魏成炳 株式会社ジェイアンドシー(吉安食)代表取締役社長
在日華僑企業家が強靭なグローバルサプライチェーンを構築

新型コロナウイルス感染症パンデミック発生後、物流の逼迫が国際的な問題となっている。多くのエコノミストが反グローバリズムを語る中、日本の中部地方を拠点に事業を展開する華僑実業家は、安定した独自のサプライチェーンと、生産、倉庫、配送、販売を統合したインテリジェント・ロジスティクスシステムを構築した。株式会社ジェイアンドシー(吉安食)の魏成炳代表取締役社長である。先ごろ、愛知県豊橋市を訪ね、魏成炳社長を取材した。

魏成炳 代表取締役社長

 

日本語のできない

在日華人が日本企業で

信頼を勝ち取る

魏氏は福建・福清市の名門の家系である。魏成炳の祖先は世界各地に渡り、子孫は東南アジアや北米に根を張り、一定の成功を収めてきた。魏成炳の父は東南アジアで活躍し、老後をシンガポールで過ごした。父親が生涯を通して培ったネットワークによって、魏成炳の一族は東南アジアで名声を確立した。

多くの福清の子ども達がそうであるように、魏成炳も早くから父や兄を通してビジネスに触れてきた。年少の魏成炳は単独で福建と香港を行き来し、実践の中でビジネスの経験を積んだ。あの運命的な出会いがなければ、魏成炳も兄たちのように東南アジアで華僑実業家になっていたであろう。

魏成炳は上海で夫人と出会った。この縁に運命を感じた魏成炳は、香港で着手していた事業を取り止め、夫人の故郷であり、みかんの生産地として有名な四国の愛媛県にやってきた。夫人の実家は実直で温かな一家であった。義父は魏成炳が定住の手続きを終えないうちに、一家でレストラン経営ができるよう手配してくれていた。しかし、子どもの頃からビジネスに触れ、経験を積んできた魏成炳には、恵まれた環境下でぬくぬくと一生を過ごすことは考えられなかった。

家族の理解と支持を得て、魏成炳は愛媛を離れて本州に活躍の場を求め、友人の紹介で永井海苔株式会社に入社した。永井海苔株式会社は1947年に愛知県で設立された由緒ある食品会社である。日本の老舗企業の採用基準は厳しいものであるが、日本語の基礎がまったくない魏成炳が仮採用されたのは、彼の忍耐力、実直さ、革新性が相手の心を打ったためである。

永井海苔で働き始めると、魏成炳は中国との取引がほぼないことに気付いた。大胆かつ細心な彼は、自発的に中国国内の貿易会社とコンタクトを取り、取引の橋渡しをした。日本の顧客に対しては、経験したことのない電話営業から始めて奔走し、ついに初めての注文を勝ち取った。中国と日本の両市場で、魏成炳は徐々に信頼できる堅固なパートナーシップを構築し、業界5位の老舗企業で大きな信頼を勝ち取った。その間、需要側と供給側でさまざまな問題や摩擦も生じたが、彼は同郷である福建の貿易会社にも、自身が身を置く永井海苔にもおもねることなく公平な立場で問題を解消し、丁寧に誠意を込めて情況を説明し、最終的に双方の矛盾を解決し、揺るぎないパートナーシップを築いた。そして、常に赤字状態でグループのお荷物状態だった魏成炳の営業所は、グループを牽引するようになった。 

伊藤忠商事の鈴木善久副会長と商談する魏成炳社長

 

着実に事業を拡大し

環境を整備

21世紀に入って永井海苔は組織改革を行った。新たなポストに制約を感じた魏成炳には、自ら創業したいとの思いが芽生えた。福清の人びとには、戦いを愛し果敢に挑戦する海洋文化が刻まれている。そして、2003年に魏成炳は豊橋で株式会社ジェイアンドシーを設立した。社名のJとCはJAPANとCHINAの頭文字をとり、中国と日本の架け橋にとの思いを込めた。

永井海苔を退職する際には、元上司が昇給や持ち株会への加入をもちかけるなどして慰留に努めたが、魏成炳は丁重に断った。彼は創業の意思を固めると、背水の陣で勇敢に前へ進んだ。比較的安価な文具やおもちゃから始め、貿易で順調に利益を上げた。貿易の経験について尋ねると、彼は率直に語った。「ハードルは高くありません。高度な技術も必要ありません。この業界で抜きん出るには、資源を掌握することです」。

仕入れ価格のより安い商品、品薄な商品を掌握し、長期的、安定的に固定客を掴めば、着実な成長を望むことができる。2016年8月、魏成炳は中国・香港に吉安食(香港)有限公司を設立し、その2カ月後には、吉安食(福建)貿易有限公司を設立した。2017年には豊橋市に株式会社T&Wを設立し、インテリジェント・ロジスティクスシステムの構築に向け一歩を踏み出した。さらに、2019年、魏成炳は北海道の株式会社プロードに出資し、安定した仕入先を確立した。

現在、株式会社ジェイアンドシーは26カ国・地域にネットワークをもち、月平均の輸入コンテナは10基を超え、輸出コンテナは300基を超える。魏成炳は退職後も永井海苔への敬意を忘れることはない。これまで永井海苔の海外代理店を務め、時節の挨拶も欠かさない。その姿勢を創業以来20年間貫いてきた。2021年を例に挙げると、ジェイアンドシーは永井海苔の代理店として、2億円の売り上げを計上している。

株式会社ジェイアンドシー 本社ビル

 

逆境の中、サプライチェー

ンを強化し急成長を遂げる

コロナ禍によって国際交流が滞ると、物流業がまず打撃を受けた。魏成炳は、この数年間、繰り返し逆境を乗り越えてきた経験を率直に語った。

コロナ禍以降、航空貨物便も海上貨物便も大幅に減便され、国際貨物の輸送コストは大きく跳ね上がり、国際情勢の悪化による原油価格の高騰は、物流業界に追い打ちをかけた。40万円に満たなかった日本からアメリカへの40フィートのコンテナ輸送料金は、コロナ禍以降、300万円に暴騰した。しかし、物事には裏と表がある。コロナ禍前は、現地に赴いたり、貨物置場を実地調査したり、顧客とのコミュニケーションをとることが魏成炳の日常業務であった。コロナ禍以降は、顧客との対面でのやり取りはオンライン会議に変わった。当初は、画面を隔ててのやり取りには、打ち解けづらさを感じたが、慣れてくると、交通費と時間を大きく節約できていることに気付いた。原価管理は、堅実な経営者が最も留意すべき問題であり、魏成炳が逆境を勝ち超える上での、大きな鍵であった。

二十一世紀の競争は企業間競争ではなく、サプライチェーンの競争である。魏成炳は、それを鋭敏に察知し、10数億円を投じて超大型物流センターを建設することを決断した。2022年9月、コロナ禍の真っ只中で、インテリジェント管理システムを備えたT&W弥富物流センターが落成・稼働し、ジェイアンドシーの物流部門が打ち立てられた。

T&W弥富物流センター

 

優れたサプライチェーンには、高品質のサービス、市場への迅速な反応、コスト削減、スタッフの安定した関係が必須である。世界を舞台に一族が団結する文化の下で育った魏成炳は、天の時、地の利、人の和に恵まれた。魏一族の影響力は東南アジア各地に及ぶ。兄の魏成煌は広東省の各地に食品加工工場をもっている。従兄弟の魏成輝はシンガポールのビジネス界のリーダーであり、「薄餅大王」の異名をもつ。同じく従兄弟の魏成義は、カナダで大規模スーパーマーケットチェーンを展開している。しかしながら、ジェイアンドシーが一つひとつの試練を克服できたのは、魏成炳自身の市場の観察力、鋭敏かつ大胆な判断力によるところが大きい。

 

家族の強力なサポートで

苦境を打開

魏成炳と夫人との間には二男二女がいる。20数年前、魏成炳と夫人は豊橋の地でゼロから事業を立ち上げ、二人には、子ども達の面倒を見る余裕はほとんどなかった。四国の義父母は、4人の孫たちが入学・入園するまで、気持ちよく面倒を見てくれた。こうした親子関係は、日本の社会においても中国人の家庭においても稀であろう。

多くの子や孫をもち、兄弟愛で結ばれた大家族は、福清の地域文化において不可欠の基盤である。魏成炳にとって、理解ある妻に出会えたことは大きな幸運であった。そして、夫人の家族の協力にもとても感謝している。インタビュー中、彼は、夫人の家庭と子育てへの献身を繰り返し口にした。

魏成炳は長年の仕事の重圧がたたり、睡眠障害が続いたことがあった。最もひどい時は、1~2時間の外出にも困難を感じ、精神安定剤を服用しなければ眠ることができなかった。子ども達は家業を手伝うために、世界各地から父親のもとへ駆けつけた。読書家で勉強熱心な長男は、事業の開拓とサプライチェーンの整備を少しずつ父親から引き継ぎ、父の重圧を軽減した。一本気で几帳面な次男は、倉庫業務を担い、サプライチェーンを支えた。フランスに住む長女は、ジェイアンドシー・フランス支店の開設をサポートすることになっている。次女は父親と兄から経営を学びながら経験を積む。家族の支えと漢方薬の力によって、魏成炳は睡眠障害を乗り越え、より精力的に事業に取り組んでいる。起業し、事業を拡大する中で、一家はタンポポのように世界各地に散在し、何か問題が起きれば、一家で心ひとつに立ち向かっていく。これが福清の人びとの家族観である。

ジェイアンドシー株式会社の従業員集合写真

 

ジェイアンドシーのオフィスでは興味深い光景を目にすることができる。グループ企業に発展してからも、魏成炳は清掃員を雇うことはせず、毎日、家族を従え自らオフィスの清掃を行っている。自らが先頭に立つ責任感と身をもって範を示す献身の姿勢が、会社全体に向上の気運をもたらしている。魏成炳の存在は従業員の会社に対する帰属意識を高め、求心力となっている。ジェイアンドシーは魏成炳が創業した企業というだけでなく、全従業員が信頼し、共に成長できる大家族ということができる。

 

持続可能な社会の構築を

全力で支援

食品加工業や貿易に携わる者なら誰もが知るところであるが、商品の選択と試食、検査のためのサンプル提出は、商品を市場に投入するまでに踏まなければならないステップである。当然のことながら、ジェイアンドシーも例外ではない。魏成炳は常に、自社がもつ余分のサンプル品を、愛知県の地元の困窮家庭やひとり親の子ども達に贈っている。

2019年11月、名古屋市に一般社団法人日本福建経済文化交流会が設立され、魏成炳は初代会長に就任した。協会の設立直後に新型コロナウイルスの感染爆発が発生した。魏成炳は協会を率いて祖国と故郷の防疫支援にひた走り、72万枚の医療用マスクと防護服を数回にわたり、武漢、福建等の省・市に寄贈した。2022年5月、日本福建経済文化交流会は日本福建僑商会に改称した。名称が変わっても、公益活動と社会活動に対する情熱は変わらない。日本福建僑商会は華文教育の支援にも熱心に取り組む。季節毎に中国の伝統行事を開催し、海外に住む華僑華人に中国の伝統文化や知識を普及するなど、その活動は枚挙にいとまがない。

JAがコロナ禍における社会貢献を称え感謝状を授与

 

取材後記

魏成炳はコロナ禍にあって、日本製、中国製、国際市場それぞれの優位資源を把握して強固な基盤を構築し、モノのインターネット時代をリードし、版図を拡大し続けてきた。日本語学校に学んだ経験のない魏成炳の成功は、伝説的でさえあるが、決して偶然ではない。そして、その伝説はまだ完結していない!