武田勝年 公益財団法人日中友好会館顧問
中国を理解し真の友人関係をつくる

公益財団法人日中友好会館顧問の武田勝年氏は、1977年の初訪中以来、三菱商事の中国総代表をつとめるなど、16年間の中国駐在を含め30年以上中国とかかわり、まさに中国経済発展の歴史の証人と言える。武田氏が日中友好会館の理事長に就任したのは、中日関係が最も厳しい時期であった。先ごろ、日中友好会館に武田氏を訪ね、中国ビジネスに学んだこと、理事長時代の思い出、青少年交流の重要性や中日関係の将来展望などについて伺った。

人と人の信頼関係が

中国ビジネスの基本

―― これまで30年以上中国とかかわってこられたご経験から、日本と中国のビジネスの違い、中国ビジネスに学んだことなどについてお聞かせください。

武田 日本と中国では経済規模も違いますし、経済システムそのものも違いますが、何が一番違うかといえば、中国ビジネスの基本は「人と人との関係」だということです。お互いの信頼関係がないと中国ではビジネスができません。

日本では商談の際、私は「三菱商事の武田さん」ですが、中国では「武田さん」になります。所属よりも、ビジネスパートナーとして信頼できるかどうかということを重視します。

また、今の職場を離れて別の職場に移る際、日本では「では、再見(さようなら)」となりますが、中国では「これからどうするのですか。一緒に何かやりますか」と、まさに人に仕事がくっついてきます。そこが日本と中国の一番大きな違いで、人と人との信頼関係が、会社や職場との関係よりも大事だと多くの中国人は思っているのです。

中国ビジネスで学んだことは、一言で言うと、中国で仕事をするとき、一番頼りにしたのが中国人だということです。いろいろ教えてくれたのは中国人であり、結果として、中国の三菱商事の社員や取引先、友人とも非常に楽しく仕事ができました。

中国の国情は複雑ですから、ビジネス上で分からないことがたくさんあります。何かあると、「どうすればいい?」と聞くわけです。そうすると、「こうすれば解決できます」といろいろ教えてくれる。「分かった」と答えると「じゃあ頑張って!」となる。中国ビジネスが楽しくできたのは、中国人に学び、支えられたことが、非常に自分自身の大きな力になったからです。

 

両国友好のシンボルとして

交流の拠点の役割を果たす

―― 2012年4月から理事長を4年間つとめられました。このころは中日関係が最も厳しかった時期だと思いますが、印象に残っていることはありますか。

武田 日中友好会館は、日中国交正常化10周年を期して、両国政府首脳の合意により、共同事業として建設された両国友好のシンボルであり、友好交流の拠点としての役割を果たすことを使命としています。

1983年8月、中国人留学生のために学生寮を運営していた「財団法人善隣学生会館」(1953年5月設立)の名称を「財団法人日中友好会館」と改称し、日本政府が20億円、中国政府が5億円の資金を拠出し、建設されました。

経営のトップは理事長で日本人ですが、ナンバー2は中国代表理事で中国人、各部の部長も中国人です。その意味からも、日中友好会館はほかの友好団体と違い、日本と中国の合弁団体と言えます。

私が理事長になった頃は、2010年に中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突があり、12年に尖閣列島(中国名=釣魚島)が国有化されるなど、非常に両国の関係が緊張した時期です。

印象に残っていることでは、会館の大きな仕事の一つに、後楽寮への中国からの留学生の受け入れがあるのですが、その頃、人数が少し減りました。また、上海万国博覧会に行こうとしたら断られたり、日本からの青年訪中交流団がストップしたりとか、個別にはいろいろ残念なことがありました。しかし、中国大使館や中日友好協会などの力強いサポートのもと、本当に困ったというようなことはありませんでした。

 

日本企業は

中国をよく観察するべき

―― 中国が「世界第2の経済大国」として経済成長をしている中、日本はもはやかつてのような経済大国ではないと言われています。今後の中国ビジネスのあり方について、どのように考えていますか。

武田 現在、中国のGDPは日本の約3.5倍です。そういう意味で、世界経済の中における日本の相対的な地位は格段に落ちました。1990年から2020年まで失われた30年とよく言われますが、その間、日本では成長の核となる産業が育ちませんでした。

2000年頃を振り返えると、中国ではテンセントやアリババ、米国ではGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)といったIT系のプラットフォーム企業が大きく成長し、その影響もあって流通もすごく合理化されました。日本も一生懸命頑張ったと思いますが、規模が全然及ばずついて行けていません。このことが、日本が世界から置いていかれた最大の理由だと思います。

では、これからどうするのか。中国はさらなる経済強国を目指し躍進しています。そうした中での中国ビジネスのあり方ですが、日本の企業は中国をよく観察することです。中国でビジネスをしようと思うなら、相手の企業がどう考えているか、どういう条件があるかということをきちんと理解しないといけません。それと同時に、中国政府の政策をしっかり理解して、大きな政治の方向性、経済の仕組みを理解しないと中国では成功しないと思います。

今後、これまで以上に、個別の企業に対する政府の管理監督が厳しくなると見ています。それを知らないで、企業側だけの話を聞いていろんな判断をしたら、失敗します。ビジネスを成功させる、あるいは新規の事業を大きくしようとする時など、この方向は中国当局の方針に合っているかということをしっかり確認して進めて行く必要があると思います。

 

自分の目や耳で

中国を理解することが大事

―― 長引くコロナ禍で、中国と日本の往来は極端に減りました。一方で、インターネットを通して中国、日本それぞれの状況が伝わっています。しかし、NPOが毎年行っている調査では、両国の親近感が年々損なわれています。交流の重要性、特に青少年交流の重要性について、どのようにお考えですか。

武田 テレビや新聞、ネットニュースなどを通じての間接的な情報は、非常に限定的です。特に、日本のメディアはなぜか中国に批判的です。悪い面ばかり報道して、中国はこんなに悪い、ここが問題だということばかり取り上げるので、「中国ってそうなんだ」となってしまいます。

メディアの情報には限界があります。やはり自分で中国に行って、街を見て、田舎にも足を延ばし、いろんな日常の話を聞くことが大切です。そうすると、「こんな素晴らしいところがあるのか」、「中国の人も苦労しているなあ」とか理解が進みますし、そうすると、人間ですから親近感がわき、自分の肌で中国を感じることができるのです。

今は、残念ながらコロナ禍で簡単に行き来できませんが、両国の親近感が損なわれている状況を脱するには、自分の目や耳で中国を理解する以外にありません。

その意味から、青少年交流はとても大事です。中国に行ったことがない、中国の友人がいない若い世代のみなさんは、親近感を深めるためにも、嫌な部分も含めて、自分で見る、自分で聞くことが大事だと思います。

 

米国追従をやめ

中国と真剣に向き合うべき

 ―― 本年は中日国交正常化50周年の記念すべき年ですが、残念ながら友好ムードが高まっていません。両国の間には、様々な課題があると思いますが、中日関係の将来をどのように展望していますか。

武田 今の日本と中国には、どうしても避けられない大きな課題が三つあります。一つは歴史問題、もう一つは尖閣列島(中国名=釣魚島)の領土問題。三つ目が台湾問題です。この三つは、誰かが努力して何かすればすぐ解決できるというような問題ではありません。とても根が深いこれらの課題については政治の問題ですから、政治家が中心になって、有識者を含め、話し合いで問題が大きくならないようにコントロールするのが政治の責任だと思います。

もう一つ、日本として考えなければいけないのは米中対立です。2035年には中国のGDPが米国を超えると言われていますから、両国の対立が解決するにはもっと時間がかかるでしょうし、それに対して日本が何かしたら対立がなくなるというような問題ではありません。

ただ、日本にできることは二つあると思います。一つは米国追従をやめること、二つ目は中国政府にしっかり日本の考え方を伝えていくことです。日本が中国の政策や手段について、疑問を持っている、懸念を抱いているということをしっかり伝えることが、逆に中国側の信頼を得ることにつながると考えます。両国の良好な関係を築くためには中国と真剣に向き合うことです。それが真の友人関係をつくることになるのだと思います。