山口 那津男 公明党代表・参議院議員
「温故知新」の教訓と「疑心暗鬼」 を取り除く交流によって 新たな中日関係を構築

本年は中日国交正常化50周年の記念すべき年である。50年前、公明党は両国の国交正常化に一定の役割を果たした。以来、日本の政党の中で、中日友好路線を貫いてきた唯一の政党である。先頃、公明党本部を訪問し、山口那津男代表に、国際社会において日本の果たす役割、新たな中日関係構築のあり方、そして安倍元総理との思い出などについて伺った。

国際社会を調和させる

政治家の役割は大きい

―― 本年は中日国交正常化50周年です。これまでの50年、中日関係は良い時もあれば悪い時もありました。良好な国際関係の構築において、政治家の果たす役割をどのように考えますか。

山口 政府と政府の関係だけで日中関係を見ていると、大きな関係を見誤ります。日本であれば、政府を支えるのは与党であり、また野党も含めた国会であります。それは国民と政府をつなぐ大事な役割を果たしています。

中国政府の背景には、全国の国民に支えられている中国共産党という政党があります。そこをよく見た上で、政府と政府の関係だけではなく、むしろそれを支える政治家、政党そのものと関係を保ち、良い方へ向けていく。悪ければそれを改善していく、そういう役割を果たすことが大切だと思います。

さらには、国際社会の中で、両国が責任を果たしていくことも重要ですし、また、国際社会からさまざまな圧力なり影響を受けたときに、それを調和させる働きも大切だと思います。ですから政治家には、政府の役人よりもより自由で、より大きな役割が期待されていると思います。

この日中関係50年を山や谷がありながら、ここまで保ってきたのは、そうした両国の政治家の役割が大きかったと思いますから、今後もその役割を大いに発揮すべきだと思っています。

 

日本が中国とアメリカの

対話の窓口になる

―― 近年、中米関係が悪化している中、中米双方と関係が深い日本こそ対話の橋渡しができる国であり、国際社会からもそうした役割を期待されていると思いますが、日本が果たす役割をどのように考えていますか。

山口 中国もアメリカも国際社会に大きな影響力があります。経済面でも、安全保障の面でもそうですし、文化的な影響力も大きいと思います。

そうした両国が、良い意味で競い合うことはあってもいいのですが、対立が強くなり過ぎては、両国ともに良い結果に結びつきませんし、国際社会も不安定になりかねません。

日本はアメリカと同盟関係にあり、政治の体制も似た国家です。中国とは政治の体制が違いますが、経済や文化、地理的な関係は非常に近いものがあります。ですから、両国が深刻な対立を招かないように日本がその役割を果たすことはあり得ると思います。

そのために大事なことは、対話の枠組み、パイプを絶えず保っていくことであり、むしろ日本が対話の窓口になることがあってもいいと思っています。

 

若い世代が交流のパイプを

新しく創造し続けていく

―― この1年で中国側の対日感情が大幅に悪化し、日本側の対中感情も最悪になったという中日共同世論調査の結果があります。今後、どのように国民感情を改善していけばよいと考えますか。

山口 近年、コロナの影響が両国に、そして国際社会全体に悪影響をもたらしています。人々の交流ができないと、お互いに疑心暗鬼を生みやすくなります。行き来があれば、必ず理解し合えるチャンスが広がります。ですから、早くこのコロナを乗り越えて、もっと自由に人々が行き来できるようにすることが大切だと思います。

かつて命がけで国交回復への道を開いた日中双方の先人たちの苦労がありました。しかし、世代が進むにつれて、そのことを共有できなくなってしまいました。ですから、若い世代同士が交流のパイプを新しく創造し続けていく必要があります。

コロナのもとでも両国は、東京夏季五輪、北京冬季五輪を開催しました。いずれも困難な状況の中ではありましたが、大成功だったと思います。五輪開催で、参加したアスリートも交流ができたと思いますし、そのつながりは将来とても役に立つことだと思います。スポーツだけではなく、芸術、教育、さまざまな分野での交流を広げていく機会を早くつくり出したいと思います。

一年延期されましたが、2023年に中国・杭州で第19回夏季アジア競技大会が開催されます。2010年に上海で万博を開催しましたが、今度は2025年に日本の大阪で万博を開催します。こうした国際的な大きなイベントが日中それぞれで予定をされていますから、若い世代の交流を進める良いきっかけにできると思いますので、双方が努力して、そのチャンスを生かすことが大事だと思います。

 

言葉だけでなく

真の信頼関係を築く

―― 本年は中日国交正常化50周年の記念すべき年ですが、残念ながら友好ムードが高まっていません。両国の間には、様々な課題がありますが、次の50年に向けて、新たな中日関係をどのように構築していけばよいと考えますか。

山口 現在の国民感情は、両国のそれぞれの立場の言葉や行動を映す鏡になっていると思います。日本の国民感情が悪いとすれば、それは中国側のさまざまな言動を映しており、また中国側の世論が厳しいとすれば、日本側の言動を映しているのだと思います。ですから、それぞれのしかるべき立場にある人が言葉を選び、そしてまた配慮しながら行動していく思慮深さが大切だと思います。

「温故知新」という言葉がありますが、先人の苦労、特に悪いときにどう乗り越えたかという苦労や知恵をしっかり思い出して、それを将来に生かしていく必要があると思います。

日中間にはさまざま重要な政治文書がありますが、中でも「日中平和友好条約」は最も重要な基礎になると思います。そのときの両国の政治リーダーの精神、そこに盛られた文書の合意、この意義をもう一度思い起こして、日中間をつなぐ人々は言葉だけの取り繕いではなく、本当に信頼し合い、助け合い、協力し合う関係をつくることが大事だと思います。

 

良い時も悪い時も

一貫して友好を貫く

―― 公明党は中日国交正常化において、重要な役割を果たしました。党として、今後も中日友好路線を貫いていきますか。

山口 当然です。50年は長いようで短い、たかだか50年です。その間もずっと一貫した姿勢で日中友好に取り組んできましたし、日本の政党の中において、我々の存在は良好な日中関係を構築する一つの重要な資産だと思っています。お互いに耳の痛いことも言い合い、そしてそれを受け止めて、自分の行動を振り返る。そういう関係をこれからも築いていきたいと思っています。

現在、50年前に道を開いた先輩で存命中の人は少なくなりました。それでも諸先輩から伝えられてきた友好の精神は、現在に伝わっていますし、我々もまた後輩に伝えていきたいと思います。

時々の都合で態度を変えていく人物は信頼が保てなくなります。良い時も悪い時も一貫して、揺るぎなく姿勢を貫くことが大事だと思っています。

「日中友好の扉を開く」

―― 山口代表は安倍元総理の親書を持って中国に行かれたこともありました。安倍元総理の思い出をお聞かせいただけますか。

山口 安倍元総理は、日本のことを思い、国民のことを思って、世界を見渡しながら、その時々で重点の置き方は違いましたが、バランスを取って行動した人だと思います。

特に忘れられないのは、我々が政権を取り戻した直後、日中関係が政治対話もできないほど緊張していたときに、「扉を開かなければいけない」と2人で話し合ったことです。

2013年1月、かねてから日中の友好関係を保ってきた公明党が、扉を開く、対話の窓口を開く役割を果たさなければならないという思いで、安倍総理から親書をお預かりして、習近平総書記にお会いし、それをお届けしました。

そこにはやはり、戦略的互恵関係をもっと発展させて深めていかなければならない、そのきっかけとなる第一歩をつかみたい、という安倍総理の強い思いがあったと思います。

そして、2014年11月、APEC首脳会議が北京で開催された際に、ようやく習近平国家主席と安倍総理の首脳会談が実現できたのです。

その後、私は盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館を訪れる機会がありました。日中関係が最も厳しかった時代の歴史が展示されているのですが、その最後の部屋に、戦後の日中交流の歴史というコーナーがあって、その最後のところに、安倍総理と習近平国家主席がAPEC首脳会議でお会いした際に、両国の良好な関係を象徴するかのように握手をしている写真が掲げられていました。そのことは今でも印象に残っています。