本坊 和人 本坊酒造株式会社代表取締役社長
丹精込めて造ったウイスキーを中国市場で飲んでもらいたい

本坊酒造株式会社は明治維新直後の1872 年の創業で、150年の歴史を誇る日本の老舗企業である。1949年からウイスキー事業に参入し、同社のウイスキーはワールド・ウイスキー・アワード(WWA)で世界最高賞を受賞するなど、世界的な評価も高い。先ごろ、長野県のマルス信州蒸溜所を訪ね、同社の本坊和人社長に、ウイスキーの魅力や中国ビジネス展開などについて伺った。

地域の特性を活かしウイスキー事業に参入

―― 御社は、明治維新直後の1872 年の創業で、150年の歴史を誇る日本の老舗企業です。鹿児島の地で、1949年からウイスキー事業に取り組まれていますが、なぜウイスキー造りを始めたのですか。

本坊 もともと鹿児島はサツマイモの産地で、それを原料にした焼酎造りが地元の産業でした。第二次世界大戦が終結し敗戦国となった日本は、新しい国づくりを目指すことになったわけですが、弊社もいろんなビジネスチャンスを模索する中で、地域の特性を活かしたウイスキーやワインも製造・販売しようと考え、1949年に鹿児島でウイスキーの製造免許を取得しました。

その後、1960年に山梨県で洋酒事業に進出するため、現在のマルス山梨ワイナリーがある笛吹市石和町に、ワイン醸造とウイスキー蒸留設備のある工場を新設して、本格的に洋酒造りをスタートさせました。

これからの時代を見据えて、地方の企業として成長するチャンスを得るために、焼酎だけでなく洋酒の分野にも事業を拡げて、ウイスキーやワインの免許を取得したわけです。

多彩な原酒造りと熟成環境が強み

―― お酒を品評する世界最高峰のコンテストで、御社のウイスキーは、数々の栄誉ある賞を受賞されています。御社のウイスキーの特徴と強みは何ですか。

本坊 現在、1985年に竣工したマルス信州蒸溜所が当社の中心的なウイスキー蒸溜所なのですが、もともと鹿児島でウイスキーの製造免許を取得し、そこから山梨に移し、さらに山梨から長野へと移しています。一方で1969年に鹿児島工場でウイスキーの製造免許を再取得しており、2016年に免許を移してマルス津貫蒸溜所を新設しています。

現在、長野に1カ所、鹿児島に1カ所、計2つの蒸溜所がありますが、非常に距離も離れていて、気候も違います。また、鹿児島には世界自然遺産の島・屋久島に熟成庫があります。つまり2つの蒸溜所と3つのエージングサイト(貯蔵施設)を構えており、多彩な原酒造りと熟成環境を有しています。

規模の小さなメーカーがこうした環境でウイスキー造りをしているのは、非常に珍しいと思います。多様なバリエーションのある原酒を保有できますので、これが当社の特徴であり、強みだと思います。

―― ヨーロッパのウイスキーと比べ、日本のウイスキーの特徴は何ですか。

本坊 まず原酒のもとになる水が違います。日本はウイスキー造りに合う非常に澄んだ軟水が各地にあり、良質の水が多いです。

それと、日本には四季があります。たとえば、スコットランドの年間平均気温は19度前後でゆっくり変化しますが、日本は春夏秋冬と気温の差に大きな変化があります。そうすると、樽の中でウイスキーの原酒が、膨張と収縮を繰り返しながら熟成していくので、ダイナミックな熟成をします。それが日本のウイスキーの特徴であり、評価が高いのではないかと思っています。

 

信州はウイスキー造りに最適の環境

―― 1985年に現在のマルス信州蒸溜所を開設されていますが、なぜ長野の地を選んだのですか。

本坊 1960年に山梨工場で本格的にウイスキー事業をはじめたのですが、ビジネスとして軌道に乗せることが難しく、1972年から蒸留を休止していました。その後、1980年代に入り、大手メーカーとは一線を画す地方の小さなウイスキーメーカーが注目されるようになり、地ウイスキーブームが起きました。

当社のウイスキーの売り上げも伸び始め、当時の社長が、この機会にもう一度、投資して蒸溜所を新設することを決めました。

私は当時、山梨で働いていたのですが、山梨工場はワイン造りで手いっぱいだったので、新しい場所を探すことになり、理想の地として長野県の宮田村にたどり着きました。

中央アルプス駒ヶ岳山麓にあるここの蒸溜所は、良質な水と豊かな自然に囲まれており、ウイスキー造りに最適の環境です。

国産ウイスキー造りの原点は、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝氏がスコットランド留学の実習で学んだウイスキー造りを記した、いわゆる「ウイスキー実習報告書(竹鶴ノート)」ですが、やはりスコットランドと同様に、冷涼な気候の場所を結果的に探し出して、この地に行き着いたということです。

ウイスキー造りの志を共に原酒交換で互いに製品化

―― 2021年4月、御社のマルスウイスキーと株式会社ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所のイチローズモルトは、原酒交換による共同ウイスキーを発売すると発表しました。どのような経緯があったのでしょうか。

本坊 ウイスキーはもともと日本の酒税法により、特級、一級、二級といった級別制度がありました。それが1980年代に入ってから、日本の酒税は不平等だと英国のサッチャー首相(当時)が旗振り役となって当時のGATT(関税貿易一般協定)に提訴し違反の審判が下りました。それで、1989年に酒税法が大幅改正されてウイスキーの級別制度が廃止されたことにより、ウイスキー需要が低迷する中、結果的に蒸留の休止を余儀なくされました。

その後は貯蔵しているモルト原酒の商品化などに注力しつつ、細々とウイスキー事業を継続してきました。世界で日本のウイスキーが評価されはじめる中、ウイスキー需要が回復傾向にあった2009年に蒸留再開を決意し、2011年に再スタートを切ることができました。

ベンチャーウイスキーさんがスタートしたのは2008年で、その頃からずっと技術者同士の交流がありました。2015年に同社の肥土伊知郎社長と一緒に、アメリカのボストン、ニューヨーク、ラスベガス、ロサンゼルスなど大陸を横断し、日本のウイスキーのセミナーツアーをしながら精力的に回りました。

肥土社長とは相性がよく、考え方が同じだったため、2015年に原酒交換をしました。造りたてのモルト原酒をお互いに交換して、それぞれの地で熟成させ、5年後を目途にお互いに製品化しようと決めました。

2020年のオリンピックイヤーから1年ずれましたが、先方は「秩父×駒ヶ岳」、当社は「駒ヶ岳×秩父」というブランドを冠したウイスキーを2021年に同時発売したという経緯です。

ウイスキー発祥の地・スコットランドで、一般的に行われている原酒交換を日本でも実現できればというウイスキー造りの志が一緒だったということです。

期待が持てる中国市場でビジネスを展開したい

―― 中国では富裕層を中心に、日本のウイスキー人気が高まっています。中国のウイスキー市場をどのように見ていますか。

本坊 これまで焼酎の輸出の関係で上海に3、4回行ったことがあります。ウイスキーの販売に関しては、香港にアジアの代理店があり、そこでビジネスを展開しているのですが、ご承知のように、長野県産の食品等は東日本大震災以降、中国への輸出はできません。ですから、中国本土の方には、香港を通じて鹿児島で製造したウイスキーを購入していただいています。

2016年から鹿児島のマルス津貫蒸溜所がスタートし、2020年からシングルモルトの出荷が始まりました。今後、徐々に中国本土にも提供できると思います。

中国市場への展開については、深圳のディストリビューター(卸売業者)の方が中心になって進めてくれているのですが、中国は人口も多くマーケットが広くて大きいですし、経済成長を遂げて富裕層も増え続けていますので、今後のビジネス展開にとても期待しています。

 

人生で一回しか造れないウイスキーの魅力

―― 社長にとってウイスキーの魅力とは何ですか。中国市場進出など、今後の夢をお聞かせください。

本坊 ウイスキーというのは、まず原酒づくりが大事です。それから熟成させる環境、そしてブレンダーによるブレンド技術、この位一体の酒造りが、さまざまな蒸留酒の中でも類を見ない、キング・オブ・ザ・スピリッツなのではないかというイメージを抱いています。

人生の中で、例えば40年仕事をすると考えると、その中で携わって30年もののウイスキーを人生の中で造れるのは一回くらいしかありません。それくらいのスパンで時間をかけて造られるお酒がウイスキーなわけです。

 何年熟成させるかについては、毎年チーフブレンダーがチェックします。これは5年、これは8年というように仕分けられ、残っていくのが「オールドエイジ」と呼ばれる20年、30年と熟成させたものになります。

人間にも早熟型と晩成型があるように、若い頃はそうでもなかったけど、何年も経ってブレイクされる方がいます。そういうことと一緒だと思います。「大器晩成」と言いますし…(笑)。いずれにせよ、丹精込めて造った日本の美味しいウイスキーをぜひ中国のマーケットで飲んでもらいたいと思います。