野村 美崎 SOLA学園理事長
地域に根ざし、未来を夢見る若者を サポート――SOLA学園

いかなる時代、いかなる環境下においても、学校を運営するのは容易ではない。ましてや、東京での安定した生活を捨て、一年中東京と沖縄を行き来する野村美崎理事長には、言葉では言い表せない苦労があるであろう。いったい何が彼女を衝き動かしているのか。われわれはSOLA学園の野村美崎理事長を取材し、地方再生の新たな力を育みつつ、国際的で多様性に富む住みよい町づくりに励む様子をうかがった。

医療系専門学校の空白を

埋め、発展・強化を図る

彼女と沖縄との縁は19年前に遡る。野村美崎理事長は夫との初めてのデートで沖縄を訪れた。美しい自然、純朴な人びと。とりわけ現地の人びとは中国や中国人に対して、ひと言では何とも形容しがたい近しさのような感情を抱いていた。二人は沖縄の地図でも見つけにくいような離島を訪れ、現地の人びとからおいしい郷土料理で温かくもてなされた。そうしてともに楽しく談笑し、美しい思い出を胸に刻んだのである。生涯断ち切られることのない沖縄との特別な縁は、この時に結ばれた。

沖縄で30年以上にわたって発展を遂げてきたSOLA学園は、五千名以上の卒業生を輩出してきた著名な教育機関であり、学校法人として沖縄医療工学院と沖縄ホテル観光専門学校を擁する。沖縄医療工学院は、現地では、医療技術職を養成する県内唯一の専門学校として知られている。臨床工学科では、医療機器操作のスペシャリストたる臨床工学技士を養成し、医師や看護師とともに人々の健康を守っている。時に、SOLA学園の前理事長は高齢を理由に引退の意思を固めつつあった。それを知った野村美崎はすぐに前理事長と接触を図り、SOLA学園を引き継ぐことを申し出たのである。

野村美崎は、前理事長がその慧眼によって、それまで県内に無かった救急救命学科と臨床工学科を沖縄医療工学院に設けたことを感慨深く振り返る。では、なぜそれまでは医療工学を学べる学校が存在しなかったのか? 最も簡単な理由を挙げるとすれば、それは金銭的な問題である。1体350万円する人体模型を、沖縄医療工学院は10体擁する。その他の医療機器への投資についても数え挙げればきりがない。「手っ取り早く稼ぎたい人間は、教育に携わることはできません」。野村美崎はずばりと真実を突いた。

前理事長の事業を継承し、すでに軌道に乗っていた臨床工学科と救急救命学科をベースに、野村美崎は時代の脈動を捉え、不足している人的資源に目を向けて、SOLA学園の長期計画を策定した。沖縄医療工学院は今後数年をかけて、臨床検査、福祉介護、診療放射線、理学療法、医療事務、IT医療等の学科を増設していく予定である。2026年までには、沖縄医療工学院のすべての学科から、日本の医療、福祉、介護等のあらゆる医療・健康管理の分野に上級技術者を輩出できるようになる。

取材のなかで「SOLA」の由来をうかがうと、specialty、originality、locality、activityの4つの英単語の頭文字から取ったものだという。専門性、独創性、地域性、積極性、これらがSOLAに込められた教育理念である。充実した教育設備と実習環境、先進的な実習機材、時代と地域のニーズに即した学科の配置、すべての学科の就職率がほぼ100%であることなど、SOLA学園はいずれの面でも高い評価を得ている。

若い力を結集し、

地域の健康の礎を築く

毎年新人のオリエンテーションを沖縄で行っているうちに、野村美崎にとって沖縄は第二の故郷となった。ところが、現地の優秀な学生たちは競うようにして沖縄を離れ、本土で試験を受けて故郷に戻って来ない。そんな状況を目の当たりにして、野村美崎は心を痛めていた。一方で、平均的な成績の子ども達は有名大学に進めず、最終的には生涯付加価値の低い仕事に就かざるを得ない。そうして二極化と青壮年人口の流出という深刻な悪循環が形成されていった。

SOLA学園の理事長を引き継いだ野村美崎は、「人生100年時代」の到来によって、日本の高齢化問題は深刻さを増し、医療・健康管理関連分野の専門技術者がより必要とされるようになると考えた。「沖縄医療工学院の就職率は長らく90%以上をキープし、学科によっては100%に達しています」。就職は、学生と保護者が最も関心を寄せる問題である。野村美崎理事長は正確な数字により、少なくとも向こう30年は現状を維持できるとの考えを示した。

柔道整復学科というと聞きなれない名称であるが、沖縄医療工学院では、ほぼ100%の就職率を誇る学科である。骨折、脱臼、打撲、捻挫、挫傷、筋肉および靭帯の損傷に見舞われた時には、医師もしくは柔道整復師のもとを訪れる。柔道整復師とは、日本の厚生労働省が認定する資格の一種である。その国家試験に合格して資格を取得すれば、指圧、マッサージ等のリハビリ関連の仕事に従事することができる。柔道整復師は豊富な専門知識を必要とする職種で、高齢化が加速する日本社会でのニーズはきわめて高い。

臨床工学科の学生は、体外循環技術学、血液浄化技術学、呼吸療法技術学などの学習・実習を経て、人工心臓、ペースメーカーを必要とする人びとに奉仕する。 

現在、沖縄医療工学院は「複数専攻コース」を2025年から開講するべく準備を進めている。「複数専攻コース」の学生は、一つ目の専攻を修了して二つ目の専攻に進む場合、本来なら3年プラス3年かかるところを5年で修了し、かつ二つの国家資格を取得することができる。手に職をつければ、終生困ることはない。たとえば臨床工学技士と臨床検査技師、あるいは柔道整復師と理学療法士など、二つの国家資格を持つことができれば、就業機会は増え、平均を大きく上回る給与が保障される。

日本は世界一の長寿国となって久しく、医療制度も充実している。高齢者がいかに幸福で尊厳ある生活を送れるようにするか、これは日本社会が直面する喫緊の課題であろう。しかしながら、高齢者の介護は決して簡単ではない。記者はかつての取材で、その困難さを目の当たりにしたことがある。働き盛りの娘さんが、瘦せ細った母親の食事介助をしようと頑張っていたが、母親の体をうまく起こすことができず、母親も苦しそうにしていた。そこで、高齢者福祉施設に助けを求めると、そこの医療スタッフは適切なやり方で難なく母親を起き上がらせたのだ。人にはそれぞれ専門分野がある。知識があればこそ、大きな問題も軽々と解決することができるのである。

また、救命のリミットはアクシデントの発生から30分と言われている。時間内に医療スタッフの適切な処置を受けることができれば、危機を無事に乗り越える可能性も高まるが、それが叶わなければ、望まない結果を目にすることもありうる。沖縄医療工学院の救急救命学科はきわめて高い就職率を誇り、社会に希少な人材を輩出し続けている。

持続可能な社会を目指し、

多様性に富む住みよい町へ

野村美崎の沖縄との縁は、純朴で温かな沖縄の人びととの触れ合いから始まった。沖縄を好きになり、沖縄で事業を始めたのは、この地の美しい自然とやさしい風物が大いに関係している。沖縄を愛するがゆえに、この地を大切にしたい。SOLA学園は、自然環境を守り海洋資源を大事にするという理念を学生一人ひとりに伝え、それを実践する課外活動として、学生たちによるビーチでのゴミ拾いや環境保護の啓発を学園が率先して行っている。また、学生たちには積極的にボランティア活動に参加し、地域社会と協働するよう呼びかけている。ハイクオリティかつスマートで安心して住める新たな国際都市の建設、それも学園の発展計画に盛り込まれているのである。

沖縄医療工学院のスポーツ健康学科は、スポーツトレーナーやフィットネスインストラクターを養成し、栄養・ヘルスケアに関する専門知識を備えた人材が揃っている。卒業後、彼らは高齢者が健康的な生活を送るための知識を普及し、生活習慣の改善や病気の予防、健康長寿をサポートする。また、柔道整復学科および臨床工学科の卒業生らは、調和と共生を重んじて多様性に富んだ社会を作る、そのための新しい力になっている。

野村美崎がSOLA学園を引き継いで間もなく、新型コロナウイルスの感染爆発が起こった。物資が不足し物流が滞るなか、彼女は本州各地から防疫物資を集め、それをSOLA学園が位置する宜野湾市や離島の宮古島市、沖縄県医師会や沖縄県庁に寄贈した。社会的責任を負う教育機関として勇躍し、現地の人びとと力を合わせて防疫活動に取り組み、苦境に立ち向かっている。

「中国人が沖縄人をいじめたことは一度もありません」。野村美崎は沖縄の人びとのこんな言葉をよく耳にする。前理事長からSOLA学園をスムーズに引き継ぐことができたのは、中国人と中国文化に対する前理事長の親愛の情と無関係ではないという。

かつて琉球国は、その地理的優位性から「万国津梁(世界への架け橋)」となり、東西の文化と経済を結ぶ要衝の地として栄えた。大陸文明、航海文明、島の文明はこの地で出会い、融合し、新たに生まれ変わった。ユネスコの消滅危機言語に認定された沖縄語(うちなーぐち)には、北京語、福建語、閩南語の痕跡が残っている。近代に入ると、華僑華人が続々と沖縄で起業するようになった。中日国交正常化以降、留学や観光で沖縄を訪れた中国の同胞たちも、沖縄復興の支え手となったのである。

インタビューの最後に、野村美崎理事長は、SOLA学園のバスケットボール部が沖縄県の専門学校の代表として、2022年全国専門学校バスケットボール選手権大会に出場することを教えてくれた。そして、より多くの中国人留学生が沖縄の地を訪れ、多様性に富んだ共生の文化を体感し、この美しい国際都市の建設に参画してほしいとの希望を述べて言葉を結んだ。

取材後記

古来、沖縄は中国の歴代王朝と緊密な関係を結び、経済的にも文化的にも交流してきた。そして今日、沖縄は再び中日両国の民間交流における要衝となっている。今年は中日国交正常化50周年であると同時に、沖縄の本土復帰50周年でもある。来たる50年、沖縄の青く澄みわたる空――SOLA――を、学園がより高く、より遠くへ飛翔してゆくことを願ってやまない。