王文強 アジア芸術文化促進会会長
中国の伝統芸能「変面」を日本へ

中日国交正常化50周年記念活動の重要なイベントとして、11月に日本の国立能楽堂で、中日合作劇『〜能舞台で繰り広げる「西遊記奇聞」〜みんな迷い子』の上演が予定されており、現在、稽古の真っ最中だ。当作品は、アジア芸術文化促進会の主催・制作によるもので、会長の王文強氏が出演する。先ごろ、王文強氏が本誌編集部を訪れ、如何にして中日合作作品が生まれ、伝統芸能に命が吹き込まれたのかを語ってくれた。

 

堅忍不抜の精神で

伝統劇を学ぶ

いわゆる“長江の水を飲んで育った”王文強は、幼い頃から黄梅戯(安徽省の地方劇)と深い縁を結んできた。路傍には黄梅戯の抑揚のある美しい調べが響き、通学路も楽しいものとなった。ある時、県の黄梅戯劇団が学校に生徒の募集にやって来た。王文強が通学路で耳にした黄梅戯のメロディーを自らすすんで歌うと、教師は目を見張った。すぐさまスカウトされ、安徽黄梅戯学校(現安徽黄梅戯芸術職業学院)で黄梅戯を体系的に学ぶことになった。

まだ何もわからない12歳の子どもが、家から100里も離れた場所で、徹底的な訓練を受けるのである。容易なことではない。足のストレッチ、股わり、強靭でしなやかな体づくりから、歩き方、立ち方、歌・しぐさ・せりふ・立ち回りまで、歯を食いしばって頑張った。わずかなミスも許されなかった。

ある時、両親が学校を訪ねたが、王文強は高熱を出して入院しており、会うことができなかった。「演劇を学ぶのに、苦しくないことなどあろうか!」。演劇に対する愛だけが支えであった。彼は忍耐と弛まぬ努力によって演劇の基礎を身に着けていった。

文(歌が中心)・武(立ち回り中心)どちらの役柄も演じることのできる黄梅戯の俳優は、非常に貴重な存在である。王文強は学校を卒業する前から、いくつもの黄梅戯劇団から注目を集めていた。最終的に、彼は銅陵市芸術劇院を選択し、ここで経験を積むことができた。

一定の成果を修めた王文強は歩みを止めることなく、中国の伝統芸術の最高学府である中国戯曲学院へ進むための挑戦を開始した。日中は各地に公演に出掛け、夜は勉学に励み、高校3年間の遅れを取り戻した。6年間、第一線で堅実に舞台経験を積んだ王文強は、全国の1000名以上の受験生の中から頭角を現し、中国戯曲学院演出学科へ進み、更なる研鑽に励んだ。

彼は中国戯曲学院で精力的に創作と稽古に取り組む一方で、他の地方劇の役者とも交流をもち、彼らから学んだ。その過程で、川劇の変面に強く惹かれるようになり、中国国家一級俳優で、川劇変面の神様と称される毛庭斉氏に弟子入りし、変面を学んだ。

卒業を前に、自身が演出と主演を務めた伝統劇作品『秀才与刽子手』で、第8回全国戯劇文化賞演技金賞・団体演出賞を受賞し、北京、上海、香港を巡回公演し、有終の美を飾って、母校を卒業した。

 

日本留学後、中日芸術

文化交流に取り組む

王文強は2014年来日、そして中国国家留学基金管理委員会(CSC)の奨学金を得て、日本大学大学院芸術学研究科に入学した。

日本留学中は、日本の伝統芸能である能、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃や現代劇を深く学んだ。広島の厳島神社で、面を着けた「蘭陵王」が厳かな所作で1300年以上前の舞を再現した『舞楽』を目にしたのはこの時である。『蘭陵王入陣曲』は、中国・唐の時代に日本に伝わった舞曲であり、今日もなお、あの時代の緊迫感と中国独自の美意識を感じさせる。王文強は、中国で久しく耳にしていなかった『蘭陵王入陣曲』が、日本で正統の雅楽として残されていたことに深く感動し、中日の芸術・文化の比較研究に強い関心を抱くようになった。

彼は、研究のかたわら、日本の各界および在日華僑団体、大使館等のイベントにも精力的に参加した。日本の人びとと直接触れ合う中で、中日両国国民の交流と相互理解が十分でないことを知り、芸術・文化交流推進の重要性を痛感し、文化事業をその後の人生の目標に定めた。彼は日本大学を卒業後、日本でアジア芸術文化促進会を設立し、芸術・文化交流、中日青少年交流活動に取り組んだ。

 

伝統芸術に命を吹き込む

「伝統芸術の伝承・保護とは、芸術を提供したり閉じ込めたりすることではなく、その普及に努め、時代の挑戦を受け入れる手助けをすることです」。王文強はそう語り、そう行動する。アジア芸術文化促進会は設立以来、日本社会の各分野で一連の活動を企画・運営するとともに、積極的に参加してきた。かつて黄梅戯の役者であった王文強は、来日してからずっと、安徽・黄梅戯を日本に紹介したいと願ってきた。彼は精力的に安徽省安慶市の黄梅戯芸術劇院と連携を取り、2018年、ついに安徽・黄梅戯の初の日本公演を実現させた。中国駐日本大使館主催の「チャイナフェスティバル」に招聘し、中国文化センター等で何度も上演し、京劇以外の中国の地方劇の魅力を余すことなく日本の人びとに紹介した。

さらに、日本の芸術家とも協力関係を築いていった。2019年、日本舞踊家の音羽菊公、筑前琵琶奏者の石橋旭姬と共に、中日合作劇『羅生門』を創作し、同年10月、東京で公演を行った。2020年は、コロナ禍の影響により、オンライン公演に切り替えて成功を修めた。当作品は、インターネットを通じて世界中に配信され、大きな反響を呼んだ。

2021年11月、アジア芸術文化促進会が主催・制作し、王文強が主演した変面一人芝居『マスク氏の冒険』が銀座博品館劇場で、連続して4回上演された。コロナ禍の中、興行収入も評判も上々で、3つの初の快挙を成し遂げた。中国の変面と日本の現代劇を融合させ、変面に「しゃべり」を加えた。変面役者に台詞や物語を語らせることで、変面芸術の可能性を開いた。中国人変面アーティストが日本語で台詞を語り演技するのは、初めての試みである。外国人にとって、日本語でのパフォーマンスは間違いなく大きな挑戦であり、感情を込めて演技をするのはさらに難しい。王文強は独自のやり方で、一文字一文字に正確を期し、センテンス毎にアクセントをチェックし、完璧な演技を披露し、中国の変面芸術の海外での普及・発展の可能性を創出した。

本年の中日国交正常化50周年に当たり、王文強は伝統芸能に新たな命を吹き込むべく、日本の著名な劇作家・演出家の加藤直が作・演出を手掛け、共演者に日本舞踊家・花柳流の花柳基、著名声優の柳沢三千代等の豪華な共演者を迎え、西遊記を題材にした創作劇『〜能舞台で繰り広げる「西遊記奇聞」〜みんな迷い子』を、11月に「国立能楽堂」で上演する。

日本で子弟相伝に

風穴を開ける

300年以上の歴史を有する川劇は、変面をはじめ、火吹き、踢慧眼等の絶技の他に、中国戯曲独自の高腔、皮黄、梆子、昆腔、灯調の五つの節回しと成熟した1000もの演目をもつ、豊かで多彩な舞台芸術である。川劇『白蛇伝』で「紫金鉢」に扮する役者は、変面のお面によって、白蛇を捕まえる時の感情の変化を余すところなく表現している。

国内外に変面芸術が知られるようになると、若者たちが強い関心を示すようになった。しかし、変面芸術に対する知識や正しい指導が欠如しているため、人びとは鑑賞や娯楽の対象と考え、「変面」=「川劇」と認識してしまっている。

誤解は、変面芸術に関心を示す海外の人びとにも影響を与えた。王文強はそんな日本の若者に出会った。彼は変面の道具をネットショッピングで購入し、ネットビデオを見ながら変面を学んでいた。基礎がなく、ただお面を変えるのみの表現は、代々受け継がれてきた伝統芸術を逸脱するものだった。本末転倒の無秩序な状況に王文強は心を痛め、気を揉んだ。これを放置していれば、中国の変面芸術の地位や価値は失墜してしまう。熟慮の末、彼はこの日本の若者を弟子として迎えることにした。「弟子を取ることは、何年も前から考えていました。数年前、初めて日本の舞台に立った時、弟子入りしたいというファンがいました。変面芸術が中国の伝統技芸であることを考えると、国外に広めることに躊躇がありましたが、近年、インターネットの普及によって、変面は便利な小道具にされ、手早くお金を稼ぐためのビジネスになってしまっています」。

王文強は、変面芸術を正しい軌道に戻そうと決めた。中国の変面芸術が日本及び海外で試練に直面しているのを目の当たりにして、海外で変面芸術を普及、継承し、正しく指導するためのプラットフォームの確立が急がれていることを強く感じた。彼はこう指摘する。「プラットフォームをできるだけ早く日本に確立し、知識の普及、技術の伝承、理論的研究を推進することで、中国の変面芸術は海外で発揚され、相伝されていくための一助にしたい」。

 

取材後記

「舞台上での1分の演劇には、舞台下での10年の下積みが必要である」。舞台上でキラキラと輝く舞台俳優も、舞台下では多くの鍛錬と研鑽を積んでいる。日本で名が知られるようになっても、王文強は決して手を抜くことはない。取材を終えると、彼は慌ただしく稽古場へと向かっていった。11月の国立能楽堂での『〜能舞台で繰り広げる「西遊記奇聞」〜みんな迷い子』が大成功を収め、中日国交正常化50周年を祝賀する素晴らしい公演となることを願っている。