福田 康夫 元首相
日中は脅威を感じさせないよう互いに知恵を使うべき

2022年は中日国交正常化50周年の節目の年にあたる。振り返れば、1978年に当時の福田赳夫首相と鄧小平副総理との間で「中日平和友好条約」が締結され、2008年に福田赳夫首相のご子息である福田康夫首相と当時の胡錦涛国家主席との間で「戦略的互恵関係の包括的推進に関する中日共同声明」が交わされた。この二つの条約と声明は、両国が交わした四つの政治文書の中でも重要とされ、半世紀の間、友好協力関係発展の基礎となっている。先ごろ、福田康夫事務所を訪れ、条約締結の歴史と中日文化交流の重要性、今後の中日関係などについて伺った。

中国は潜在力が大きい国 良好な関係を築きたい

―― 1978年10月、御父上の福田赳夫首相は当時の鄧小平副総理を日本に迎え、歴史的な「中日平和友好条約」に調印されました。当時の状況は現在とは違うと思いますが、福田赳夫先生はどのような気持ちで難題に向き合われたのでしょうか。

福田 日中関係というのは2000年の交流の歴史がありますから親近感は非常に強いわけです。第二次世界大戦で、不幸な時期がありましたが、それくらい両国の関係は密着していたともいえます。

戦前の中国に対して、敬意の念を持っている日本人はたくさんいます。中国は文明発祥地の一つでもあり、その文明・文化を継承して発展してきた日本にしてみれば、中国抜きで日本を考えることはできません。基本的にはこういう立場ですから、不幸な時期を経験しましたが、そうした関係を清算したいという気持ちを日本人はずっと持ち続けていたわけです。

50年前の日本と中国は、政治体制も異なり、経済状況や人口規模など、相当なギャップがありました。しかし、中国が潜在的に大きなお力を持っている国だということを日本人は知っており、そうした力を日本も取り込んでいかなければいけないという気持ちがあったのは当然のことでした。

将来のことを考えれば、日本は中国と良好な関係をなるべく早く築いて共に発展していこうという気持ちが強かったのです。その気持ちが、日中国交正常化、そして日中平和友好条約の締結へと結実していったのだと思います。

脅威を感じさせないようにお互いが知恵を使うべき

―― そうした歴史を踏まえて、中日関係の在り方についてはどのように考えていますか。

福田 日中関係は決して敵対する関係ではありません。主義主張が異なったとしても、お互いに利益を共有するウインウインの関係でなければなりません。国交が回復する以前の時期においても、日本と中国は、経済をはじめ文化・芸術など、限られた範囲の中ではありましたが、交流を続けてきました。

国交が回復してから、大々的に交流できるようになり、特に平和友好条約を締結して以降は自由にできるようになりました。

中国からこういうことをしてほしいと頼まれれば、日本は、「分かりました。われわれにはそれができるので応援しましょう」となりましたし、「その代わりに中国にあって日本にないものをぜひ頼みます」と言えば、中国政府はそれに応じてくれました。

そのような関係を日本が維持してきた理由、原動力は何かと言えば、それは中国の潜在力が大きいと考えていましたから、中国とは仲良くやっていこうという基本的なスタンスがあったわけです。

ただ、平和友好条約締結以降、特にこの10年、ものすごい勢いで中国経済が発展しました。日本もそうした発展に協力したと思いますが、その結果、例えば軍事力が増強されるようになると、日本人は脅威を感じるわけです。そうならないように、隣人として注意していただく必要があると思いますし、将来的にも安心してお付き合いできる関係でありたいものです。

一方で、日米安全保障条約が日本の「つっかえ棒」になっているという中国側の見方もありますので、日米安保が中国に対して脅威を与えないような形でなければいけないと思います。ですからお互いに脅威を感じさせないような関係をつくっていくことが重要です。頭を使って、工夫することです。腕力は要らないです、頭だけでいいです。

西のダボス、東のボアボ 国際社会の一員として

―― 昨年はボアオ・アジアフォーラムの設立20周年でした。福田康夫先生は2010年から2018年まで理事長を務められ、現在は諮問委員会の委員長を務められていますが、同フォーラムの存在意義と活動について、どのように評価されていますか。

福田 私がボアオ・アジアフォーラムの理事長に就任した2010年は、中国がこれから大きく経済発展するだろうという予兆が感じられる時期でした。将来的に、日本のGDPを越えるのは当たり前の話で、人口比から見れば、少なくとも日本の10倍ぐらいの経済力になって当然です。別に不思議でも何でもなく、いずれそういうようになるだろうと思っています。

ボアオ・アジアフォーラムは2001年に中国海南省で、日本、中国、オーストラリア、インド、タイ、フィリピンなど26カ国による、民間レベルの賢人会議として設立されました。

そのときに中国は、国際社会の一員になっていくという気持ちを強く持っていました。2010年になって中国の発展が本格化し、国際社会において友人をつくる時代になったことを感じた私は、その気持ちをいよいよ実現するときであり、世界に向かって宣言するときだと思いました。

当時はスイスのダボスで年1回開催される、世界経済フォーラム(ダボス会議)が有名だったのですが、それが西の世界フォーラムとすれば、ボアオは東のダボスだと自負していました。

これは、別に真似をするわけではなくて、中国自身が世界に対する窓をつくらなければいけない。その窓の役割をボオア・アジアフォーラムが果たすのだという気持ちでした。中国首脳の方々も、同じ気持ちを当時持っていたと思います。そういう気持ちを実現しなければいけないと考えていました。

「日中合作」でアジアの文化協力を推進

―― 2019年、若い世代の交流を促進し、相互理解を深めることにより、アジア、ひいては世界の平和と発展に貢献することを目的として、「一般財団法人日本アジア共同体文化協力機構」を設立し、代表理事(会長)に就任されていますが、文化交流の重要性についてお聞かせください。

福田 日本と中国と韓国は同じ漢字圏であり、共通の文化の上に成り立っています。このことを以前、習近平主席と会談した際に話したのですが、習主席も「そのとおりだ」とおっしゃってくださり、文化協力のための仕組みづくりについて後押ししてくださいました。それが日本アジア共同体文化協力機構を設立するきっかけになりました。

当時は日韓関係が少しぎくしゃくしており、日中関係も必ずしも円滑という状態ではありませんでした。しかし、これは政治的な問題であって、国民同士は、例えば観光など、自由に交流する雰囲気がありました。

政治的にも、またトップ同士の関係が良くない時でも、国民レベルでは自由に話し合い、幅広くお付き合いができる社会を構築することが必要だと、私自身は強く思っています。

 ですから、そういう社会、国同士の関係をつくるために、少なくとも日中韓は一緒になって文化交流できないかと考えました。その時に、「アジアも含めて」と言われたのは中国です。もちろん文化交流は世界全体に広げていくものです。まずは日中韓からと考えたのですが、将来的にアジアの国々も包括する意味で「アジア」という言葉を入れ、「日本アジア共同体文化協力機構」としたのです。ですから、この名称は日中合作なのです。

日中が協力して地球的課題を解決

―― 近年、福田康夫先生は多くの中国要人と会見されるなど、積極的な友好交流を進められています。しかし、本年は中日国交正常化50周年の佳節にもかかわらず、友好ムードはあまり高まっていません。今後の中日関係について、どのような展望をお持ちですか。

福田 日中関係について言えば、お互いに脅威を感じ合うようなことでは仲良くなれません。怖い顔をしているのではなく、にこにこしてくれれば、お互いにきっとうまくいくはずです。これは気持ちの問題ですから、特に政治家が気を付けなければいけないことは、国民が怖い顔をしないで済むような、にこにこできるような政治をしてくれるといいですね。

日中関係の展望については、気候変動の環境問題が共通する一つの重要課題であり、とても深刻な問題だと思います。政治家のリーダーシップも大事ですが、国民ひとり一人の行動も重要です。

例えば、不必要な消費は行わない、エネルギーは大切に使うなど、各国が、そして各個人が協力しなければ、気候変動の問題は解決しません。国民がこのことをよく理解して、そうした方針に協力をするということが必要です。そうしなければ、地球の環境が改善されることはありません。

中国は人口14億人の大国です。地球全体の人口の20%ですから、地球全体に対する責任もそれだけ大きいと言えるのではないでしょうか。

これは地球規模で取り組むべき課題であり、人類がみんなで協力し合うしかありません。戦争などしている暇はないのです。戦争をやって、火薬爆発を起こせば、それだけエネルギーをたくさん使うわけですし、CO2がたくさん発生しますから、そういうことが起きないように平和的にやっていかなければいけないのです。

いずれにしましても日本と中国は、気候変動問題をはじめとした地球環境の危機に際して、持続可能な社会の構築に向けた協力の在り方について話し合い、地球規模の課題に対して協力し合うことがとても重要だと考えています。

取材後記

 在日中国メディアの記者として、これまで福田康夫先生とは様々な場面で交流を重ねてきた。福田赳夫、康夫父子の功績と中日関係への貢献には感服させられる。今後の中日関係の発展と安定にはこのような「家伝継承」がもっと必要だと思う。こうした日本の政治家は多ければ多いほど良い。