藤嶋昭 東京理科大学栄誉教授
実りつつある日中の科学技術交流

東京理科大学の元学長である藤嶋昭栄誉教授は光触媒研究の権威として知られ、その光触媒技術はすでに医療の現場やガラスの曇り止めといった日常生活でひろく活用されているものである。また、1979年の訪中以来、中国人留学生の受け入れと養成を通じ、日中の学術交流に取り組んでこられた。教え子の留学生たちは帰国後、中国の科学界をリードし、今日に至っている。

 

日常生活に浸透した「光触媒」

—— 日本は生命科学、化学、物理学、環境問題など、多くの分野で世界のリーダーであり、毎年のようにノーベル賞を受賞しています。藤嶋先生ご自身も、毎年ノーベル化学賞候補にノミネートされていますが、先生の光触媒研究についてわかりやすく説明していただけますか。

藤嶋 光触媒というのは、植物を例にしますと、植物は葉の表面に光が当たって酸素が出ていますが、それは葉の表面の葉緑素が光に反応して、二酸化炭素と水から酸素とでんぷんを作り出しているからです。葉緑素が「触媒」になって、その現象を促進しているわけです。その葉緑素の代わりに酸化チタン――白ペンキの材料などになるものですが――を水の中に入れて太陽の光を当てると、水が分解して酸素と水素になるという現象を、私は東大大学院の学生のとき、1967年に見つけました。これがスタートで、今では酸化チタンによる光触媒が水滴によるガラスの曇りを防ぐことから、車のサイドミラーや浴室の鏡など、日常生活のありとあらゆるところで使われています。

中国の場合でも、光触媒を応用した一番代表的な例は、北京の天安門広場の横にある国家大劇院というきれいなガラスドームです。あのガラス屋根にはチタン複合材が使われており、汚れることはありません。あれは中国の科学者・江雷君が光触媒を建築資材に応用したものです。江雷君は1992年から7年間、私のところに留学した研究者です。

研究プラス「一般教養」のための読書を推奨

—— 東京理科大学は先生が学長に就任されて以来、雰囲気が変わり、学生も本をよく読み「文理両道」の教養を身に付けるようになったと言われています。大学の使命と役割について、先生はどのようにお考えですか。

藤嶋 大学では、若い方を教育して、専門分野に強くする。それから社会に出て活躍するという、そのための一番の基礎を教えるわけです。理科大の場合はそれが非常にうまくいっていると思います。優秀な学生がたくさん受験します。今年は6万人です。そこから大体4000名弱の人が入学し、4年間一生懸命勉強します。理系ですから、みんな大体は大学院に行き、少なくとも修士(マスター)までは行きます。教育をいかにしっかりやるかということが、理科大の伝統なのです。

私は、学生には本を読んでほしいと思っています。つまり、「専門に強い」プラス「一般教養」です。研究のヒントはいろいろなところから得られますが、それは、やはり本を読んだり、いい絵を観たり、いい映画を観たり、あるいは自然の素晴らしい景色を観ることで、そこからいろいろな発想を得るわけです。センスを磨かなければダメです。センスがないと、いい研究ができません。それには専門を強くすることと、広くいろいろな知識を持ち、関心を持つことです。そのために、本を読むようにと指導しています。

 


撮影/本誌記者 倪亜敏

日中の研究費の投入差が大きい

—— 先生は早い時期から、中国の留学生を受け入れ、日中の学術交流に取り組まれてきました。先生が教えた留学生の多くが帰国後中国科学界をリードしています。こうした中国の留学生の人材育成についてお聞かせください。

藤嶋 JST(科学技術振興機構、濵口道成理事長)でつくっていただいた本に、私のところへ中国から留学生が何人来たかというのが全部まとめてあります。38名です。その後も増えていますから、もう40名になるでしょう。みんな頑張っていますが、その中の8人が、私に対する印象を中国語と日本語で書いてくれています。

私たちの研究室では、一番いい成果、一番いい論文をどこに出すかというと、イギリスの『Nature』誌です。『Nature』に出したことによって、みんな博士(ドクター)を取っています。その中で一番思い出深いのは、『人民日報』の国際版で、姚建年君が大きく紹介されたことです。それが出たので、彼はもう威張って中国に戻りました(笑)。

—— 先生はJST中国総合研究センターのセンター長を務められました。現在の日本の科学技術振興について、グローバルな観点から、どのような課題があるとお考えですか。

藤嶋 今、中国は科学技術がすごく進んでいます。人口が日本の10倍で、優秀な人が10倍いる。そこへ中国政府がお金をすごく出しています。研究者にたくさんの助成を行っています。日本も一応、中心の研究者には出していますけれども、研究費が少なく、その点が心配です。基礎の力の部分で、例えば日本中の先生方が一生懸命研究しなければいけないのに、研究費が少な過ぎます。それが一番問題です。

中国の場合は、私が見ている範囲ですが、すごい額の研究費が投入されています。しかも競争をうまくさせています。いい論文を書いて、いい雑誌に載らないと教授になれない。それがもう徹底しています。分母が大きくて優秀ですから、脅威ですよ(笑)。

「物華天宝 人傑地霊」

—— 先生は、科学技術の最終目的とは「天寿を全うする」ことだと言われています。それは中国の有名な言葉「物華天宝」(「豊かな産物は天の恵み」の意)につながるとも言われています。科学者として、先生の人生観・人間観を教えて頂けますか。

藤嶋 科学者は、何のために研究するのか。それは、全ての人が健康で快適な空間のもとで寿命を全うするためです。そのための場所や雰囲気、それを私たち科学者はつくらなければいけません。ですから空気や水をきれいにしたり、除菌や滅菌をしたり、それから食料がちゃんとあるようにしなければいけません。

「物華天宝」という言葉は「人傑地霊」と続きます。よい天の恵みを得るためには、それに関係する人が大事です。私たち研究者は、未知なるもの、隠されていること(物)を研究し、その成果(華)を出すことが大事ですが、それには研究者(人傑)が大事なのです。それも1人だけではダメで、集まった全体のグループの雰囲気が大事です。

—— 中国の習近平国家主席は就任以来、「イノベーション」をたびたび提唱しています。習主席は今年の6月に来日する予定ですが、「イノベーション」を強調されている点について、どのように評価しますか。

藤嶋 一番大事なことです。今までなかったことを見つけ、それを世の中の役立つようにするということを、科学者はみんなやっていることですが、総括すると「イノベーション」という言葉になると思います。

中国の場合は資金が潤沢で、以前、中国から光触媒の研究センターを北京でつくってくださいと言われたことがあるのですが、「もう年ですから無理ですよ」と答えたら、「では、私(江雷)がやりましょう」と言って、彼がやってくれました。本当に積極的に中国は政府を上げてやっています。しかも、土地は全部国の所有ですから、政府がここにつくるといったらできてしまう(笑)。その辺は強いです。指導者が計画すると、さっとできてしまいます。

江雷氏のクモの糸の研究

—— ノーベル賞受賞は、日本や中国にとって、どのような意味があると思いますか。

藤嶋 近年、日本は毎年のようにいただくようになってきて、これは非常に誇れることです。かつては湯川秀樹博士が1人とっただけで大ニュースになり、その後徐々に増えてきましたが、最近の受賞ラッシュは、今までの基礎力がようやく実ってきたのではないかなと思います。

そういう点では、中国も徐々に受賞なさっている方がいますが、私の予想では、江雷君がいずれ受賞すると思います。彼のアイデアは本当にすごいです。

彼の一番有名な論文は10年以上前のものですが、クモの巣について書かれたものです。真夏にクモの巣の表面の「ねばねば」が乾燥して硬くなる。すると、虫がとれなくなります。ところが同じものを次の日の朝見ていると、また「ねばねば」になって、虫をとっている。それがなぜかを解明しました。クモの糸というのは、すごくよくできていて、空気中の水分をうまく吸収しているのです。それを発見し、人工的にもつくってみせた。そして『Nature』の表紙の写真にもなりました。江雷君のやり方は、常に「生物に学ぶ」こと、生物の不思議をモチーフに、それを解明していくというものです。

彼の研究が評価される日を、私自身楽しみにしています。■