アジアの眼〈54〉
「花と緑で世界は変わるんだ」
――日本が世界に誇る庭園デザイナー 石原和幸

 8月に入り、ファッションショーが開催された。2日ほど爆睡したあと、4日の雨の降る日に庭園デザイナーとして世界各地で庭園を造っている石原和幸(Kazuyuki Ishihara)氏(以下、石原氏と略す)を取材した。

 長崎県長崎市三原生まれの石原氏は、被爆二世である。長崎の原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年8月9日午前11時02分と記録されている。連合国のアメリカ合衆国が長崎に対して原子爆弾「ファットマン」を投下した。偶然ではあるが、同じ8月初旬の取材になった。

生まれ故郷の三原にプライベート・ガーデン「三原庭園」を誕生させた石原氏。この庭は、一切の妥協を払拭し、永遠に終わらない庭(いつかは死ぬかもしれないけれど)、進化し続ける庭で、クライアント(庭の依頼人)は自分自身である。日本全国、世界各地で庭を造り続けている彼の自分へのご褒美かもしれない。

家庭という言葉がある。家に庭がプラスされ、はじめて家族成員間の関係性が調和されるとの意味でもあるという。そして、庭には壁の中にいる「人」と窓の外にある「風景」との内側と外側の「関係項」も成り立つ。「借景」して内側にいる「人」が空間の延長を得心することができる奇跡のような想像力に繋がるのだ。

勝利-江戸五葉  石原和幸デザイン研究所提供

ガーデニングの世界で世界最高峰とも言われる英国チェルシーフラワーショーで、石原氏は2006年から2019年までの14年間で合計11回 ゴールドメダルを受賞している。英国のロイヤル・フアミリーとも親交が深く、フアッション・デザイナーのポール・スミス氏もフラワーショーに何度も遊びに来たりしている。

花の楽園  石原和幸デザイン研究所提供

彼は日本47都道府県のみならず、世界中に庭園造りをしている。。日本だけではなく、世界中のお庭を愛する人たちとの出会いを大事にしている石原氏は、園芸学について専門的な勉強をしたわけでなない。この世界に入ったきっかけを尋ねると、たまたま家族がお庭に花と木を植えていたという。生きるために自然に身に付いたパッションがあること、その大好きな仕事をしている時は楽しいから疲れを感じないという。華のある粋な庭園――そこには庭園学の原理とかルールよりも、石原氏の生まれ持った感性、すなわち誰にも真似できない「愛情あふれる」感性で、花と緑が賑やかに調和し合っている世界を演出している。

石原和幸デザイン研究所を設立し、参加型のチャレンジスタッフを募って共同作業でフラワーショーに挑んだり、風景盆栽の展示会をギャラリースペースで開催する。石原氏の庭園デザインは現代アートの域にあり、日本の伝統的な庭園造りとは一線を画した革新的なものがある。チェルシーフラワーショーという世界一のガーデンショーへの出展を目指す「チャレンジチェルシー」は2019年に10期生を迎えた。経験、未経験を問わず、イギリスでお庭を一緒に造り、ゴールドメダル獲得を目指すという参加型のチームワークによる作業は、現代アートのグループ制作に見えてくる。石原氏自身、庭園デザイナーのかたわら、チーム一人一人の個性と性格を見極めて得意分野を活かせるようにプロデュースする総司令官みたいな役割も果たす。

昇り龍-五葉松  石原和幸デザイン研究所提供

一人で良いものを造るよりも、みんながチームワークで造る方が何倍も難しいことは周知の通りである。だが、チームで造りあげる達成感はまた格別だと思う。

庭造りに込める石原氏の情熱、ゼロからイチに辿り着くことへの難しさについて語る時、石原氏の目はとても輝いて見えた。

世界中から一流のガーデンデザイナーが集まり、造園の腕を競いあうコンペティションの最中に、チャレンジ精神の持ち主である石原氏は、新たに加わったメンバーたちとの新たな連携プレイをも面倒くさがらず、その新鮮なチャレンジを重ねに重ね、通常の専攻やアカデミックな常識にとらわれず、自在に自分の感性に新風を取り入れ、それを通して庭園学における石原哲学を確立する。

四季折々の庭園の表情ということに対して、石原氏は365日の表情という。お庭の365日の変化一つ一つにアンテナを張り続け、図面通りの施工だけではなく、現場でしかわからない苦悩があるはずで、その一つ一つの変化を見逃さないようにする。

毎回の庭造りには、コンセプトが鮮明であり、庭造りに付随する家具や植栽の利便性と美的感覚のバランス。家具などを設置することで機能性・利便性は高まるが、全体的なコンセプトにマイナスの場合には果敢にやめるという。

里山のくらし  石原和幸デザイン研究所提供

2012年のチエルシーでは、生まれ育った実家の風景を庭にした。自分が生まれ、幼少期を過ごした時の気持ちのままを表現した。国が違い、景色が全く違う地域の人たちのはずなのに、石原氏のお庭は多くの人の郷愁を誘うという。そこに被爆二世として、身近に近しい人を無くした「死生観」の成熟度の高さ、「死」を意識するからこそ「生」を疎かにしない命に対する理解があるのだろうと感じる。江戸幕府に受け入れられなかった「沈黙」の世界、彼の先祖たちは長崎に逃れて生きていたキリシタンだった。段々畑で植樹して生きていた原風景。人は昔からどこかでD N Aでつながっていたのかもしれない。だから懐かしいのだ、きっと。

目の前に広がるものにインスパイアされ、拾い上げる才能。人は彼のことを「緑の魔術師」と呼ぶ。そして、世界的な建築家・隈研吾氏は「日本文化の秘密が、石原さんの庭を通じて、世界に開かれる」と絶賛を禁じ得ない。