アジアの眼〈58〉
「時間は、旅の体験ができない時はタイムスリップができる」
――上海の抽象絵画の代表作家の一人 倪志琪

師走の初日にバンドに立地している倪志琪(以下、倪氏)のアトリエを取材した。アトリエの廊下は30年代の古き良き時代、「東洋のパリ」と呼ばれた時代のタイル貼り。所々に欠けているのがまた味がある。笑顔で迎えてくれた作家さんのガウンは、かのマルタン・マルジェラ[1]の白い制服であり、作品を作る時に常に着用しているアーティストはそんなにいるわけではない。同じ大学の出身というだけでは、この待遇はなさそうだ。

ミニマリズムでキュービズムな作品にレディメイドの素材(マチーエル)を使用する倪氏の作品は、上海のメジャーな国際ギャラリーでの展示会以外にも、ウェストバンドという最高レベルの上海のアートフェアで、個人プロジェクトとして、またパブリックアートプログラムとしても3年連続して展示されている。

中国現代アート史上有名な85新潮運動の代表作家でもある倪氏は、1991年にベルギー王立美術学院に留学する。ベルギーでの留学を終え、帰国した彼は上海華東師範大学でマルチメディア専攻を立ち上げる。中国で設置された美術学部初の専攻だったらしい。今は華東師範大学設計学院というデザイン専攻の総合大学になっている。

大学で長年教鞭を執りながら、前衛でミニマリズムな作品を創り続ける彼は、生まれ育った上海と留学したベルギーの影響を受けている。今上海にいながら、世界的なギャラリーと仕事を続ける抽象絵画の第一人者である。

マチーエル(素材)を重視する観点からすると、江南布衣[2]から提供された服のキレ、捨てられた紙バッグのゴミ(捨てられて雨水に晒されたのがちょうど良い風合いになっていることが多く、作れない)を拾って来たりするという。中国語でいう「風吹雨打」という言葉だ。その自然にできたようでちょうど良い風合いを彼は好むという。拾ってきた、一般人からすればゴミが倪氏のアトリエで、彼の手によって、一枚ずつ良い作品になっていく。

布、紙及び生活の中で出てくる様々な素材たち。それを如何にして作品に仕上げていくか、その模索が自分の生まれ育った家のすぐ近くのオールド・ハウスの近くにあるアトリエで行われている。光が差し込む美しいアトリエの窓、様々なヨーロッパの窓を彼は旅する際によく写真に撮るという。その窓は、内側と外側を分離する重要な契機でもあり、その開閉によって、内側の人間と外側の社会あるいは自然が交わる。

旅は、その新しい地で作家に多くのインスパイアを与える。残念ながら、コロナの3年間は旅ができず、旅の記憶やメモリー、映画や書籍等を通してしかできなかったが、それでもわれわれ人間はまもなく開かれる外側との接続の道を想像しながら創作を続けている。

今年11月の上海の最も大事な二つのアートフェア、「アート021」は半日で終了した。ウェストバンドは二日間で終了した。ゼロコロナによる今年の防疫措置は如何に記録されるだろうか。

 薄いベージュ色の作品が多かった初期のものに比べ、近年の色とりどりのミニマリズム感ある作品たちは、明るいビビットな色が目立つ。コロナ禍であまり外に出られない人間への応援歌にも見えるのは読み違いかもしれない。

 ベルギーの留学時代には、ルーベンス美術館前で似顔絵を描いて小銭を稼いだという苦学生時代も、彼はそのプロセスを周りの人とのコミュニケーションとして楽しんでいた。デザインに関してほぼ40年間教鞭をとり、ファッションに造詣と関心が濃厚な倪氏。アトリエにはコムデギャルソンの限定プレミアムの服があったり、マルタン・マルジェラの制服が仕事服だったり(メゾンに1着戻すのが、提供される条件らしい)、絵の具が着いたその制服は付加価値がつくが、それはわかる人にしかわからない。

アートとデザインの間で自由に行き来している旅人。今年のウェストバンドアートフェアでは、パブリック・アートとして彼の椅子の作品が設置された。ミニマリズでカラフルな椅子は周りの木々が写り込んで美しい。自然とのコラボレーションは知らぬ間に完成され、コロナの3年間で心身共に疲れ切った人々を一瞬にして慰めただろうと想像してみる。

マルタン・マルジェラの白いガウンを着て、カラフルな色眼鏡を掛けて記念撮影。これほど楽しい取材はあっただろうか。今年最後の月の初日の取材だった。われわれは最初と最後をなんとなく大事にする。最初と最後が両方ともカバーされた取材日の設定を偶然だとは思わない。彼が大事にしている「時間」の概念が取材に盛り込まれているかもしれない。

[1] ベルギー王立美術学院を出身のファッションデザイナー。マルタン・マルジェラ(Maison Martin Margiela)という有名なブランドをパリで創設し、白い制服をスタッフ全員で着るので知られている。実験室を彷彿とさせるその制服姿はブランドのトレードマークであり、前衛で実験的なブランドであることの象徴でもある。王立アカデミー6君子の一人とも言われている。(ドリス・バンノッテン等)

[2] 1995年に創立された中国ブランド。マルタン・マルジェラの真似から始まったが、中国で大成功を納め、杭州で大きなアート・エリアを作った。

 

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。