趙 龍光 全日本中国美術家協会会長
美術家は中日文化交流の大切な担い手

美術の各分野で活躍する在日華人芸術家たちが意気投合し、十数年前から定期的に交流イベントを行うようになった。彼らは文化サロン、芸術展、セミナーなどの形で、心を通わせながら芸術を礼賛してきた。その後、彼らの手によって全日本中国美術家協会が設立され、水墨画家の趙龍光氏が会長に就任した。先日、趙龍光会長が本誌編集部を訪れ、中日国交正常化50周年に際して、中日を互いに映す鏡としての芸術の役割を語ってくれた。

民間の素朴な感情が中日芸術交流の原動力

趙龍光の本籍は安徽省六安市である。著名な現代画家で書道家の趙不仁の長子として生まれた。趙龍光は幼い頃から筆を手にし、以来手放すことはなかった。1986年、趙龍光は最も早期の私費留学生として日本に留学し、幸運にも、日本のある大手企業から経済的支援を受けることができた。

来日して間もない頃、趙龍光は千葉に住む薄井さんという老人と知己を得た。週末になると趙龍光を自宅に招き、生活費の足しになればと、彼の描いた水墨画の画集を友人たちに紹介してくれた。

この老人は若い頃、日本の「満鉄」の技術者として中国東北部に派遣されており、2人の子どもは中国生まれであった。老人が亡くなってから、子息が遺言と遺品を携えて趙龍光を訪ねてきた。渡されたお金は、趙龍光が芸術の道を心置きなく歩めるようにと、決して裕福ではなかった老人が遺してくれた最後の温情であった。これが、日本人の最も一般的で最も素朴な感情であり、趙龍光が中日文化交流に力を注ぎ、中日関係の改善と発展を疑わない理由のひとつになっている。

趙龍光は、多摩美術大学と東京学芸大学に学び、大学時代から講義も担当した。後に、夫人で画家の里燕と共に『龍光水墨画院』を創設し、日本の各界の芸術愛好家に中国画の知識と技法を教え、中国の伝統文化を伝えてきた。夫妻は水墨画で日本の画壇に名を馳せるようになったばかりでなく、多くの作品が中国国家博物館及び中国美術館のコレクションとして収められている。

美術家は中日文化交流の功労者

「中日国交正常化からの50年の道のりを振り返れば、両国は衝突と和解を繰り返してきましたが、様々な文化交流活動を通して美術家は常に重要な役割を果たしてきました」。

2018年、在日中国美術家協会の中核メンバーによる芸術展が、株式会社シーエイチアイ傘下のラディソンホテル成田で開催された。水墨画、油絵、彫刻、インスタレーション、書道と多岐にわたる出展作品は、在日華人芸術家数百名の代表作の中から選び抜かれたものであった。芸術展は大盛況となり、開幕式当日だけで1000名の芸術愛好家が来場し、両国の社会に大きな反響を呼んだ。本年6月15日には、中日の美術家による大規模な共同展覧会『2022国際水墨芸術大展(中日国交正常化50周年記念特別展)』が東京都美術館で開幕した。展示会には、文化芸術分野で活躍する100名近い中日の名高い芸術家たちの400点に及ぶ選りすぐりの作品が出展され、日本社会に中日交流の範を示した。

このイベントは、国際水墨芸術促進会、令和日中文化芸術交流協会及び全日本中国美術家協会が、半年以上の時間を費やして準備を進めてきたものだ。これまで10年以上にわたり、中日文化芸術交流に力を注いできた全日本中国美術家協会が、舞台裏から最前線に躍り出て、中日の文化芸術交流を牽引したのである。

中国と日本は未来志向で関係構築を

「芸術は人類共通のものです。特に中日の芸術は互いに啓発し合い影響し合ってきました」。中国の文人画や禅画は日本の水墨画に影響を与えたと言われる。趙龍光自身、自宅で目にした1920年代に出版された『第二回日華聯合絵画展覧会図録』に刺激を受けて、日本への留学を決めた。

彼はひとつのエピソードを語ってくれた。ある名の知れた日本の友人は、若い頃人民解放軍に加わり、中国の同胞と肩を並べて戦った。日本に帰国してからも、中国人留学生に学費や生活費の支援を行ってきた。ところが、彼女は自身が面倒をみてきた中国人留学生が、科学研究の分野で自分より優れた成果を収めたのを目にすると、憤怒したという。これは象徴的なエピソードだが、中日の民間で繰り返し現れる不協和音の誘因であると趙龍光は指摘する。

国交が正常化した当初は、日本の政府も民間も、技術、経済、教育の各分野において、中国を支援しようとの熱意に満ちていた。ところが、中国が改革開放からわずか40年で世界第二位の経済大国に発展すると、海を挟んで向かい合う日本は、台頭する大国に脅威を覚えながらも、経験主義の深みにはまったままでいる。

趙龍光が今も残念に思い起こすのは、10年前、民主党政権下での釣魚島(日本名:尖閣諸島)国有化事件によって中日関係が悪化し、予定されていた中日国交正常化40周年の記念イベントが相次ぎキャンセルされたことだ。それゆえ、様々な困難を克服して準備計画された6月の中日の芸術家による共同展覧会が、中日の交流史に彩りを添え、日本の人びとに中国をより深く理解してもらうための貴重な窓口となることを信じているのである。

取材後記

中日関係は国際情勢というマクロ環境と切り離すことはできない。国交正常化からの50年で両国の経済力は逆転した。次の50年、中日両国は経済世界の多極化と文明社会の多元化を共に目指すべきである。それは華僑華人芸術家の心からの願いでもある。 (編集者注:取材には、著名な華僑芸術家である東強氏、銭亜博氏にも協力いただいた)