は世代を超えて子々孫々続いていくと述べました。当時の力強い言々句々は、今も耳朶に残っています。いまの日本の政治家たちは、先哲たちの言葉を思い出すべきではないでしょうか?

“助手”から“手先”に

転身すべきでない

――  1972 年に中日の国交が正常化してより、中日関係は挫折を繰り返してきましたが、「政冷経熱」の関係性は一貫して変わりませんでした。岸田文雄首相就任後は、アメリカに追従し、『経済安全保障推進法』を制定し、経済的側面から中日関係の進展を抑制し、経済という中日関係のバラスト石を取り払おうとしています。こうした動きは、中日関係にどのような影響をもたらすとお考えですか。

黄星原 国交が正常化してからの50年間、両国の経済関係は発展を続け、中日関係のバラスト石としての働きをしてきたことを忘れてはならないでしょう。2022年の中日間の貿易総額は3700億ドルを超えています。コロナ禍収束後、両国は経済の回復と発展に注力し、自国及びアジア経済の全面復興と発展を牽引する必要がありました。その正念場に、日本は『経済安全保障推進法』なるものを成立させ、この復興のプロセスに直接ブレーキを掛けたのです。この無責任な決断によって、日本は将来、大きな代償を払うことになるでしょう。

日本政府が発表した『経済安全保障推進法』は“有害”であるという、一部専門家の意見に私も賛同します。それは、中日経済協力の発展の可能性を狭め、中日関係は“政冷経涼”の袋小路に追いやられ、日本経済は失われた30年の軌道を辿り続けることになるでしょう。

安全保障の概念を普遍化し、制裁や供給削減によって他国の発展を妨げ、国家間の正常な往来を乱すことは、戦略的思考を欠いた近視眼的な行動です。互いに傷つけ合う、割に合わないやり方は、元々、アメリカの一部の無能な政治屋の専売特許でした。いま、それを日本政府は必死に模倣し、半導体等のテクノロジー産業にまで推し広げようとしているのです。“助手”から“手先”への日本の転身は、中日関係に影を落としているだけでなく、多くの日本の見識ある人びとを不安に陥れています。

中日関係改善への処方箋

―― 日本の政界を見てみると、「知日派」と呼ばれる年長者は次第に少なくなり、非主流派になりつつあります。日本の政界中枢に中国を正しく認識してもらうためには、何をすべきでしょうか。

黄星原 私は様々な場面で、現在、日本で中日友好事業に携わっている知中派もしくは親中派の人たちが軽んじられている様を目の当たりにしてきました。現在、日本の友好団体関係者は概して高齢であり、主流メディアや政界は、中国のことを取り上げようとはせず、正義の声を上げようともしません。中国と友好的関係にある政府要人は明らかに疎外されており、中日文化交流に携わる人たちは資金集めにも苦労しており、友好人士はしばしば右翼勢力から嫌がらせや脅迫さえ受けています。

現在、日本の世論には、立場のみを主張し、善悪がないという奇妙な現象が見られます。ポリティカル・コレクトネスは米国にのみあり、政客は常に安全保障を口にし、平和や友好が話題にされることはなく、中国の問題が必ず議題に上がります。

この現状にどう対処し、変革していくべきか。それには、以下の3つの手法があると考えます。

まず、中日関係は困難な時期にあるという現状を認識し、突破口を模索し、積極的に外交を展開することです。事実に即して言えば、日本で「知中派」と呼ばれる人たちは確かに少なくなっています。しかし、頑固な「反中派」は多くはありません。大半が極端な保守的政治思潮や極右メディアに左右されている「サイレント・マジョリティ」です。彼らを味方にするには、分かりやすい言葉で、中国の平和的発展の方向性を明確に伝え、中国の改革開放政策をはっきりと示し、中日友好は双方に有益であることや中国の仁・義・礼・智・信の五徳を語ることです。その上で大事なのは、戦略的意識をもち、戦略的手法を示すことです。さらに、その効果にも目を向ける必要があります。

次に、双方の共通点の模索に努めることです。特に、共通の文化遺産の発掘・評価に力を入れるべきです。例えば、中日の伝統文化に根差す鑑真和尚、隠元禅師や、日本を訪れ救国救民の道を模索した革命の先駆者である孫中山、李大釗、周恩来総理等々です。

三つ目に、相違や対立を実効的に制御することです。中国は国を強くすることを望んでいるだけで、強権は望んでいません。増してや、覇権には反対の立場をとっています。日本政府はアメリカを同盟国としていますが、国民は戦争に反対し、平和を望んでいます。これが両国の基本的な国情です。国交正常化当時や『中日平和友好条約』締結時の国際環境や社会情勢は、現在より整っていたわけではありません。しかし、先哲たちは泰然と対処しました。争いをやめて、捕虜に防寒靴を贈り、パンダ外交、マスク支援等、小異を捨てて大同につく姿勢を貫いてきました。係争は棚上げにし、共に発展の道を歩むという偉大な知恵によって多くの問題を解決し、人びとを感動させてきたのです。

国際情勢から

中日関係を考える

―― 先生は長年、日本で外交官を務められただけでなく、ヨーロッパ等数カ国で大使も務めてこられました。世界の中の中日関係をどう評価されていますか。また、中日関係は、中欧関係や中米関係にどのような影響を及ぼすとお考えでしょうか。

黄星原 世界に目を向ければ、中日関係はそれぞれの国の対外関係の一部に過ぎませんが、他国との関係にも影響を及ぼします。アジアに着目すれば、世界第二位と第三位の経済大国である中国と日本は隣国であり、共に東アジアに位置し、「和すれば則ち共に栄え、争えば共に傷つく」関係です。近代における「脱亜入欧」、現代における「聯欧入美」と、日本は「遠交近攻」(遠い国と親交を結び、近い国を攻める)の戦術をとり、常に右顧左眄しながら自らを位置付けてきました。その時々に、中日関係はそれぞれの戦略や大国間のゲームといった内外の要因から影響を受け、混乱をきたしてきました。最近の中日関係の混迷の原因もそこにあります。

私はこれまで、トリニダード・トバゴやキプロスで仕事をしてきました。アメリカやEU諸国の人びとには、我々が中国人なのか日本人なのか全く分かりません。どこに居ても、日本との関係が切れることはないのだと感じました。

トリニダード・トバゴ大使を務めていた頃、幸運なことに中国国家主席の初のラテンメリカ外遊に同行させていただきました。日本の元首相たちと近距離で接触をもったのもこの頃でした。中国の特色ある「全方位大国外交」はカリブ地域で遺憾なく展開され、日本の「地球儀を俯瞰する外交」も、この中南米の小国で形となったのでした。

私がキプロス大使として赴任した年に、日本はキプロスに大使館を開設しました。初代駐キプロス日本大使は、公邸を意図的に中国大使館の近くに置きました。

世界の中の中日関係という観点から考えますと、中日関係が安定すれば両国間の安全保障及び経済利益はより確実になり、世界におけるアジアの発言権も強くなります。両国の関係が悪化すれば、大国に利用・挑発されやすくなり、 地域はさらに混乱するでしょう。

中欧関係と中米関係における中日関係の役割は、「東洋と西洋を結び、先進国と発展途上国を結ぶ架け橋」となり、東洋の文化の魅力とアジア太平洋地域の経済発展の活力を示すことです。はっきり言えることは、日本の偏った外交政策は、現実的な安全保障にも長期的戦略利益にもならないばかりか、自身の影響力と価値を貶めることにつながるということです。

「民を以て官を促す」

氷を砕く行動を再び

―― 先生は現在、7つの中日友好団体のひとつである日中友好会館の中国代表理事を務めておられます。今日の「民間友好」は、かつての「民を以て官を促す」役割を果たしているでしょうか。「中日友好」に、新たな思考や新たなアプローチは必要でしょうか。

黄星原 確実に言えることは、「新時代の民間外交」においても、「以民促官」が大きな役割を果たし得るということです。真実として、中国は長らく、人民の幸福を追求する共産党によって統治されてきました。日本においては、自民党の政権基盤は有権者の意思によるものです。平和発展という時代の流れに 従い、善隣友好・協力の道を歩むことが、両国国民共通の願いであるはずです。過去においても未来においても、民間友好が大きな役割を果たすと私は信じています。

民間友好及び民意は、国の外交政策の重要な基盤となるものです。私はかつて、中国人民外交学会で6年間、副会長兼秘書長を務めたことがあります。74年前、周恩来総理は「民間交流のためのプラットフォームを通して、各国人民の相互理解を促進し、世論を形成し、民間友好の力を蓄積し、中国と世界各国の国交樹立と関係正常化の基盤を築く」ことを目的として、この学会を設立しました。

その年に行われた、周恩来総理と日本の訪中団との初めての会見は、中国人民外交学会が対応にあたりました。中国と日本の国交正常化交渉もここで行われ、中国と米国、中国とEUの外交交渉もここで実を結びました。

今回、日本に赴任して2年ほどの間に、多くの場所を訪れ、多くの日本の庶民の方々とお会いしてきました。私が最も強く印象に残っているのは、中日友好に対して、政府よりも民間の方が熱心で、中国との協力に関しても、中央政府や大手企業よりも地方や中小企業の方が現実的に捉えており、中国に対する評価は、大人よりも若者の方が肯定的であったことです。

従いまして、新たな思考、新たなアプローチとは、両国の関係が硬直しているという現実を受け止め、「ボトムライン思考」を貫き、地方、民間、青少年に重きを置き、再び「以民促官」の氷を砕く行動を起こすことです。

 

取材後記

黄星原先生への取材を終えて、いつも感じることは、先生にはまだおっしゃりたいことがあったのではないかということである。それは、中国のベテラン外交官としての慎重さによるものなのか、或いは、中日関係に対する長期的展望をおもちなのかもしれない。重要なことは、黄星原先生の中日友好に対する信念と、われわれが常々口にする「信念は黄金に勝る」という言葉が符号していることだ。