『人民日報海外版日本月刊』社中部支社の設立を祝す

思い起こせば、2011年は日本の歴史でも稀に見る東日本大震災が発生した年であった。 地震は日本にとって予想できる出来事であるが、予想外だったのは、中国の人々が日本の被災者に与えた精神的、物質的な援助の大きさであった。これは、2008年の四川大地震の際に日本が行った支援に対する中国のお返しである。

新時代の中日間の「地震外交」である、地理的に近い両国の間に、現実をはるかに超えた強いコミュニケーションと理解の基盤があることを示すものである、という人もいた。

中国共産党の機関紙である『人民日報海外版』から権限を授与され、『人民日報海外版日本月刊』が創刊されたのはこの年であった。 これは偶然の一致であると同時に、時代の賜物ともいえる。

風雨の12年間。『人民日報海外版日本月刊』は、日本の政治の中心である国会、日本経済の中心である経団連などの経済団体、日本の47都道府県の知事室、日本全国の図書館や大学、そして日本の中日友好団体などと関係を結んでいった。

多くの日本人がこの雑誌を「中国への窓」であり、「中国の物語を聞くプラットフォーム」であり、「中国の特色を輝かせた名刺」と呼んでいる。この雑誌を通じて、ますます多くの日本人が「中国ファン」になっているのだ。

風雨の12年間。初夏となった6月10日、『人民日報海外版日本月刊』社の中部支社が名古屋で正式に設立された。支社長には、中国国家主席に3回面会したことのある中部地区の著名な華僑リーダーである鄭興氏が就任した。

中部地区から100人以上の日本人と華僑華人の来賓が出席し、設立を祝い、『人民日報海外版日本月刊』は新たな発展段階に入った。

風雨の12年間。中日関係の波乱に満ちた発展の中で、『人民日報海外版日本月刊』は常に『人民日報』の情報をもとに、真実に立脚し、前向きで温かい「中国の物語」を伝えてきた。

また、中日両国の政治・経済交流の促進に尽力する日本の国会議員、経済界のリーダー、文化人、地方に根ざした「草の根」の人々を積極的に紹介してきた。

中部地区からの反響は非常に大きく、『人民日報海外版日本月刊』が中部地区での発行部数を拡大し、中部地区の報道を増やすことで、中部地区の日本人や華僑華人がより多く、より良い形で、より詳しく中国について知ることができることが期待されており、それに応える形で誕生したのが、『人民日報海外版日本月刊』社中部支社である。

風雨の12年間。中国は今、胸襟を開いて世界を受け入れており、世界もポジティブなエネルギーに満ちた中国を必要としている。中国は「対外大宣伝時代」に入ったと言う人もいる。

この対外宣伝の強化と充実は、世界に中国の現実を正しく理解してもらい、世界に中国の声にもっと耳を傾けていただき、中国と世界の間の相互交流、理解促進、互恵とウィンウィンのための架け橋となることを意図している。

風雨の12年間。『人民日報海外版日本月刊』社の中部支社設立を契機に、『人民日報海外版日本月刊』はますます日本で深く事業を展開し、根を張り、さらに「民間に入り」「草の根に寄り添って」いきたい。

そして、日本各地に順次支社を開設し、読者会やセミナーを開催し、日本の各界の中日友好推進の熱意を集め、中日関係の長期的かつ健全で安定した発展のためにさらに力を合わせ、「対外宣伝」を新しい原動力として内面化させていく。

『人民日報海外版日本月刊』社中部支社の設立に際し、中部地区の政財界、文化界の皆様のご支援に感謝し、中華人民共和国駐名古屋総領事館の積極的なご指導に深く感謝するとともに、中部地区の華僑華人の方々の熱心で積極的な購読、宣伝に謝意を表するものである。

成功への道は鉄のようであるが、私たちは一歩一歩前進している。『人民日報海外版日本月刊』は使命感と情熱にあふれ、その独特の温かさで、日本社会とともに次の12年に向かって前進して参りたい。